宮沢賢治の世界 2023年

宮沢賢治の世界

JUN詩集(宮沢賢治編)

センダード(仙台)からイーハトーブ(岩手)への旅

宮沢賢治を訪ねる旅 1

宮沢賢治の世界を旅して 2

JAZZの世界を学ぶ

東京 名建築探し

 

 

宮沢賢治の世界2023年

岩手県花巻市富沢町に生まれる

1896年8月27日ー1933年9月21日

宮沢賢治は、現在の岩手県花巻市に生まれました。賢治が生まれ、亡くなるまでをすごした当時の岩手県は、地震や津波が多く、くわえて天候不順で周期的に不作、凶作をくりかえす土地でした。賢治は、岩手の農業を救うために設立された盛岡高等農林学校で農芸化学を学び、のちに農学校の教師にもなります。

宮澤屋

林風舎 現在はカフェ

宮沢家
宮沢賢治生家

宮沢賢治実家

宮沢賢治 生家

 

賢治が短歌や詩の制作をはじめたのは盛岡中学の時代、童話は、高等農林に在学中の1918年ごろに書きはじめている。

 

「雨ニモマケズ」

賢治が『雨ニモマケズ』を書いたのは1931年(昭和6年)11月3日だったと言われている。

雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

慾はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしは

なりたい

 

*この詩碑が鎌倉の光則寺にある

宮沢賢治の『雨ニモマケズ、風ニモマケズ・・・』の碑がありますがお寺とは直接の関係はないそうです。

賢治が日蓮宗に深く帰依し、活動したことを称えた信者の方の浄財をもって碑を建立したとのことです。

鎌倉の光則寺は花の寺とも言われている寺で私が訪ねた頃は時計草が門の前に咲き、寺の廊下にはウサギ苔が置かれていた。

この寺を訪ねたのち、私は2018年から仙台に主人と暮らしています。

8歳からバレエを学び、結婚して、娘を出産後、JUNバレエスクールを立ち上げバレエ教師となり51歳までバレエを教え、踊っていました。

銀河街道と言う曲で踊った事が最後になり、バレエ教師を辞め、仙台暮らしが始まったのです。

鎌倉には縁があり、バレエ教師をしながらずっと鎌倉のホテルで土曜日、日曜日にアルバイトをしていました。

鎌倉ペンクラブに所属しているフルート奏者吉川久子さんと知り合いになった事がきっかけで書いた作品

谷戸の風にのって

谷戸の風にのって 2020年

谷戸の風 2022年

2022年 谷戸の風

2022年 ブルーな鎌倉

2022年「ブルーな鎌倉」

ブルーな鎌倉を描く前に 2022年

「ブルーな鎌倉」を書く前に2022年

 

2023年は宮沢賢治没90年にあたる年は宮沢賢治の世界を学ぶ事にしました。

吉川久子

吉川久子さんが宮沢賢治の「星めぐりの歌」などを奏でるフルート奏者なので、宮沢賢治についても勉強しました。


吉川久子
心に残る日本の歌

宮沢賢治俳句

宮沢賢治俳句

宮沢賢治俳句の世界

 

体調を崩し、日本現代詩歌文学館には行けませんでしたが宮沢賢治の俳句を紹介します。

季語解説

秋(仲秋)・宗教

【賢治忌】 けんじき

9月21日、詩人・童話作家宮沢賢治(1896-1933)の忌日。岩手県花巻生まれ。童話「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など

 

水霧をたもちて菊の重さかな

狼星をうかがふ菊の夜更けかな

句意

だんだんと夜が更けてくる

明け方になるに従って、狼星は輝き、大輪の菊は、あたかもその(シリウス)天狼星をうかがっているかのようである

 

 

宮沢賢治の世界

JUN詩集(宮沢賢治編)

センダード(仙台)からイーハトーブ(岩手)への旅

宮沢賢治を訪ねる旅 1

 

鎌倉の光則寺の花

 

うさぎコケ

時計草

宮沢賢治の絵本

おきなぐさ

いちょうの実

偕成社

「おきなぐさ」

二つの小さいたましいはどうなったか、私は、それは二つの小さな変光星になったと思います。

と最後に書かれていました。

「いちょうの実」

お日様は燃える宝石のように東の空にかかり、あらんかぎりのかがやきを、悲しむ母親の木と旅に出る子供らに投げておやりなさいました。

と書かれています。

 

 

 

おきな草
いちょうの実
宮沢賢治 作
たかしたかこ 絵

私の小学校時代

小学生の頃、教科書で宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩を学んだ。

そして、夏休みの宿題の読書感想文は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読んで感想文を書いた。本を読むことが嫌いな私が本を読み、読んだ感想を書くと言うこと大変なことだった。原稿用紙に本のあらすじのような文章を書き、最後に自分の感想を書く。

貧しく孤独な少年ジョバンニが、親友のカムパネルラと共に銀河鉄道に乗って旅(北十字から南十字)をするというお話だった。そしてカンパネルラが川に溺れたという最後の結末。小学生の私はとって、とてもかわいそうな話を読んだと書いたように思う。

小学生の私には「銀河鉄道の夜」を読むのが難関だった、次に選んだ「どんぐりと山猫」「セロ弾きのゴージュ」は楽な気持ちで読めた。

印刷屋 花巻

 

「セロ弾きのゴージュ」を少しブログに紹介しているので、リンクを貼った。

ショパンの音楽を聴きながら

「ショパンの音楽を聴きながら」第1章 2022年

宮沢賢治
童話集

 

「若き芸術家たちへ」からの引用

「若き芸術家たちへ」
佐藤忠良・安野光雅

小沢征爾(指揮者、斎藤秀雄に学びフランスに留学。国際的評価も高くボストン交響楽団やウィーン国立歌劇場などで音楽監督を務める)

「やあ、忠良先生は斎藤先生によく似ていらっしゃる」と小沢君(小沢征爾)が言うのね。斎藤さんの写真見たらいい男なんだよ。でも彫刻にしたら、なんだか自分に似た顔になっちゃった。

斎藤秀雄の彫刻
制作 佐藤忠良

斎藤秀雄氏がモデルの童話

日本の詩人・童話作家の宮沢賢治が書いた最後の作品「セロ弾きのゴーシュ」の中に出てくる管弦楽団の厳しい楽長(指揮者)のモデルと言われています。ちょうど留学から帰ったばかりで厳しい指導をしていた新交響楽団での斉藤の姿から考えたのではないかという説。(新交響楽団の練習を賢治が上京時に見学した時期と一致しているためです)

参考にした本

セロ弾きのゴーシュの音楽論

梅津時比古

 

セロ弾きのゴーシュの音楽論
梅津時比古

宮沢賢治と上野にある国際子ども図書館

国際こども図書館 撮影:2022年

上野にある国際子ども図書館

宮沢賢治

宮沢賢治は大正10年1月23日、家を出て上京した。本郷の菊坂町に下宿し、東京大学前の文信社でアルバイトをしながら、国柱会や図書館へ通ったり、童話を書いたりして、8月半ばまで東京で生活した。
上野にあったため上野図書館とも呼ばれた帝国図書館にはしばしば通ったらしく、「図書館幻想」は、その頃の体験をもとに書かれた作品である。
往時の帝国図書館(明治39年3月竣工)は、昭和4年に一部増築され国立国会図書館支部上野図書館を経て、平成12年(2000年)に創立時の建物、内装の一部を復元し、新に増設された部分も併合して国際子ども図書館として開館した。

歩いて、食べる
東京のおいしい
名建築さんぽ

私が上野の国際子ども図書館を訪ねたのは2022年夏だった。「歩いて、食べる 東京のおいしい名建築さんぽ」の本を読みながら上野まで出かけました。

*東京名建築探しにリンク貼りました。

東京 名建築探し

*その後「ブルーな鎌倉」を執筆する2022年

2022年「ブルーな鎌倉」

 

