宮沢賢治の世界

宮沢賢治の世界

宮沢賢治

岩手県花巻市富沢町に生まれる

1896年8月27日ー1933年9月21日

宮沢賢治は、現在の岩手県花巻市に生まれました。賢治が生まれ、亡くなるまでをすごした当時の岩手県は、地震や津波が多く、くわえて天候不順で周期的に不作、凶作をくりかえす土地でした。賢治は、岩手の農業を救うために設立された盛岡高等農林学校で農芸化学を学び、のちに農学校の教師にもなります。

賢治が短歌や詩の制作をはじめたのは盛岡中学の時代、童話は、高等農林に在学中の1918年ごろに書きはじめている。

 

「雨ニモマケズ」

賢治が『雨ニモマケズ』を書いたのは1931年(昭和6年)11月3日だったと言われている。

雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

慾はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしは

なりたい

この詩碑が鎌倉の光則寺にある

宮沢賢治の『雨ニモマケズ、風ニモマケズ・・・』の碑がありますがお寺とは直接の関係はないそうです。

賢治が日蓮宗に深く帰依し、活動したことを称えた信者の方の浄財をもって碑を建立したとのことです。

鎌倉の光則寺は花の寺とも言われている寺で私が訪ねた頃は時計草が門の前に咲き、寺の廊下にはウサギ苔が置かれていた。

この寺を訪ねたのち、私は仙台に主人と暮らすことになった。

 

 

うさぎコケ

時計草

宮沢賢治の絵本

おきなぐさ

いちょうの実

偕成社

「おきなぐさ」

二つの小さいたましいはどうなったか、私は、それは二つの小さな変光星になったと思います。

と最後に書かれていました。

「いちょうの実」

お日様は燃える宝石のように東の空にかかり、あらんかぎりのかがやきを、悲しむ母親の木と旅に出る子供らに投げておやりなさいました。

と書かれています。

 

 

 

おきな草
いちょうの実
宮沢賢治 作
たかしたかこ 絵

小学校時代

小学生の頃、教科書で宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩を学んだ。

そして、夏休みの宿題の読書感想文は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読んで感想文を書いた。本を読むことが嫌いな私が本を読み、読んだ感想を書くと言うこと大変なことだった。原稿用紙に本のあらすじのような文章を書き、最後に自分の感想を書く。

貧しく孤独な少年ジョバンニが、親友のカムパネルラと共に銀河鉄道に乗って旅(北十字から南十字)をするというお話だった。そしてカンパネルラが川に溺れたという最後の結末。小学生の私はとって、とてもかわいそうな話を読んだと書いたように思う。

小学生の私には「銀河鉄道の夜」を読むのが難関だった、次に選んだ「どんぐりと山猫」「セロ弾きのゴージュ」は楽な気持ちで読めた。

 

「セロ弾きのゴージュ」を少しブログに紹介しているので、リンクを貼った。

宮沢賢治
童話集

「ショパンの音楽を聴きながら」第1章

「若き芸術家たちへ」からの引用

「若き芸術家たちへ」
佐藤忠良・安野光雅

小沢征爾(指揮者、斎藤秀雄に学びフランスに留学。国際的評価も高くボストン交響楽団やウィーン国立歌劇場などで音楽監督を務める)

「やあ、忠良先生は斎藤先生によく似ていらっしゃる」と小沢君(小沢征爾)が言うのね。斎藤さんの写真見たらいい男なんだよ。でも彫刻にしたら、なんだか自分に似た顔になっちゃった。

斎藤秀雄の彫刻
制作 佐藤忠良

斎藤秀雄氏がモデルの童話

日本の詩人・童話作家の宮沢賢治が書いた最後の作品「セロ弾きのゴーシュ」の中に出てくる管弦楽団の厳しい楽長(指揮者)のモデルと言われています。ちょうど留学から帰ったばかりで厳しい指導をしていた新交響楽団での斉藤の姿から考えたのではないかという説。(新交響楽団の練習を賢治が上京時に見学した時期と一致しているためです)

*宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」から引用した文章を載せている。

宮沢賢治と上野にある国際子ども図書館

国際こども図書館 撮影:2022年

宮沢賢治は大正10年1月23日、家を出て上京した。本郷の菊坂町に下宿し、東京大学前の文信社でアルバイトをしながら、国柱会や図書館へ通ったり、童話を書いたりして、8月半ばまで東京で生活した。
上野にあったため上野図書館とも呼ばれた帝国図書館にはしばしば通ったらしく、「図書館幻想」は、その頃の体験をもとに書かれた作品である。
往時の帝国図書館(明治39年3月竣工)は、昭和4年に一部増築され国立国会図書館支部上野図書館を経て、平成12年(2000年)に創立時の建物、内装の一部を復元し、新に増設された部分も併合して国際子ども図書館として開館した。

歩いて、食べる
東京のおいしい
名建築さんぽ

私が上野の国際子ども図書館を訪ねたのは2022年夏だった。「歩いて、食べる 東京のおいしい名建築さんぽ」の本を読みながら上野まで出かけました。

*東京名建築探しにリンク貼りました。

東京 名建築探し

*その後「ブルーな鎌倉」を執筆する2022年

2022年「ブルーな鎌倉」

 

「銀河街道」と言う曲で踊った思い出

ヨコハマ・コンペティションで「生きても歓喜・死んでも歓喜」という作品を踊り、金沢文化芸術祭ではフルート奏者の奏でる「銀河街道」の曲で踊りました。

「生きても歓喜・死んでも歓喜」(音楽:天空の夜明け)と言う作品が作れたことに感謝しています。。指導して頂いた前田新奈さんは谷桃子バレエ団・新国立バレエ団のソリストとして活躍、現在は振付家として活躍されています。

生命の底力を見せる舞」に私自身も挑戦できました。

ヨコハマ・コンペティション(コンクール)で踊った踊りと音楽を変えで金沢文化芸術祭でも踊りました。

2017年
金沢文化芸術祭
「生きるも歓喜 死ぬも歓喜」
音楽 銀河街道 作曲 海老原真二
吉川久子CD Un original を使用する

空には、鳥の飛ぶ道がある。
海には、魚の泳ぐ道がある。
人には、人の歩む道がある。
人間が、最も人間らしく、
価値ある人生を歩み、
向上していくための道が、
「師弟の道」である。

この詩から振付を考え踊りました。

歩き続ける道は輝く道を歩く事だけを考えていた。

これが最後の舞台になるとは思っていなかった。

その後、仙台暮らしが始まる。そして宮沢賢治の世界へ歩き始める。

アンオリジナル

私が描いた吉川久子さん
2010年 作品

金沢文化芸術祭では吉川久子さんのCDアンオリジナルから銀河街道の曲で「生きても歓喜心でも歓喜」を踊る。

吉川久子さんは宮沢賢治の世界をフルートで表現されているアーティストです。

「花巻の宮沢賢治記念館・胡四王の森などで何度もコンサートをしました。2022年は鎌倉建長寺・横浜図書館・学校・みなとみらいホールなどで宮沢賢治の世界をフルートで奏でています」と言うお話でした。

谷戸の風にのって 2020年

谷戸の風にのってに吉川久子さんの音楽などを紹介しています。

 

リハーサル中に映した私20217年の私

 

 

2023年 50代の私はまた宮沢賢治を読んでみたくなった。

宮沢賢治詩集・「素顔の宮沢賢治」を読む。

宮沢賢治
詩集

 

素顔の宮澤賢治
 板谷栄城:作

「終わりに」より

この本に書かれている蕎麦屋の「やぶや」は今もあります。

花巻の吹張町に「やぶや」と言うそば屋が新しく開店したが、賢治はそこの天ぷらそばが大好物で「今日はブッシュへ行きましょうか」といって、友人や同僚たちをしばしば誘いました。ブッシュは英語で藪のことです。

岩手県 花巻 やぶ屋

岩手県花巻市吹張町7-17

宮沢賢治の作り出した国際語

イーハトーヴ(岩手)、モーリス(盛岡)、ハナムーキャ(花巻)、センダード(仙台)と宮沢賢治の国際語

宮沢賢治の短歌

15歳から短歌創作開始。

高台の家に夏きぬ麦ばたけ

時に農具のしろびかり見て

水車の軸棒はひとばん泣きぬ凍りしそら微光みなぎりピチとひびいり

凍りたるはがねの空の傷口にとらじとなくからすのむれか

*1932年(36歳 )俳句をつくる。

 

