愛する白鳥 ⭐️

「愛する白鳥」

 

月こそ心よ

花こそ心よ

白鳥は美しい

アンナ・パブロワ

アンナ・パブロワ

私の憧れのバレリーナ

「瀕死の白鳥」と言う作品を踊り続けたバレリーナ

日本におけるバレエの普及に貢献した恩人

ロシア出身の20世紀最大のバレリーナである、アンナ・パブロワ(18811931年)

 「瀕死の白鳥」等の代表作で知られる。

 「私は、劇場に響きわたる拍手喝采が成功とは思いません。成功とは、自分の理想を実現することです」

 パブロワの言葉はマーゴ・フォンテーン著、湯河京子訳『アンナ・パヴロヴァ 白鳥よ、永遠に』文化出版局。

 自分が、人から喝采されるかどうかではない。

 自分自身が人々の苦悩や悲哀と戦い、感動と希望を贈る舞を踊る事。

瀕死の白鳥
アンナ・パブロワ

アンナ・パブロワの絵本紹介2021年メデアティークで借りる7月
アンナパブロワのページにある

 

 

私自身も「瀕死の白鳥」を踊り続け、今は広瀬川下流で飛来した白鳥に餌をあげる事を楽しんでいる。

私が書いた作品

しらとり2023年

しらとり 2023年

 

第1章 序曲

マイヤ・ミハイロヴナ・プリセツカヤさんの出会い

2023年1月仙台

2018年に主人と仙台に帰って来てから、やっと広瀬川に行き、寒い中、白鳥の写真を撮った。小さい頃、八幡町の広瀬川にも白鳥は来ていた。しかし、仙台のニュースでは最近、宮沢橋の近所に白鳥が飛来する様になったと言っている。

長い事、仙台を離れ暮らしていたから、昔と今は違っている部分もある様に思う。

一体、今まで何をしていたかと言うと、踊っていた。

何故 踊っていたかと言うと「感動したから」「心を打たれたから」と言えばいいのかなー。

納得いかない。もっと上手くなりたいと言う願望もあったのから、踊っていた。

私はプリセツカヤの踊る「瀕死の白鳥」を見て感動した。

「瀕死の白鳥」を踊りたくなった。

だから、上手くなりたいと思ったから、踊っていた。

 

宮城の白鳥伝説

仙台「白鳥」(宮城 白鳥伝説)

白鳥伝説

宮城県の蔵王町の刈田嶺神社は、祭神のヤマトタケルが死後に白鳥に生まれ変わったという白鳥伝説の広まりとともに、白鳥明神を祭って白鳥大明神という別号を持つようになり、信仰の中心地になった。

宮城県 槻木駅

彫刻

小室達
1899-1953

 

 

「瀕死の白鳥物語」

私がスラミフィ・メッセレル先生と初めてお会いしたのは、1984年8月27日、その日はちょうどメッセレル先生の76歳の誕生日だった。

メッセレル先生は、世界的に有名なマイヤ・プリセツカヤさんの叔母にあたる。

プリセツカヤ の「瀕死の白鳥」の思い出

一番、感動したのは映像で観た第1回、世界バレエフェスティバルで観た、プリセツカヤの「瀕死の白鳥」。

手が湖の波のように動いている。

その手の動きを舞台袖から見つめていた。

プリセツカヤさんにとって「瀕死の白鳥」を踊ると言うことは私の人生を踊ることを言っていた。

1925年11月20日ー2015年5月2日プリセツカヤ さんの人生は静かに止まった。

プリセツカヤの「瀕死の白鳥」

「瀕死の白鳥 物語」⭐️

渡邉順子の「瀕死の白鳥」の写真

「虹の彼方に」より

1991年 メッセレル先生振り付け「瀕死の白鳥」を谷桃子先生の指導で踊る。(仙台初演)

虹の彼方に

 

 

仙台 初演の写真

1991年
「瀕死の白鳥」
仙台で初めて踊る

1991年
「瀕死の白鳥」

横浜で10年踊った「瀕死の白鳥」

「瀕死の白鳥」の練習風景 

横浜で「瀕死の白鳥」を10年踊り続けて

「瀕死の白鳥物語」遺言

 

 

2000年に鎌倉芸術館で踊った「瀕死の白鳥」

2010年まで踊り続けた「瀕死の白鳥」の最後の写真

 

天と地に一本線を描く

軸がぶれない線を書き10年踊り続けた「瀕死の白鳥」

横浜で「瀕死の白鳥」を踊り続けた頃の年表

メッセレル先生が姪のプリセツカヤさんに「瀕死の白鳥」を振り付けしたのは1941年のことだった。

メッセレル先生からこの救出劇のお話を聞いた翌年の1991年に、メッセレル先生振り付け、谷桃子先生指導の「瀕死の白鳥」を仙台で踊った。
その後結婚し、子育てしながらJUNバレエスクールを開設。10年近く「瀕死の白鳥」を踊り続けることになる。