「銀河街道」と言う曲で踊った思い出

ヨコハマ・コンペティションで「生きても歓喜・死んでも歓喜」という作品を踊り、金沢文化芸術祭ではフルート奏者の奏でる「銀河街道」の曲で踊りました。

「生きても歓喜・死んでも歓喜」(音楽:天空の夜明け)と言う作品が作れたことに感謝しています。。指導して頂いた前田新奈さんは谷桃子バレエ団・新国立バレエ団のソリストとして活躍、現在は振付家として活躍されています。

生命の底力を見せる舞」に私自身も挑戦できました。

ヨコハマ・コンペティション(コンクール)で踊った踊りと音楽を変えで金沢文化芸術祭でも踊りました。

2017年
金沢文化芸術祭
「生きるも歓喜 死ぬも歓喜」
音楽 銀河街道 作曲 海老原真二
吉川久子CD Un original を使用する

空には、鳥の飛ぶ道がある。
海には、魚の泳ぐ道がある。
人には、人の歩む道がある。
人間が、最も人間らしく、
価値ある人生を歩み、
向上していくための道が、
「師弟の道」である。

この詩から振付を考え踊りました。

歩き続ける道は輝く道を歩く事だけを考えていた。

これが最後の舞台になるとは思っていなかった。

その後、仙台暮らしが始まる。そして宮沢賢治の世界へ歩き始める。

アンオリジナル

私が描いた吉川久子さん
2010年 作品

金沢文化芸術祭では吉川久子さんのCDアンオリジナルから銀河街道の曲で「生きても歓喜心でも歓喜」を踊る。

吉川久子さんは宮沢賢治の世界をフルートで表現されているアーティストです。

「花巻の宮沢賢治記念館・胡四王の森などで何度もコンサートをしました。2022年は鎌倉建長寺・横浜図書館・学校・みなとみらいホールなどで宮沢賢治の世界をフルートで奏でています」と言うお話でした。

谷戸の風にのって 2020年

谷戸の風にのってに吉川久子さんの音楽などを紹介しています。

 

リハーサル中に映した私20217年の私

 

 

2023年 50代の私はまた宮沢賢治を読んでみたくなった。

宮沢賢治詩集・「素顔の宮沢賢治」を読む。

宮沢賢治
詩集

 

素顔の宮澤賢治
 板谷栄城:作

「終わりに」より

この本に書かれている蕎麦屋の「やぶや」は今もあります。

花巻の吹張町に「やぶや」と言うそば屋が新しく開店したが、賢治はそこの天ぷらそばが大好物で「今日はブッシュへ行きましょうか」といって、友人や同僚たちをしばしば誘いました。ブッシュは英語で藪のことです。

岩手県 花巻 やぶ屋

岩手県花巻市吹張町7-17

2023年 かだんカフェに行く途中で見つける。

花巻
やぶ屋

宮沢賢治
三ツ矢サイダーと天ぷら蕎麦

やぶ屋

宮沢賢治の作り出した国際語

イーハトーヴ(岩手)、モーリス(盛岡)、ハナムーキャ(花巻)、センダード(仙台)と宮沢賢治の国際語

宮沢賢治の短歌

15歳から短歌創作開始。

高台の家に夏きぬ麦ばたけ

時に農具のしろびかり見て

水車の軸棒はひとばん泣きぬ凍りしそら微光みなぎりピチとひびいり

凍りたるはがねの空の傷口にとらじとなくからすのむれか

*1932年(36歳 )俳句をつくる。

 

賢治の読書

4年、5年は読書に熱中し、エマーソンの哲学論や哲学論やツルゲーネフやトルストイの作品に読みふけったりしました。

*私自身、宮沢賢治の童話を読みながら、どんな幼児期を過ごしたのか「素顔の宮沢賢治」の本を読んで勉強しました。

「星めぐりの歌」

宮沢賢治の出身地である花巻市では、東北新幹線・新花巻駅到着時の車内チャイムや、釜石線・新花巻駅のSL銀河が接近時から発車まで、『星めぐりの歌』のメロディが流れる。

「星めぐりの歌」

あかいめだまの さそり

ひろげた鷲(わし)の つばさ

あをいめだまの 小いぬ、

ひかりのへびの とぐろ。

オリオンは高く うたひ

つゆとしもとを おとす、

アンドロメダの くもは

さかなのくちの かたち。

大ぐまのあしを きたに

五つのばした  ところ。

小熊のひたいの うへは

そらのめぐりの めあて。

双子の星

 

吉川久子さんのCD 桜にも「星めぐりの歌」が導入されています。フルート演奏の音楽のみ


吉川久子
心に残る日本の歌

 

 

「鹿踊りのはじまり」

絵がとても素敵で気に入った絵本

鹿踊りの始まり

宮沢賢治:作

たかしたかこ:絵

*鹿踊りの映像を見てから宮沢賢治の絵本「鹿踊りの始まり」を読むと分かりやすかった。

鹿踊りのはじまり

花巻駅にある鹿踊り

鹿踊り

鹿踊り

鹿踊り

宮沢賢治童話村

鹿踊り
宮沢賢治童話村

鹿踊り
宮沢賢治童話村

 

宮沢賢治の資料として読んだ本

 

イーハトーブロマン
宮沢賢治の世界

 

イーハトーブロマンに書かれている「賢治と芸術」の文章を少し書き出しました。

芸術(絵画・音楽・演劇)

賢治と芸術

「農民芸術」

だた労働を苦しいとだけ考えては人間の心の進歩はありません。労働そのものを芸術とすべきだ。

花巻農学校の教師の時期に「飢餓陣営」「ポランの広場」「種山ヶ原」などの脚本を書いて生徒に演じさせた。

コミック・オペレッタ(歌が入る劇)

賢治は伝統芸能も大好きだった。

「鹿踊り」「剣舞」

絵画はゴッホ、ルノワールのような印象派を好んだ。

また、何かのした絵のために、自分自身でも絵を描いたりしていた。

賢治の愛用したチェロと蓄音機の写真が乗っていた。

本当の芸術

賢治は様々な面において才能を発揮し、趣味に富んだ人物でしたが、その一つに音楽があります。音楽家として特にベートーベンが好きだったようです。

セロ(チェロ)を買って演奏しました。これがきっかけで「セロ弾きのゴーシュ」の作品が作られた。

宮沢賢治のチェロ
宮沢賢治の妹トシのバイオリン

宮沢賢治のチェロ

 

賢治のセロは現在、宮沢賢治記念館に保管されている。

 

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。(農民芸術概論綱要)

「宮沢賢治農民芸術概論綱具要」の本

イーハトーブ・ファーマーズソング 宮沢賢治 作詞作曲

賢治の通った学校

盛岡中学は伝統ある学校で石川啄木・金田一京介、政治家、軍人を多数生み出した。

 

 

 

宮沢賢治を訪ねる温泉、記念館、食事

文豪聖地さんぽから

文豪聖地さんぽ

宮沢賢治記念館

宮沢賢治記念館

宮沢賢治記念館

階段

367d段

 

 

宮沢賢治イーハートーブ館

イーハートブー館2023年6月18日

岩手県花巻市高松1-1-1

*宮沢賢治記念館HPからリンクされてます。

 