読書

4年、5年は読書に熱中し、エマーソンの哲学論や哲学論やツルゲーネフやトルストイの作品に読みふけったりしました。

*私自身、宮沢賢治の童話を読みながら、どんな幼児期を過ごしたのか「素顔の宮沢賢治」の本を読んで勉強しました。

「星めぐりの歌」

宮沢賢治の出身地である花巻市では、東北新幹線・新花巻駅到着時の車内チャイムや、釜石線・新花巻駅のSL銀河が接近時から発車まで、『星めぐりの歌』のメロディが流れる。

「星めぐりの歌」

あかいめだまの さそり

ひろげた鷲(わし)の つばさ

あをいめだまの 小いぬ、

ひかりのへびの とぐろ。

オリオンは高く うたひ

つゆとしもとを おとす、

アンドロメダの くもは

さかなのくちの かたち。

大ぐまのあしを きたに

五つのばした  ところ。

小熊のひたいの うへは

そらのめぐりの めあて。

双子の星

 

吉川久子さんのCD 桜にも「星めぐりの歌」が導入されています。フルート演奏の音楽のみ


吉川久子
心に残る日本の歌

 

 

「鹿踊りのはじまり」

絵がとても素敵で気に入った絵本

鹿踊りの始まり

宮沢賢治:作

たかしたかこ:絵

*鹿踊りの映像を見てから宮沢賢治の絵本「鹿踊りの始まり」を読むと分かりやすかった。

鹿踊りのはじまり

イーハトーブロマンの本にあった鹿踊りの写真

宮沢賢治の資料として読んだ本

 

イーハトーブロマン
宮沢賢治の世界

 

イーハトーブロマンに書かれている「賢治と芸術」の文章を少し書き出しました。

芸術(絵画・音楽・演劇)

賢治と芸術

「農民芸術」

だた労働を苦しいとだけ考えては人間の心の進歩はありません。労働そのものを芸術とすべきだ。

花巻農学校の教師の時期に「飢餓陣営」「ポランの広場」「種山ヶ原」などの脚本を書いて生徒に演じさせた。

コミック・オペレッタ(歌が入る劇)

賢治は伝統芸能も大好きだった。

「鹿踊り」「剣舞」

絵画はゴッホ、ルノワールのような印象派を好んだ。

また、何かのした絵のために、自分自身でも絵を描いたりしていた。

賢治の愛用したチェロと蓄音機の写真が乗っていた。

本当の芸術

賢治は様々な面において才能を発揮し、趣味に富んだ人物でしたが、その一つに音楽があります。音楽家として特にベートーベンが好きだったようです。

セロ(チェロ)を買って演奏しました。これがきっかけで「セロ弾きのゴーシュ」の作品が作られた。

賢治のセロは現在、宮沢賢治記念館に保管されている。

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。(農民芸術概論綱要)

イーハトーブ・ファーマーズソング 宮沢賢治 作詞作曲

賢治の通った学校

盛岡中学は伝統ある学校で石川啄木・金田一京介、政治家、軍人を多数生み出した。

 

 

 

宮沢賢治を訪ねる温泉、記念館、食事

文豪聖地さんぽから

文豪聖地さんぽ

宮沢賢治記念館

https://www.city.hanamaki.iwate.jp/miyazawakenji/kinenkan/index.html

岩手県花巻市矢沢1-1-36

宮沢賢治イーハートーブ館

岩手県花巻市高松1-1-1

*宮沢賢治記念館HPからリンクされてます。

岩手県 新花巻 湯治屋

https://www.oosawaonsen.com/

岩手県花巻市湯口大沢181

岩手県 花巻 やぶ屋

岩手県花巻市吹張町7-17

https://yabuya.jp/

藪屋のHPに書かれています。

サイダー飲みそば談義

「白藤慈秀、阿部繁、宮沢賢治の花巻農学校の先生方はビールを飲まずにサイダーを飲むことが「習性」になっていたらしい。結婚していたり独身だったりで、やぶ屋でいっぱい飲んでそばを食べるときなどは、「いっぱい」がビールでなくサイダーだったという。「いっぱい飲もうか」がビールや酒のことでなくて、サイダーだったということは、宮沢賢治ひとりではなく、高等女学校の藤原嘉藤治も一緒で、ビールや酒を飲むよりもにぎやかに楽しく会話を重ねたと言う。
宮沢賢治は、サイダーを飲んで天ぷらそばを食べるという、やぶ屋での「学習」は、盛岡に来てもやっていた。宮沢賢治はやはり花巻人なんだな、と思ったことは、ソバを一緒に食べながらよく言ったことについてだった。「ソバは花巻ですなー。」私はそういう賢治さんに、「ソバは惣門ですなー。」と言った。自分が小さいときから食べているソバが一番うまいと思うのだ。「わが家のソバが一番という話なんですなー」と賢治さんは言った。