常に自分に勝つ人が最高の芸術家
光を求めて10年間  私は私なりに舞続けた。

*しらとりのページに「瀕死の白鳥」の経歴は詳しく書いている

 

1994年3月         結婚

2000年

 4月鎌倉芸術劇場、5月横浜市イズミ公会堂

2001年

JUNバレエスクール開設

12月鎌倉芸術劇場、12月根岸駅前ステップジョイホール

2002年

骨髄バンク命のつどいチャリティーコンサート

8月関内ホール、相模大野グリーンホール

2003年

骨髄バンク命のつどいチャリティーコンサート

「白鳥の湖」相模大野グリーンホール

2004年

骨髄バンク命のつどいチャリティーコンサート

9月関内ホール、11月よこすか芸術劇場

2005年

骨髄バンク命のつどいチャリティコンサート

6月八王子芸術劇場、11月関内ホール

2006年

骨髄バンク命のつどいチァリティーコンサート

9月関内ホール、10月よこすか芸術劇場

2007年

骨髄バンク命のつどいチャリティーコンサート

2月目黒パーシモンホール、4月神奈川県民ホール

2008年

骨髄バンク命のつどいチャリティーコンサート

4月神奈川県県民ホール、10月テアトルフォンテ Yバレエ

2009年

10月テアトルフォンテ Yバレエ新作「白鳥」新作

2010年 ダンスカナガワフェスティバル 6月神奈川県立音楽堂「瀕死の白鳥」

8月いわきアリオス、10月テアトルフォンテ Yバレエ

横浜でバレエ教室を開設し「瀕死の白鳥」を踊り続けた。

2000年                本間先生、筒井先生の発表会の発表会にゲスト出演し「瀕死の白鳥」を踊る。

2001年                JUNバレエスクール開設。

2008年                JUNバレエ塾に改名。

2010年ダンスカナガワフェスティバルで「瀕死の白鳥」を踊る。

「瀕死の白鳥」渡邉順子
 評論家 藤井修治

自作自演の「瀕死の白鳥」とは言うものの百年以上前の原作に近く、奇を衒わず品よく踊った。近年多くのバレリーナが生への執着を濃厚に見せるのに対し、これが本来の姿かもしれない。

2015年                バレエの教えは辞めたが舞台には立つ。

横浜市金沢区から中区在住となり4年間をすごす。

2018年 仙台に30年ぶりに戻り仙台市民となる。

2023年1月から趣味で白鳥の写真を撮り始める。

白鳥

羽ばたきの練習中

2023年11月8日
白鳥
グレー

 

 

 

鎌倉関連

谷戸の風

2022年 谷戸の風

ブルーな鎌倉

2022年「ブルーな鎌倉」

 

2023年1月

絵本作家を目指す1

絵本作家を目指す2「赤い橋と白鳥」仙台広瀬川

絵本作家を目指す3 詩集など

文学の道を目指した2 年間

 

白鳥がいる場所

白鳥がいる広瀬川は仙台の昭和市電通りから川の方向に進むと小さな橋(聖願橋)がかけられている。

その橋を渡ると白鳥がいる川に着く。

聖願寺橋

 

 

「白鳥の奏でる音楽」

夕暮れ時

白鳥はクチバシを天高く上げ

透き通る声で歌を歌い始めた。

「コー コー コー 」

今日と言う日が終わり眠りに就くための祈りの歌なのか

家族を呼び合う合図なのか

平和の歌を歌っているよに思う

明日もこの広瀬川で人々に安らぎを与えてくれる事だろう。

冬の使者 白鳥よ。

愛らしい使者の歌は

生きる喜びを歌い上げ

生命のリズムを奏でている

夕暮れ時

川に響く白鳥の歌

今日もありがとう

「コーコーコー」と川に響く音楽

渡邉順子

 

白鳥の写真を撮りに広瀬川に行く

仙台の広瀬川下流に白鳥を見に行ったのは2023年1月の事でした。

まだグレー色の子どもの白鳥が広瀬川で父、母白鳥と一緒にいたのです。

2023年1月7日
白鳥

白鳥
2023年1月
宮沢橋

2023年1月

2023年1月7日
白鳥

2023年1月7日
白鳥

広瀬川下流

白鳥の絵

広瀬川標識

羽を怪我した白鳥

2023年1月から10月まで

グレー色の白鳥だったハクが電線で怪我をして2023年1月から10月ずーと仙台の広瀬川下流で一人ぼっち生活をしていたそうです。

 