岩手県 花巻 やぶ屋

岩手県花巻市吹張町7-17

藪屋のHPに書かれています。

サイダー飲みそば談義

「白藤慈秀、阿部繁、宮沢賢治の花巻農学校の先生方はビールを飲まずにサイダーを飲むことが「習性」になっていたらしい。結婚していたり独身だったりで、やぶ屋でいっぱい飲んでそばを食べるときなどは、「いっぱい」がビールでなくサイダーだったという。「いっぱい飲もうか」がビールや酒のことでなくて、サイダーだったということは、宮沢賢治ひとりではなく、高等女学校の藤原嘉藤治も一緒で、ビールや酒を飲むよりもにぎやかに楽しく会話を重ねたと言う。
宮沢賢治は、サイダーを飲んで天ぷらそばを食べるという、やぶ屋での「学習」は、盛岡に来てもやっていた。宮沢賢治はやはり花巻人なんだな、と思ったことは、ソバを一緒に食べながらよく言ったことについてだった。「ソバは花巻ですなー。」私はそういう賢治さんに、「ソバは惣門ですなー。」と言った。自分が小さいときから食べているソバが一番うまいと思うのだ。「わが家のソバが一番という話なんですなー」と賢治さんは言った。

森 荘巳池 「ふれあいの人々/宮澤賢治」より

花巻
ブッシュ

2023年賢治祭でサイダーを頂く

 

 

花巻 カフェ かだん

岩手県花巻市花城町11-12

ひゃっこ坂の下にカフェかだんがあります。

賢治ゆかりの花壇

カフェかだん
入り口

賢治ゆかりの花壇

花壇

内装

内装

窓から見る景色

アイス

宮沢賢治ゆかりの地

カフェかだんに行く途中の道

宮沢賢治ゆかりの地

 

ふくろうの大将

 

かしわばやしの夜

宮沢賢治

清作は、さあ日暮ひぐれだぞ、日暮れだぞといながら、ひえの根もとにせっせと土をかけていました。
そのときはもう、あかがねづくりのお日さまが、南の山裾やますそ群青ぐんじょういろをしたとこに落ちて、野はらはへんにさびしくなり、白樺しらかばの幹などもなにか粉をいているようでした。
いきなり、向うのかしわばやしの方から、まるで調子はずれの途方とほうもない変な声で、
欝金うこんしゃっぽのカンカラカンのカアン。」とどなるのがきこえました。
清作はびっくりして顔いろを変え、くわをなげすてて、足音をたてないように、そっとそっちへ走って行きました。
ちょうどかしわばやしの前まで来たとき、清作はふいに、うしろからえり首をつかまれました。
びっくりしてりむいてみますと、赤いトルコぼうをかぶり、ねずみいろのへんなだぶだぶの着ものを着て、くつをはいた無暗むやみにせいの高いのするどいかきが、ぷんぷんおこって立っていました。
「何というざまをしてあるくんだ。まるでうようなあんばいだ。鼠のようだ。どうだ、弁解のことばがあるか。」
清作はもちろん弁解のことばなどはありませんでしたし、面倒臭めんどうくさくなったら喧嘩けんかしてやろうとおもって、いきなり空を向いて咽喉のどいっぱい、
「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン。」とどなりました。するとそのせ高の画かきは、にわかに清作の首すじを放して、まるでえるような声で笑いだしました。その音は林にこんこんひびいたのです。
「うまい、じつにうまい。どうです、すこし林のなかをあるこうじゃありませんか。そうそう、どちらもまだ挨拶あいさつを忘れていた。ぼくからさきにやろう。いいか、いや今晩は、野はらには小さく切った影法師かげぼうしがばらきですね、と。ぼくのあいさつはこうだ。わかるかい。こんどは君だよ。えへん、えへん。」と云いながら画かきはまた急に意地悪い顔つきになって、ななめに上の方から軽べつしたように清作を見おろしました。
清作はすっかりどぎまぎしましたが、ちょうど夕がたでおなかがいて、雲が団子のように見えていましたからあわてて、
「えっ、今晩は。よいお晩でございます。えっ。お空はこれから銀のきな粉でまぶされます。ごめんなさい。」
と言いました。
ところが画かきはもうすっかりよろこんで、手をぱちぱちたたいて、それからはねあがって言いました。
「おい君、行こう。林へ行こう。おれは柏の木大王のお客さまになって来ているんだ。おもしろいものを見せてやるぞ。」
画かきはにわかにまじめになって、赤だの白だのぐちゃぐちゃついたきたない絵の具ばこをかついで、さっさと林の中にはいりました。そこで清作も、鍬をもたないで手がひまなので、ぶらぶら振ってついて行きました。
林のなかは浅黄あさぎいろで、肉桂にっけいのようなにおいがいっぱいでした。ところが入口から三本目の若い柏の木は、ちょうど片脚かたあしをあげておどりのまねをはじめるところでしたが二人の来たのを見てまるでびっくりして、それからひどくはずかしがって、あげた片脚のひざを、間がわるそうにべろべろめながら、横目でじっと二人の通りすぎるのをみていました。ことに清作が通り過ぎるときは、ちょっとあざ笑いました。清作はどうも仕方ないというような気がしてだまって画かきについて行きました。
ところがどうも、どの木も画かきには機嫌きげんのいい顔をしますが、清作にはいやな顔を見せるのでした。
一本のごつごつした柏の木が、清作の通るとき、うすくらがりに、いきなり自分の脚をつき出して、つまずかせようとしましたが清作は、
「よっとしょ。」と云いながらそれをはねえました。
画かきは、
「どうかしたかい。」といってちょっとふり向きましたが、またすぐ向うを向いてどんどんあるいて行きました。
ちょうどそのとき風が来ましたので、林中の柏の木はいっしょに、
「せらせらせら清作、せらせらせらばあ。」とうす気味のわるい声を出して清作をおどそうとしました。
ところが清作はかえってじぶんで口をすてきに大きくして横の方へまげて
「へらへらへら清作、へらへらへら、ばばあ。」とどなりつけましたので、柏の木はみんな度ぎもをぬかれてしいんとなってしまいました。画かきはあっはは、あっははとびっこのような笑いかたをしました。
そして二人はずうっと木の間を通って、柏の木大王のところに来ました。
大王は大小とりまぜて十九じゅうく本の手と、一本の太い脚とをもってりました。まわりにはしっかりしたけらいの柏どもが、まじめにたくさんがんばっています。
画かきは絵の具ばこをカタンとおろしました。すると大王はまがったこしをのばして、低い声で画かきに云いました。
「もうお帰りかの。待ってましたじゃ。そちらは新らしい客人じゃな。が、その人はよしなされ。前科者じゃぞ。前科九十八犯くじゅうはっぱんじゃぞ。」
清作が怒ってどなりました。
「うそをつけ、前科者だと。おら正直だぞ。」
大王もごつごつの胸を張って怒りました。
「なにを。証拠はちゃんとあるじゃ。また帳面にもっとるじゃ。さまの悪いおののあとのついた九十八の足さきがいまでもこの林の中にちゃんと残っているじゃ。」
「あっはっは。おかしなはなしだ。九十八の足さきというのは、九十八の切株きりかぶだろう。それがどうしたというんだ。おれはちゃんと、山主の藤助とうすけに酒を二しょう買ってあるんだ。」
「そんならおれにはなぜ酒を買わんか。」
「買ういわれがない」
「いや、ある、沢山たくさんある。買え」
「買ういわれがない」
画かきは顔をしかめて、しょんぼり立ってこの喧嘩けんかをきいていましたがこのとき、にわかに林の木の間から、東の方を指さしてさけびました。
「おいおい、喧嘩はよせ。まん円い大将に笑われるぞ。」
見ると東のとっぷりとした青い山脈の上に、大きなやさしいももいろの月がのぼったのでした。お月さまのちかくはうすい緑いろになって、かしわの若い木はみな、まるで飛びあがるように両手をそっちへ出して叫びました。
「おつきさん、おつきさん、おっつきさん、
ついお見外みそれして すみません
あんまりおなりが ちがうので
ついお見外れして すみません。」
柏の木大王も白いひげをひねって、しばらくうむうむと云いながら、じっとお月さまをながめてから、しずかに歌いだしました。
「こよいあなたは ときいろの
むかしのきもの つけなさる
かしわばやしの このよいは
なつのおどりの だいさんや