森 荘巳池 「ふれあいの人々/宮澤賢治」より

映画

宮沢賢治の父

映画公開小説家・門井慶喜が宮沢賢治の父である政次郎を主人公に究極の家族愛をつづった直木賞受賞作「銀河鉄道の父」を、「八日目の蝉」「いのちの停車場」の成島出監督のメガホンで映画化。

門井 慶喜「銀河鉄道の父」(講談社文庫)

銀河鉄道の父

岩手県で質屋を営む宮沢政次郎の長男・賢治は家業を継ぐ立場でありながら、適当な理由をつけてはそれを拒んでいた。学校卒業後は農業大学への進学や人工宝石の製造、宗教への傾倒と我が道を突き進む賢治に対し、政次郎は厳格な父親であろうと努めるもつい甘やかしてしまう。やがて、妹・トシの病気をきっかけに筆を執る賢治だったが……。

役所広司が政次郎役で主演を務め、長男・賢治を菅田将暉、賢治の妹・トシを森七菜、母・イチを坂井真紀、祖父・喜助を田中泯、弟・清六を豊田裕大がそれぞれ演じる。「かぐや姫の物語」「この道」の坂口理子が脚本を担当。

銀河鉄道の父

 

アニメの映画

グスコーブドリの伝記
原作:宮沢賢治

行ってみたい場所

イギリス海岸

https://www.kanko-hanamaki.ne.jp/spot/article.php?p=136

花巻駅東方約2kmにある賢治が命名した北上川西岸です。

イギリスのドーバー海峡の白亜の海岸を連想させる泥岩層が露出することにちなみ、賢治がイギリス海岸と名付けた場所です。
作品「イギリス海岸」の中で「全くもうイギリスあたりの白亜の海岸を歩いてゐるやうな気がするのでした。」と記しているとおり、賢治にとっての憧れからこの名を付けたといわれています。
現在は北上川水系のダム整備による河川管理が進み、水位が下がらなくなったため、泥岩層を見ることが難しくなっています。

毎年賢治の命日である9月21日には、関係各所にご協力いただき、5つのダムや猿ケ石発電所にて水量を調整して川の水位を下げる試みを行っています。

〒025-0063
岩手県花巻市上小舟渡(周辺)

 

北上川と文化

宮沢賢治

 みやざわけんじ  1896~1933

 岩手県花巻市生まれ。詩人・童話作家として、詩「雨ニモマケズ」、童話「銀河鉄道の夜」なと多くの作品を残した。「イギリス海岸」の名付け親。

柳田國男

やなぎだくにお 1875~1962

兵庫県生まれ、民俗民俗学の創始者。著書に「遠野物語」など。民間の伝承に興味を持ち、全国の山間辺地を訪ね歩き、石巻周辺にも訪れている。

遠野物語の本を読んだことがあり、北上駅から遠野駅まで訪ねてみたいと思っている。

松尾芭蕉

松尾芭蕉

まつおばしょう 1644~1694
 伊賀上野生まれ(現在の三重県)。俳人。北上川流域には日本の俳文中の傑作として名高い紀行文「奥の細道」の文学碑が数多く残る。

松尾芭蕉についても調べている

松尾芭蕉を探す小さいな旅

土井晩翠

どいばんすい (1871~1952)
 宮城県仙台市出身。詩人、英文学者。「荒城の月」の作者。宮城県東和町の「不老仙館」を訪れ、掛け軸を残している。北上川に触れた校歌なども作詞。

土井晩翠先生邸
晩翠草堂があるため、晩翠通りと呼ばれている
仙台大町1-2-2
晩翠草堂 文学館

若き日の土井晩翠の像 

高村光太郎

たかむらこうたろう (1883~1956)
 東京都出身。彫刻家・詩人。妻・智恵子の亡き後、1945年に花巻に疎開し7.5坪の粗末な山荘にて7年間、独居自炊の生活を送った。

 

斎藤茂吉

さいとうもきち (1882~1953)
 山形県上山市生まれ。アララギ派を代表する歌人。1931年に石巻を訪れ、北上川を詠っている。小説家・北杜夫の父。

*北杜夫は仙台に住んでいたことがある。

 

支倉常長

 はせくらつねなが (1571~1622)
 仙台藩主・伊達政宗の命を受けた遺欧使節。1613年、一行180人余りとともに「サン・ファン・バウティスタ号」にて石巻からローマヘ向かって出航した。

2022年 石巻を訪ねる

石ノ森光太郎

 いしのもりしょうたろう (1938~1997)
 宮城県中田町石森字町生まれ。漫画家。本名は小野寺事太郎。「サイボーグ009」「仮面ライダー」など、漫画界の巨匠として知られる。

支倉常長

仙台城址跡には仙台で有名な支倉常長の像があります。
佐藤忠良:作

石ノ森光太郎

石ノ森漫画館

石ノ森漫画観
宮城県石巻市中瀬2-7

石川啄木 

いしかわたくぼく (1886~1912)
 岩手県玉山村生まれ。歌人、詩人。幼少時代を過こした渋民村を流れる北上川は、岩手山とともに啄木の原風景といわれる。

 

 

私自身も2018年に仙台に帰ってか絵本を書きたいと思うようになり、絵を書くようになった。

バレエ絵本仙台版「くるみ割り人形」1

バレエ絵本 作り 仙台版「くるみ割り人形」2

バレエ童話を描いてみよう

絵本作り2022年

2023年は宮沢賢治の絵本を読むようになった。

宮沢賢治絵童話集12

風の又三郎

画 伊勢英子
「風の又三郎」
宮沢賢治

宮沢賢治絵童話9

水仙月の四日

「水仙月の四日」
画:味戸ケイコ

あらすじ

水仙月の四日に、二匹の雪狼を従えた雪童子と赤い毛布をかぶった子供が雪山で出会うところから物語が始まり、目には見えない雪童子は子供にヤドリギの枝を投げてからかい、子供は不思議そうに枝を拾って家路を急ぐが、天候が急変し、雪婆んごが別の雪童子を連れてやってくる。雪童子は鞭を鳴らし仕事にとりかかるが、雪婆んごの目をごまかして、子供の命を取る事を見逃してやる。夜になって吹雪はおさまり、雪婆んごは満足して東に去ってゆく。だれもいなくなってから、雪童子は雪に埋まった子供を掘り出して救ってやる。しかし子供は最後まで雪童子の存在に気づくことはない。

この絵本には「いちょうの実」「水仙月の四日」「タネリはたしかにいちいち噛んでいたようだった」「ひかりの素足」と言う童話が入っていました。

「水仙月の四日」はとても素敵な雪国お話だと思いました。

1924年

『注文の多い料理店』に収録され、自費出版に近いかたちで発行された。当時はあまり評価されなかった作品である。

宮沢賢治(1896~1933)の第一童話集にして、生前唯一の童話集。本書刊行直後は、一部の詩人の言及を除いてほとんど批評の対象にはならなかったが、著者の死後、にわかにその評価が高まり、現在では日本児童文学を代表する作品集の1冊とされる。宗教をはじめとして、科学やさまざまな学問・思想に裏打ちされた日本では稀有なファンタジーを、独自の世界観をもって構築したことの功績は大きい。
出版に際して作成された著者自作の「広告ちらし」によると、本童話集は「その十二巻セリーズの中の第一冊で、先ずその古風な童話としての形式と地方色とを以て類集したもの」とある。しかし、結局刊行されたのは本書一冊のみであり、これに続く童話集が出版されることはなかった。また、本童話集には「イーハトヴ童話」との名称が冠せられている。「イーハトヴ」とは、「ドリームランドとしての日本岩手県」(前出「広告ちらし」)と著者はいうが、当時の東北・岩手の厳しい現実を、何とかドリームランドにと願う良心に目覚めた賢治の姿をそこに認めることができよう。
表題作「注文の多い料理店」は、都心より狩猟に来た二人の若い紳士が山奥で道に迷い、忽然と姿を現した西洋料理店に入るが、その店主である山猫に食われそうになるという話。虚栄心に充ち満ちた紳士を揶揄的に描き、他の生き物の命を奪うことを単なる遊びとしか考えない姿勢に痛烈なしっぺ返しを行っている。本表題作のほか、全9編を収録(いずれも本書が初出)。
自費出版とも言われる初版が1000部(推定)。重版はなかった。初版時の紙型が保存されており、これを用いて1947年10月に杜陵書院から『注文の多い料理店』(B6版並製本)が出版された。ただし、本文はほぼ生かされたものの、「烏の北斗七星」は全文削除されていて、それはGHQによる検閲の影響かも知れない。なお本文をのぞく表紙等は初版時のものを踏襲していない。また、1972年に「名著復刻全集近代文学館」の1冊として完全復刻本が出た。