やがてあなたは みずいろの
きょうのきものを つけなさる
かしわばやしの よろこびは
あなたのそらに かかるまま。」
画かきがよろこんで手を叩きました。
「うまいうまい。よしよし。夏のおどりの第三夜。みんな順々にここに出て歌うんだ。じぶんの文句でじぶんのふしで歌うんだ。一等賞から九等くとう賞まではぼくが大きなメタルを書いて、明日あしたえだにぶらさげてやる。」
清作もすっかりかれて云いました。
「さあ来い。へたな方の一等から九等までは、あしたおれがスポンと切って、こわいとこへ連れてってやるぞ。」
するとかしわの木大王が怒りました。
「何を云うか。無礼者。」
「何が無礼だ。もう九本くほん切るだけは、とうに山主の藤助とうすけに酒を買ってあるんだ。」
「そんならおれにはなぜ買わんか。」
「買ういわれがない。」
「いやある、沢山ある。」
「ない。」
画かきが顔をしかめて手をせわしくって云いました。
「またはじまった。まあぼくがいいようにするから歌をはじめよう。だんだん星も出てきた。いいか、ぼくがうたうよ。賞品のうただよ。
一とうしょうは 白金メタル
二とうしょうは きんいろメタル
三とうしょうは すいぎんメタル
四とうしょうは ニッケルメタル
五とうしょうは とたんのメタル
六とうしょうは にせがねメタル
七とうしょうは なまりのメタル
八とうしょうは ぶりきのメタル
九とうしょうは マッチのメタル
十とうしょうから百とうしょうまで
あるやらないやらわからぬメタル。」
柏の木大王が機嫌を直してわははわははと笑いました。
柏の木どもは大王を正面に大きなをつくりました。
お月さまは、いまちょうど、水いろの着ものと取りかえたところでしたから、そこらは浅い水の底のよう、木のかげはうすくあみになって地に落ちました。
画かきは、赤いしゃっぽもゆらゆら燃えて見え、まっすぐに立って手帳をもち鉛筆えんぴつをなめました。
「さあ、早くはじめるんだ。早いのは点がいいよ。」
そこで小さな柏の木が、一本ひょいっと環のなかから飛びだして大王に礼をしました。
月のあかりがぱっと青くなりました。
「おまえのうたは題はなんだ。」画かきはもっともらしく顔をしかめて云いました。
「馬とうさです。」
「よし、はじめ、」画かきは手帳に書いて云いました。
うさぎのみみはなが……。」
「ちょっと待った。」画かきはとめました。「鉛筆が折れたんだ。ちょっとけずるうち待ってくれ。」
そして画かきはじぶんの右足のくつをぬいでその中に鉛筆を削りはじめました。柏の木は、遠くからみな感心して、ひそひそはなし合いながら見て居りました。そこで大王もとうとう言いました。
「いや、客人、ありがとう。林をきたなくせまいとの、そのおこころざしはじつにかたじけない。」
ところが画かきは平気で
「いいえ、あとでこのけずりくずをつくりますからな。」
と返事したものですからさすがの大王も、すこし工合ぐあいが悪そうに横を向き、柏の木もみな興をさまし、月のあかりもなんだか白っぽくなりました。
ところが画かきは、削るのがすんで立ちあがり、愉快ゆかいそうに、
「さあ、はじめてれ。」と云いました。
柏はざわめき、月光も青くすきとおり、大王も機嫌きげんを直してふんふんと云いました。
若い木は胸をはってあたらしく歌いました。
「うさぎのみみはながいけど
うまのみみよりながくない。」
「わあ、うまいうまい。ああはは、ああはは。」みんなはわらったりはやしたりしました。
「一とうしょう、白金メタル。」と画かきが手帳につけながら高く叫びました。
「ぼくのはきつねのうたです。」
また一本の若い柏の木がでてきました。月光はすこし緑いろになりました。
「よろしいはじめっ。」
「きつね、こんこん、きつねのこ、
月よにしっぽが燃えだした。」
「わあ、うまいうまい。わっはは、わっはは。」
「第二とうしょう、きんいろメタル。」
「こんどはぼくやります。ぼくのはねこのうたです。」
「よろしいはじめっ。」
「やまねこ、にゃあご、ごろごろ
さとねこ、たっこ、ごろごろ。」
「わあ、うまいうまい。わっはは、わっはは。」
「第三とうしょう、水銀メタル。おい、みんな、大きいやつも出るんだよ。どうしてそんなにぐずぐずしてるんだ。」画かきが少し意地わるい顔つきをしました。
「わたしのはくるみの木のうたです。」
すこし大きなかしわの木がはずかしそうに出てきました。
「よろしい、みんなしずかにするんだ。」
柏の木はうたいました。
「くるみはみどりのきんいろ、な、
風にふかれて  すいすいすい、
くるみはみどりの天狗てんぐのおうぎ、
風にふかれて  ばらんばらんばらん、
くるみはみどりのきんいろ、な、
風にふかれて  さんさんさん。」
「いいテノールだねえ。うまいねえ、わあわあ。」
「第とうしょう、ニッケルメタル。」
「ぼくのはさるのこしかけです。」
「よし、はじめ。」
柏の木は手をこしにあてました。
「こざる、こざる、
おまえのこしかけぬれてるぞ、
きり、ぽっしゃん ぽっしゃん ぽっしゃん、
おまえのこしかけくされるぞ。」
「いいテノールだねえ、いいテノールだねえ、うまいねえ、うまいねえ、わあわあ。」
「第五とうしょう、とたんのメタル。」
「わたしのはしゃっぽのうたです。」それはあの入口から三ばん目の木でした。
「よろしい。はじめ。」
「うこんしゃっぽのカンカラカンのカアン
あかいしゃっぽのカンカラカンのカアン。」
「うまいうまい。すてきだ。わあわあ。」
「第六とうしょう、にせがねメタル。」
このときまで、しかたなくおとなしく聞いていた清作が、いきなり叫びだしました。
「なんだ、この歌にせものだぞ。さっきひとのうたったのまねしたんだぞ。」
「だまれ、無礼もの、その方などの口を出すところでない。」柏の木大王がぶりぶりしてどなりました。
「なんだと、にせものだからにせものと云ったんだ。生意気いうと、あしたおのをもってきて、片っぱしからってしまうぞ。」
「なにを、こしゃくな。その方などの分際でない。」
「ばかを云え、おれはあした、山主の藤助とうすけにちゃんと二升酒を買ってくるんだ」
「そんならなぜおれには買わんか。」
「買ういわれがない。」
「買え。」
「いわれがない。」
「よせ、よせ、にせものだからにせがねのメタルをやるんだ。あんまりそう喧嘩けんかするなよ。さあ、そのつぎはどうだ。出るんだ出るんだ。」
お月さまの光が青くすきとおってそこらは湖の底のようになりました。
「わたしのは清作のうたです。」
またひとりの若い頑丈がんじょうそうな柏の木が出ました。
「何だと、」清作が前へ出てなぐりつけようとしましたら画かきがとめました。
「まあ、待ちたまえ。君のうただって悪口わるぐちともかぎらない。よろしい。はじめ。」
柏の木は足をぐらぐらしながらうたいました。
「清作は、一等卒の服を着て
野原に行って、ぶどうをたくさんとってきた。
うだ。だれかあとをつづけてくれ。」
「ホウ、ホウ。」柏の木はみんなあらしのように、清作をひやかして叫びました。
「第しちとうしょう、なまりのメタル。」
「わたしがあとをつけます。」さっきの木のとなりからすぐまた一本の柏の木がとびだしました。
「よろしい、はじめ。」
かしわの木はちらっと清作の方を見て、ちょっとばかにするようにわらいましたが、すぐまじめになってうたいました。
「清作は、葡萄ぶどうをみんなしぼりあげ
砂糖を入れて
びんにたくさんつめこんだ。
おい、だれかあとをつづけてくれ。」
「ホッホウ、ホッホウ、ホッホウ、」柏の木どもは風のような変な声をだして清作をひやかしました。
清作はもうとびだしてみんなかたっぱしからぶんなぐってやりたくてむずむずしましたが、画かきがちゃんと前へ立ちふさがっていますので、どうしても出られませんでした。
「第八等、ぶりきのメタル。」
「わたしがつぎをやります。」さっきのとなりから、また一本の柏の木がとびだしました。
「よし、はじめっ。」
「清作が 納屋なやにしまった葡萄酒は
順序ただしく
みんなはじけてなくなった。」
「わっはっはっは、わっはっはっは、ホッホウ、ホッホウ、ホッホウ。がやがやがや……。」
「やかましい。きさまら、なんだってひとの酒のことなどおぼえてやがるんだ。」清作が飛び出そうとしましたら、画かきにしっかりつかまりました。
「第とうしょう。マッチのメタル。さあ、次だ、次だ、出るんだよ。どしどし出るんだ。」
ところがみんなは、もうしんとしてしまって、ひとりもでるものがありませんでした。
「これはいかん。でろ、でろ、みんなでないといかん。でろ。」画かきはどなりましたが、もうどうしてもたれも出ませんでした。
仕方なく画かきは、
「こんどはメタルのうんといいやつを出すぞ。早く出ろ。」と云いましたら、柏の木どもははじめてざわっとしました。
そのとき林のおくの方で、さらさらさらさら音がして、それから、
「のろづきおほん、のろづきおほん、
おほん、おほん、
ごぎのごぎのおほん、
おほん、おほん、」
とたくさんのふくろうどもが、お月さまのあかりに青じろくはねをひるがえしながら、するするするする出てきて、柏の木の頭の上や手の上、かたやむねにいちめんにとまりました。
立派な金モールをつけたふくろうの大将が、上手に音もたてないで飛んできて、柏の木大王の前に出ました。そのまっ赤なのくまが、じつに奇体きたいに見えました。よほど年老としよりらしいのでした。
「今晩は、大王どの、また高貴の客人がた、今晩はちょうどわれわれの方でも、飛び方とつかき術との大試験であったのじゃが、ただいまやっと終わりましたじゃ。
ついてはこれから連合れんごうで、大乱舞会だいらんぶかいをはじめてはどうじゃろう。あまりにもたえなるうたのしらべが、われらのまどいのなかにまでひびいて来たによって、このようにまかり出ましたのじゃ。」
「たえなるうたのしらべだと、畜生ちくしょう。」清作がさけびました。
柏の木大王がきこえないふりをして大きくうなずきました。
「よろしゅうござる。しごく結構でござろう。いざ、早速とりはじめるといたそうか。」
「されば、」ふくろうの大将はみんなの方に向いてまるで黒砂糖のようなあまったるい声でうたいました。
「からすかんざえもんは
くろいあたまをくうらりくらり、
とんびとうざえもんは
あぶら一しょうでとうろりとろり、
そのくらやみはふくろうの
いさみにいさむもののふが
みみずをつかむときなるぞ
ねとりをおそうときなるぞ。」
ふくろうどもはもうみんなばかのようになってどなりました。
「のろづきおほん、
おほん、おほん、
ごぎのごぎおほん、
おほん、おほん。」
かしわの木大王がまゆをひそめて云いました。
「どうもきみたちのうたは下等じゃ。君子くんしのきくべきものではない。」
ふくろうの大将はへんな顔をしてしまいました。すると赤と白のじゅをかけたふくろうの副官が笑って云いました。
「まあ、こんやはあんまり怒らないようにいたしましょう。うたもこんどは上等のをやりますから。みんな一しょにおどりましょう。さあ木のほうも鳥のほうも用意いいか。
おつきさんおつきさん まんまるまるるるん
おほしさんおほしさん ぴかりぴりるるん
かしわはかんかの   かんからからららん
ふくろはのろづき   おっほほほほほほん。」
かしわの木は両手をあげてそりかえったり、頭や足をまるで天上に投げあげるようにしたり、一生けん命おどりました。それにあわせてふくろうどもは、さっさっと銀いろのはねを、ひらいたりとじたりしました。じつにそれがうまく合ったのでした。月の光は真珠しんじゅのように、すこしおぼろになり、柏の木大王もよろこんですぐうたいました。
「雨はざあざあ ざっざざざざざあ
風はどうどう どっどどどどどう
あられぱらぱらぱらぱらったたあ
雨はざあざあ ざっざざざざざあ」
「あっだめだ、きりが落ちてきた。」とふくろうの副官が高く叫びました。
なるほど月はもう青白い霧にかくされてしまってぼおっと円く見えるだけ、その霧はまるで矢のように林の中に降りてくるのでした。
かしわの木はみんな度をうしなって、片脚かたあしをあげたり両手をそっちへのばしたり、眼をつりあげたりしたまま化石したようにつっ立ってしまいました。
冷たい霧がさっと清作の顔にかかりました。かきはもうどこへ行ったか赤いしゃっぽだけがほうり出してあって、自分はかげもかたちもありませんでした。
霧の中を飛ぶ術のまだできていないふくろうの、ばたばたげて行く音がしました。
清作はそこで林を出ました。柏の木はみんなおどりのままの形で残念そうに横眼で清作を見送りました。
林を出てから空を見ますと、さっきまでお月さまのあったあたりはやっとぼんやりあかるくて、そこを黒い犬のような形の雲がかけて行き、林のずうっと向うの沼森のあたりから、
「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン。」と画かきが力いっぱい叫んでいる声がかすかにきこえました。

大堰川筋プロムナード

プロムナード

プロムナード

プロムナード

 

 

 

 

映画

宮沢賢治の父

映画公開小説家・門井慶喜が宮沢賢治の父である政次郎を主人公に究極の家族愛をつづった直木賞受賞作「銀河鉄道の父」を、「八日目の蝉」「いのちの停車場」の成島出監督のメガホンで映画化。

門井 慶喜「銀河鉄道の父」(講談社文庫)

銀河鉄道の父

岩手県で質屋を営む宮沢政次郎の長男・賢治は家業を継ぐ立場でありながら、適当な理由をつけてはそれを拒んでいた。学校卒業後は農業大学への進学や人工宝石の製造、宗教への傾倒と我が道を突き進む賢治に対し、政次郎は厳格な父親であろうと努めるもつい甘やかしてしまう。やがて、妹・トシの病気をきっかけに筆を執る賢治だったが……。

役所広司が政次郎役で主演を務め、長男・賢治を菅田将暉、賢治の妹・トシを森七菜、母・イチを坂井真紀、祖父・喜助を田中泯、弟・清六を豊田裕大がそれぞれ演じる。「かぐや姫の物語」「この道」の坂口理子が脚本を担当。

銀河鉄道の父

賢治の学校

宮沢賢治 童話村

宮沢賢治童話村

映画
「銀河鉄道の父」
衣装・パネル展 2023年4月29日から6月25日

映画で使われた衣装

 