復元された本
注文の多い料理店

 

鹿踊りの始まり

鹿踊りのはじまり
宮沢賢治
たかしたかこ:絵

おきなぐさ・いちょうの実

おきな草
いちょうの実
宮沢賢治: 作
たかしたかこ:絵

 

 

 

 

2022年は一枚の絵の挿絵を書きました。

 

みちのくお伽草子「天に昇った蝶々」

昔むかしない、あったとこに、とっても仲のいい四羽の蝶々が居たって。赤と青と黄色と紫の蝶々ない。ある天気のいい日に、広い野原であっちへヒラヒラ、こっちへヒラヒラ飛び廻って遊んでるうちに、日が暮れちまったって。ほうしたら、向こうの方に赤い灯がテカンテカンと見えたんで、「あそこさ行って泊めて貰うべ」って行ったってない。ほうして、「今夜一晩、泊めてくなんしょ」って頼んだら、白髪ほうげの婆さまが出て来て、「赤い蝶々だけは泊めてやる。ほかの蝶々は泊めらんねい」って言わっちゃと。赤い蝶々は「そんじゃ、おらも泊まんねい」ってない。ほうしたら今度あ、向こうの方に青い灯がぺカッと見えたって。ほんじぇ(それで)そこさ行って「今夜一晩、泊めてくなんしょ」って頼んだら、「青い蝶々だけは泊めてやる。ほかの蝶々は泊めらんねぇ」って言わっちゃっと青い蝶々は、「友達をさておいて、おれだけ泊まらんねぇ」ってない。ほうしたら今度ぁ、向こう方に黄色い灯りがボーッと見えたって。ほんじぇ、そこさ行って、「今夜一晩泊てくなんしょ」って言ったら「黄色い蝶々だけは泊めてやる。ほかの蝶々は泊めらんねえ」って言わちゃと。「そんじゃ、おらも泊まんねえ」ってない。ほうしたら今度ぁ、薄紫の灯がポカンと見えたってない。ほんじぇ、そこさ行って、「今度一晩」、泊めてくなんしょ」って頼んだら、「紫蝶々だけは泊めてやる。ほかの蝶々は泊めらんねえ」って言わっちゃと。ほんじぇ、四羽で木の下で抱き合って野宿することにしたって。ほうしたらお月様が、「何てお友達思いの蝶々だ」ってない、「おーい、風の神、バホラバホラ風を出して、黒雲をおっ散らしたってない。ほうしたらお月様の光りで、昼間のように明るくなったって。お月様は、「明朝、西の空に七色の虹が出る。それぞれ自分の色に捕まって上がってこ」って言ったって。次の朝ま、西の空に何ともきれいな虹が出たって。四羽の蝶々は、てんでに自分の色に掴まって、天さ昇ってったって。ほうして今でも四羽の蝶々は、あっちへヒラヒラ、こっちへヒラヒラ飛び廻って、仲良く暮らしてだって。こんじぇ(こんな風に)ざっと昔は栄えた。

福島県川俣町小神 菅野カネ

2022年12月1日
完成
花のワルツ

「みちのくお伽草子」

みちのくお伽草子に編集されていた「天に昇った蝶々」をヒントにバレエの絵を描いてみました。

コラージュ作品 2022年

みちのくお伽草子

 

宮沢賢治を映画だけではなく舞台でも見てみたい。

*「ケンジトシ」

岩手山を望む大地から天空の星々へと、その創作の翼を広げるケンジ(中村倫也)。
彼の傍らには聡明で信仰篤き妹トシ(黒木華)の姿があった。
「宮沢賢治と妹トシの物語」

スタッフ/キャスト

【作】北村想 【演出】栗山民也
【出演】
中村倫也 黒木華 山崎一 田中俊介
河内大和 野坂弘 依田朋子/徳高真奈美(ヴィオラ演奏)

  • 2023年2月22日/東京 世田谷パブリックシアター シアタートラム

 

ケンジトシの舞台

 

 

 

 

 

 

 

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