アニメの映画

グスコーブドリの伝記
原作:宮沢賢治

セロ弾きゴーシュのDVDを見る

イギリス海岸

2023年7月17日 イギリス海岸を訪ねる

花巻駅東方約2kmにある賢治が命名した北上川西岸です。

イギリス海岸

イギリス海岸

イギリス海岸

イギリス海岸

イギリス海岸

イギリスのドーバー海峡の白亜の海岸を連想させる泥岩層が露出することにちなみ、賢治がイギリス海岸と名付けた場所です。
作品「イギリス海岸」の中で「全くもうイギリスあたりの白亜の海岸を歩いてゐるやうな気がするのでした。」と記しているとおり、賢治にとっての憧れからこの名を付けたといわれています。
現在は北上川水系のダム整備による河川管理が進み、水位が下がらなくなったため、泥岩層を見ることが難しくなっています。

毎年賢治の命日である9月21日には、関係各所にご協力いただき、5つのダムや猿ケ石発電所にて水量を調整して川の水位を下げる試みを行っています。

〒025-0063
岩手県花巻市上小舟渡(周辺)

イギリス海岸 説明文 宮沢賢治記念館

東北大学総合学術博物館

オオバタクルミ

塩釜ゾウ

 

日本現代詩歌文学館

〒024-8503 岩手県北上市本石町2-5-60.

令和5年3月14日(火)~令和6年3月10日(日)
午前9時から午後5時

宮沢賢治は、故郷岩手の空と大地に深く交わり、37年の生涯において、詩や童話をはじめとする多彩な文学作品を残しました。科学・宗教・芸術の広い見識に基づく専門用語、生き生きとした方言や自在なオノマトペ。豊かで新鮮な賢治のことばは、いまなお多くの人を惹きつけています。2023年は賢治の没後90年にあたり、翌24年には生前唯一の詩集『春と修羅』の刊行から100年という大きな節目を迎えます。

その詩集を賢治は自ら「心象スケッチ」と称し、己の裡に抱えた修羅や愛しい妹の死を書き留め、心に映る一瞬のなかに、永遠を見出そうとしました。「(すべてわたくしと明滅し/みんなが同時に感ずるもの)/ここまでたもちつゞけられた/かげとひかりのひとくさりづつ/そのとほりの心象スケツチです」(序)―「わたくし」という個人の心象は、「みんなが同時に感ずるもの」でもあると、賢治はいいます。この「みんな」は、賢治が山野を歩き、あるいは汽車で運ばれるうちに交感した風や雲、鳥や馬や人間たちの総体であり、絶えず変化する世界のそのものなのかもしれません。

時間と空間を超え、明滅しつづける賢治のことばは、現代を生きる詩歌人たちにどのように受けとめられるのでしょうか。賢治作品の機軸であり、あらたな詩のことばを切り拓いた「心象スケッチ」への多様な応答をとおして、今ここに浮かびあがる賢治の姿を共有し、その先にある100年を展望するべく、「賢治に献ずる詩歌」展を開催中

 

2023年7月17日

北上駅を訪ねてみた。

北上駅前付近

北上駅前

 

 

北上川と文化

 

宮沢賢治

 みやざわけんじ  1896~1933

 岩手県花巻市生まれ。詩人・童話作家として、詩「雨ニモマケズ」、童話「銀河鉄道の夜」なと多くの作品を残した。「イギリス海岸」の名付け親。

柳田國男

やなぎだくにお 1875~1962

兵庫県生まれ、民俗民俗学の創始者。著書に「遠野物語」など。民間の伝承に興味を持ち、全国の山間辺地を訪ね歩き、石巻周辺にも訪れている。

遠野物語の本を読んだことがあり、北上駅から遠野駅まで訪ねてみたいと思っている。

松尾芭蕉

松尾芭蕉

まつおばしょう 1644~1694
 伊賀上野生まれ(現在の三重県)。俳人。北上川流域には日本の俳文中の傑作として名高い紀行文「奥の細道」の文学碑が数多く残る。

松尾芭蕉についても調べている

松尾芭蕉を探す小さいな旅

土井晩翠

どいばんすい (1871~1952)
 宮城県仙台市出身。詩人、英文学者。「荒城の月」の作者。宮城県東和町の「不老仙館」を訪れ、掛け軸を残している。北上川に触れた校歌なども作詞。

土井晩翠先生邸
晩翠草堂があるため、晩翠通りと呼ばれている
仙台大町1-2-2
晩翠草堂 文学館

蒼葉城址にある土井晩翠説明文

若き日の土井晩翠の像 

高村光太郎

たかむらこうたろう (1883~1956)
 東京都出身。彫刻家・詩人。妻・智恵子の亡き後、1945年に花巻に疎開し7.5坪の粗末な山荘にて7年間、独居自炊の生活を送った。

 

斎藤茂吉

さいとうもきち (1882~1953)
 山形県上山市生まれ。アララギ派を代表する歌人。1931年に石巻を訪れ、北上川を詠っている。小説家・北杜夫の父。

*北杜夫は仙台に住んでいたことがある。

 

支倉常長

 はせくらつねなが (1571~1622)
 仙台藩主・伊達政宗の命を受けた遺欧使節。1613年、一行180人余りとともに「サン・ファン・バウティスタ号」にて石巻からローマヘ向かって出航した。

2022年 石巻を訪ねる

支倉常長

仙台城址跡には仙台で有名な支倉常長の像があります。
佐藤忠良:作

石ノ森光太郎

 いしのもりしょうたろう (1938~1997)
 宮城県中田町石森字町生まれ。漫画家。本名は小野寺事太郎。「サイボーグ009」「仮面ライダー」など、漫画界の巨匠として知られる。

石ノ森漫画館

石ノ森漫画観
宮城県石巻市中瀬2-7

石川啄木 

いしかわたくぼく (1886~1912)
 岩手県玉山村生まれ。歌人、詩人。幼少時代を過こした渋民村を流れる北上川は、岩手山とともに啄木の原風景といわれる。

 

 

私自身も2018年に仙台に帰ってか絵本を書きたいと思うようになり、絵を書くようになった。

バレエ絵本仙台版「くるみ割り人形」1

バレエ絵本 作り 仙台版「くるみ割り人形」2

バレエ童話を描いてみよう

絵本作り2022年

2023年は宮沢賢治の絵本を読むようになった。

宮沢賢治絵童話集12

風の又三郎

画 伊勢英子
「風の又三郎」
宮沢賢治

宮沢賢治絵童話9

水仙月の四日

「水仙月の四日」
画:味戸ケイコ

あらすじ

水仙月の四日に、二匹の雪狼を従えた雪童子と赤い毛布をかぶった子供が雪山で出会うところから物語が始まり、目には見えない雪童子は子供にヤドリギの枝を投げてからかい、子供は不思議そうに枝を拾って家路を急ぐが、天候が急変し、雪婆んごが別の雪童子を連れてやってくる。雪童子は鞭を鳴らし仕事にとりかかるが、雪婆んごの目をごまかして、子供の命を取る事を見逃してやる。夜になって吹雪はおさまり、雪婆んごは満足して東に去ってゆく。だれもいなくなってから、雪童子は雪に埋まった子供を掘り出して救ってやる。しかし子供は最後まで雪童子の存在に気づくことはない。

この絵本には「いちょうの実」「水仙月の四日」「タネリはたしかにいちいち噛んでいたようだった」「ひかりの素足」と言う童話が入っていました。

「水仙月の四日」はとても素敵な雪国お話だと思いました。

1924年

『注文の多い料理店』に収録され、自費出版に近いかたちで発行された。当時はあまり評価されなかった作品である。

宮沢賢治(1896~1933)の第一童話集にして、生前唯一の童話集。本書刊行直後は、一部の詩人の言及を除いてほとんど批評の対象にはならなかったが、著者の死後、にわかにその評価が高まり、現在では日本児童文学を代表する作品集の1冊とされる。宗教をはじめとして、科学やさまざまな学問・思想に裏打ちされた日本では稀有なファンタジーを、独自の世界観をもって構築したことの功績は大きい。
出版に際して作成された著者自作の「広告ちらし」によると、本童話集は「その十二巻セリーズの中の第一冊で、先ずその古風な童話としての形式と地方色とを以て類集したもの」とある。しかし、結局刊行されたのは本書一冊のみであり、これに続く童話集が出版されることはなかった。また、本童話集には「イーハトヴ童話」との名称が冠せられている。「イーハトヴ」とは、「ドリームランドとしての日本岩手県」(前出「広告ちらし」)と著者はいうが、当時の東北・岩手の厳しい現実を、何とかドリームランドにと願う良心に目覚めた賢治の姿をそこに認めることができよう。
表題作「注文の多い料理店」は、都心より狩猟に来た二人の若い紳士が山奥で道に迷い、忽然と姿を現した西洋料理店に入るが、その店主である山猫に食われそうになるという話。虚栄心に充ち満ちた紳士を揶揄的に描き、他の生き物の命を奪うことを単なる遊びとしか考えない姿勢に痛烈なしっぺ返しを行っている。本表題作のほか、全9編を収録(いずれも本書が初出)。
自費出版とも言われる初版が1000部(推定)。重版はなかった。初版時の紙型が保存されており、これを用いて1947年10月に杜陵書院から『注文の多い料理店』(B6版並製本)が出版された。ただし、本文はほぼ生かされたものの、「烏の北斗七星」は全文削除されていて、それはGHQによる検閲の影響かも知れない。なお本文をのぞく表紙等は初版時のものを踏襲していない。また、1972年に「名著復刻全集近代文学館」の1冊として完全復刻本が出た。

復元された本
注文の多い料理店

山猫軒

営業中

店内

 

鹿踊りの始まり

鹿踊りのはじまり
宮沢賢治
たかしたかこ:絵

鹿踊り
宮沢賢治童話村

おきなぐさ・いちょうの実

おきな草
いちょうの実
宮沢賢治: 作
たかしたかこ:絵

仙台メディアテークで読んだ宮沢賢治関連の本

2023年6月25日

蛙のゴム靴

絵本の表紙にある絵

ブンカエル

カエルのゴム靴
宮沢賢治童話

花巻市上町商店街のオブジェ

十字路交差点に4体ある

「どうも実に立派だね。だんだんぺネタ形になるね。」

「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思わせるね。」

なかよく雲見をしていた三匹の蛙たち。その後、人間界で流行るというゴム靴をめぐって、どんなことになったか。真剣な足のひっぱりあいが、どこかおかしみを醸しだす蛙のお話です。

宮沢賢治が描く表現豊かな蛙のお話を松成真理子がいきいきと、味わい深く鮮やかに水彩画で描いています。

カバーの折り返しに、物語には出てこない「ゴム靴の広告」が描かれているのも必見です。

 

 

蛙のゴム靴
絵本

仙台文学館

宮沢賢治展inセンダード

永久の未完成

賢治が歩いた仙台

1仙台駅

2宮城部農会 JAの前身

3旅館泉館

4加藤謙次宅

5丸善 当時は一番丁に丸善がありました。現在は仙台駅近辺にあります。

6宮城県庁

7東北帝国大学医学部附属病院 東北大学附属病院

8斎藤報恩会 錦町公園のNHK近辺にあった。

9東北産業博覧会 1928年(昭和3年)4月15日〜6月3日 会場:西公園

10東北帝国大学 東北大学 片平キャンパス

11境屋旅館 ベイブルースが泊まった旅館

12阿部写真館

13古書店文化堂

 

 

 

宮沢賢治
センダード

ポラーノの広場
宮沢賢治
画 小林敏也

あまの川

あまの川
宮沢賢治童話集

おーなり由子さんの絵が素敵でした。

宮沢賢治キーワード図鑑

宮沢賢治キーワード図鑑

星でつづる「銀河鉄道の夜」

星でつづる「銀河鉄道の夜」

宮沢賢治
銀河鉄道の夜
童話

 

 

JUNブログ

宮沢賢治関連のページを書くために借りた絵本などの紹介

賢治童話の本

双子の星

画 伊勢英子
「風の又三郎」
宮沢賢治

「水仙月の四日」
画:味戸ケイコ

鹿踊りのはじまり
宮沢賢治
たかしたかこ:絵

おきな草
いちょうの実
宮沢賢治: 作
たかしたかこ:絵
たかしたかこ 絵

イーハトーブロマン
宮沢賢治の世界

DVD

グスコーブドリの伝記
原作:宮沢賢治

宮沢賢治の食卓

映画

銀河鉄道の父
映画

いつも持ち歩いている本

宮沢賢治
詩集

宮沢賢治
童話集

「宮沢賢治ジャズに出会う」奥成達

 

宮沢賢治 童話集で「注文の多い料理店」・「セロ弾きのゴーシュを読む」を読む

 

2023年は宮沢賢治 没90年 作品

「削除された鷹のバレー」を書きました。

宮沢賢治の世界を旅して 1

宮沢賢治の世界を旅して 2

 

 

 

2022年は一枚の絵の挿絵を書きました。

2022年は絵のモデルをしながら宮城県美術館創作室で絵を書いていました。

フジコ・ヘミングの音楽を聴きながら絵を描く

雑がみ部 作品 (仙台メディアテーク7F)

バレエ童話を描いてみよう

七色の色が一本になっている鉛筆でえ
エラールピアノの絵を描く

20代の私

8歳からバレエを学び、バレエのレッスンをしながら、会社に勤め、執筆活動をしていた頃の私。絵も書いたりしてました。

太田厚先生アトリエ
宮城県 大河原

故 太田厚作
「白鳥」
モデル:渡邉順子20代の頃

藤井さと子バレエ研究所時代の発表会で踊った「ドン・キホーテ」踊り子の絵

横浜時代 結婚してからバレエの先生になる。

バレエ教師になってからは一枚の絵のモデルの絵モデルやカルチャースクールで絵のモデルをしてました。

カルメン 絵: 新井美智代

カルメン 絵: 新井美智代

モデル:渡邊順子 絵:鈴木崇夫

モデル:渡邊順子 絵:鈴木崇夫

2018年

主人と仙台暮らし

独身時代に太田厚先生の絵のモデルをしている事から仙台でもモデル復帰できた。

 

2023年も絵のモデル50代

8 歳からバレエを学んだバレエ経歴

バレエを始めた小学生の時に「ボリショィ・バレエの技法」の本を母が買ってくれた。

 

ボリショィ・バレエの技法

ボリショイバレエの技法

私がこの本を母から買ってもらったのは小学生の時だった。

A•メセレール著 中本信幸訳

このA•メセレールの妹のスラミフが私のバレエの先生でした。

アサフメセレールは1903116日にモスクワに生まれた。

父親はロシヤで名の知れた歯医者であった。余暇に読書を楽しむような人で、外国語を特に勉強したわけではなかったが、八カ国につうじていた。

母親は美人で10人の子供を生んだ。

ここからの文章はJUNKOが書く。

そして常に常に頭をよく回しながら書けとスラミフメッセレル先生からいわれながら書いた。

長女のライサは無声映画時代の映画女優として、「第ニの妻」「涙の山間」などの作品で知られる女優でマヤプリセツカヤの母。

スラミフは有名なバレリーナで日本にも何度か来朝している。

舞踊一家である。

スラミフ先生の話

「兄のアサフは16歳の時にバレエ作品コッペリアを見てバレエを始めました、彼のバレエ人生はとても遅かった」

バレエのレッスンは複雑なパと音楽がぴったり一致するまで、繰り返し練習しなければならないのです。

本から引用

ゴールスキーのレッスンの音楽伴奏を重大視し、伴奏者の仕事にたいしてきわめてきびしかった。

1924年にゴールスキーが亡くなり、アサフはチホミーロフの教室に移る。

アサフは芸術の秘密を学び、1921年にボリショイ劇場に開設された2年制の夜間舞踊学校に教師として招かれた。

スラミフ先生もよく口にする新しいコンビネーションの探求と発見、創造的な仕事をした。

舞踊家としては自分特有の色彩、タッチを追求した。

1944年からアサフのクラスではガリーナウラーノワを教え。

姪のマヤプリセツカヤも教えた。

プリセツカヤの踊りは「音楽的で詩的な感覚によって日常的な苦しい労働が真の芸術にかえられてしまうバレリーナ」

JUNKOのつぶやき

私は51歳までバレエの世界にいたが、今は書く世界にいる。

自分の色彩と言うか自分自身の味の出る文章の書き方について私はこの本から学び直しているように思う。

私はダンサーでも、バレエ教師でもないが今はこの古い本を見ているだけで、亡きスラミフメッセレル先生を思い出す。

そして宮沢賢治の世界にバレリーナの生き方を添えたい。

スラミフィ・メッセレル

メッセレル先生が踊られ田
た「リーズの結婚」

 

盛岡で初めてメッセレル先生の講習会を受ける

仙台で行われた
S ・メッセレル先生の講習会にて

ルスランとリュドミラ
より
ラトミールのまぼろし

ルスランとリュドミラ
幻の女

「ルスランとリュドミラ」
日本バレエ協会
東北支部

プログラムにサインを頂いた。
プリセツカヤ

 

 

                     闘う白鳥

バレエ大国 日本の夜明け

虹の彼方に

メッセレル先生との出会い

1984年8月27日

盛岡の黒沢智子バレエ研究所でメッセレル先生の講習会が開催された時に出会いました。
この日はメッセレル先生の76歳のお誕生日でした。私とメッセレル先生のご縁は1984年のこの日から18年続きました。

 

1985年8月、仙台でザハーロフ版「ルスランとリュドミラ」、ゴールスキー版「フレスコ」、メッセレル先生振り付け「瀕死の白鳥」を学びました。

 

1986年3月 東京メルパルクホールにて開催された「第9回 全国合同バレエの夕べ 東北支部」で順子は「ルスランとリュドミラ」の主役を踊ったのです。

1991年
順子 25歳
1991年1月11日・12日 メルパルクホール
谷桃子バレエ団公演 初演「シンデレラ」を2日間観る。

スラミフ・メッセレルと息子さんのミハイルさんがシンデレラを振付する。

5月にミラノ・スカラ座バレエ団に一週間行きレッスンを受けに行く

Sメッセレル先生、私、ミハイル・メッセレル(メッセレル先生の息子さん)

1990年 谷桃子バレエ団公演「シンデレラ」の舞台の楽屋にてメッセレル先生

ミラノ・スカラ座にて
メッセレル先生を頼ってイタリアに行った思い出。

ミラノ・スカラ座バレエ団でレッスンを受けていた頃の私とメッセレル先生。


1991年 メッセレル先生振り付け「瀕死の白鳥」を谷桃子先生の指導で踊る。(仙台初演)

1997年
順子 31歳
3月 スラミフィ・メッセレル先生の勲三等瑞宝章をお祝いする会に家族で出席する
東京バレエ団の仕事でメッセレル先生が来日。

2000年大英帝国勲章
S.メッセレル

 

 

JUNバレエスクールを開設した時のメッセージ 2001年

JUNバレエスクールを紹介する文章 スラメフィ・メッセレル

2004年にスラミフィ・メッセレル先生はイギリスで亡くなる。

2011年に「ルスランとリュドミラ」より

ヴァリェーションを踊る

ダンスカナガワフェスティバルにて

「ルスランとリュドミラ」を踊る渡邉順子

 

 

渡邉順子が描いた絵

 

みちのくお伽草子「天に昇った蝶々」

昔むかしない、あったとこに、とっても仲のいい四羽の蝶々が居たって。赤と青と黄色と紫の蝶々ない。ある天気のいい日に、広い野原であっちへヒラヒラ、こっちへヒラヒラ飛び廻って遊んでるうちに、日が暮れちまったって。ほうしたら、向こうの方に赤い灯がテカンテカンと見えたんで、「あそこさ行って泊めて貰うべ」って行ったってない。ほうして、「今夜一晩、泊めてくなんしょ」って頼んだら、白髪ほうげの婆さまが出て来て、「赤い蝶々だけは泊めてやる。ほかの蝶々は泊めらんねい」って言わっちゃと。赤い蝶々は「そんじゃ、おらも泊まんねい」ってない。ほうしたら今度あ、向こうの方に青い灯がぺカッと見えたって。ほんじぇ(それで)そこさ行って「今夜一晩、泊めてくなんしょ」って頼んだら、「青い蝶々だけは泊めてやる。ほかの蝶々は泊めらんねぇ」って言わっちゃっと青い蝶々は、「友達をさておいて、おれだけ泊まらんねぇ」ってない。ほうしたら今度ぁ、向こう方に黄色い灯りがボーッと見えたって。ほんじぇ、そこさ行って、「今夜一晩泊てくなんしょ」って言ったら「黄色い蝶々だけは泊めてやる。ほかの蝶々は泊めらんねえ」って言わちゃと。「そんじゃ、おらも泊まんねえ」ってない。ほうしたら今度ぁ、薄紫の灯がポカンと見えたってない。ほんじぇ、そこさ行って、「今度一晩」、泊めてくなんしょ」って頼んだら、「紫蝶々だけは泊めてやる。ほかの蝶々は泊めらんねえ」って言わっちゃと。ほんじぇ、四羽で木の下で抱き合って野宿することにしたって。ほうしたらお月様が、「何てお友達思いの蝶々だ」ってない、「おーい、風の神、バホラバホラ風を出して、黒雲をおっ散らしたってない。ほうしたらお月様の光りで、昼間のように明るくなったって。お月様は、「明朝、西の空に七色の虹が出る。それぞれ自分の色に捕まって上がってこ」って言ったって。次の朝ま、西の空に何ともきれいな虹が出たって。四羽の蝶々は、てんでに自分の色に掴まって、天さ昇ってったって。ほうして今でも四羽の蝶々は、あっちへヒラヒラ、こっちへヒラヒラ飛び廻って、仲良く暮らしてだって。こんじぇ(こんな風に)ざっと昔は栄えた。

福島県川俣町小神 菅野カネ

2022年12月1日 絵:渡邉順子
完成
花のワルツ

「みちのくお伽草子」

みちのくお伽草子に編集されていた「天に昇った蝶々」をヒントにバレエの絵を描いてみました。

コラージュ作品 2022年

みちのくお伽草子

 

 

 

 

*宮沢賢治を映画だけではなく舞台の世界

*「ケンジトシ」

岩手山を望む大地から天空の星々へと、その創作の翼を広げるケンジ(中村倫也)。
彼の傍らには聡明で信仰篤き妹トシ(黒木華)の姿があった。
「宮沢賢治と妹トシの物語」

スタッフ/キャスト

【作】北村想 【演出】栗山民也
【出演】
中村倫也 黒木華 山崎一 田中俊介
河内大和 野坂弘 依田朋子/徳高真奈美(ヴィオラ演奏)

  • 2023年2月22日/東京 世田谷パブリックシアター シアタートラム

 

ケンジトシの舞台

 

 

 

 

 

 

 

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