みんなのアイドル ハク
2023年11月8日

みんなのアイドル
ハク
2023年11月8日

みんなのアイドル ハク
2023年11月8日

怪我した白鳥

ハクは他の白鳥たちとは違い餌を与えても仲間に虐められ食べれない時もありました。

2023年11月 7羽から12羽まで増えた白鳥たち

羽ばたきの練習

久しぶりにあったハク

他の白鳥たちに混じって一生懸命食べるようになっていました。

寒いし、風は強いし。

白鳥たちにパンの耳や食パンを小さくちぎって投げても白鳥ではなくカモが餌を食べてしまうことも、よくありました。

白鳥の数は7羽ぐらいでしたが、12羽ほどに増えました。

カモたちが餌を食べ白鳥が餌を食べれなかったこともありましたが、最近は白鳥が餌を食べ、カモたちは堤防に上がってくるようにもなりました。

 

アヒル5羽
鴨の雄5羽

 

2023年11月撮影

みんな並んでお散歩中
2023年11月6日

グレーと白鳥たち

白鳥2023年11月9日

羽ばたき

白鳥

白鳥

この広瀬川で生まれた子供達と子供白鳥たち

 

 

怪我した白鳥が一羽だけになっていた日もありました。

2023年11月26日

静かな広瀬川

ハクだけがいる広瀬川下流
2023年11月26日

広瀬川

2023年12月

11月26日以降、まだ広瀬川下流を訪ねていません。

少しづつ白鳥に餌を与えながら気づいたことを書いておこうと思っています。

白鳥に話しかけながら白鳥の可愛い写真も撮れるようになりました。

2023年11月8日の写真

白鳥1

ポーズ

ポーズ

ポーズ

2023年12月10日

広瀬川下流には新たな家族の白鳥一家がいました。

グレー色の白鳥が4羽。大人の白鳥が5羽

2023年
12月10日
広瀬川下流
グレーの白鳥4羽

広瀬川下流
2023年12月13日

 

広瀬橋の白鳥たち

広瀬橋の白鳥

広瀬橋の由来

橋姫

広瀬橋の南側に小さな祠がある。この祠については次のような伝承がある。 昔、長町と河原町の間に橋をかけることになった。ところが大雨が幾日も降り続き、広瀬川が暴れ出し橋を架けることができない。そのうち誰言うともなく、「これは竜神さまのお怒りにちがいない。信心深い若い娘を人柱にしないと橋はできない」という話しが出始めた。 それを聞いた百代の里(根岸)の長者のひとり娘の愛姫が「私が参ります」と名乗り出た。愛姫は断食して十八夜観音堂に籠もると4、5日して雨は止んだ。 愛姫はやさしい笑みを浮かべ観音堂から出てくると、橋のたもとに掘られた穴に生きたまま埋められた。祈りの声は翌日の明け方になって消え、広瀬川の水が金色の瀧となって天に昇ったという。川水は引き、無事に橋がかけられたという。

 

橋姫明神

橋姫明神由来

広瀬橋

広瀬橋からの眺め

 

広瀬川下流にいた白鳥たちが広瀬橋に移り住んでいた。怪我した白鳥(ハク)の姿もあった。

今までいた広瀬川下流よりも、もっと名取川に近い場所に移動したのです。この広瀬橋が最後で川の名前が広瀬川から名取川と名前が変わり、荒浜海岸に川は流れて行きます。

荒浜海岸近くにも田んぼや沼があり、東日本大震災後もたくさんの白鳥が飛来するそうです。

 

荒浜海岸

荒浜海岸

荒浜小学校

 

荒浜小学校

2011年3月11日に発生した東日本大震災において、児童や教職員、地域住民ら320人が避難し、2階まで津波が押し寄せた荒浜小学校。

被災した校舎のありのままの姿と被災直後の写真展示等により、来館者に津波の威力や脅威を実感していただき、防災・減災の意識を高める場とすることを目的に、本校舎を震災遺構として公開しています。

荒浜小学校に展示されていた

 

広瀬橋の白鳥たち

白鳥に餌をあげる

2023年1月は宮沢橋付近に白鳥がいて、寒いけど白鳥の写真を撮った。

2023年1月7日
宮沢橋

2023年10月 怪我をした白鳥がずーとこの広瀬川に住んでいたことが分かった。

ハクと言う名前をつけて写真を撮り始めた。

頭が赤い白鳥はレッド。グレー色の白鳥はグレー。

初めての餌あげ。

米を川に山盛りにしておいて置いた。

白鳥は白いコメが山の形になっている不思議な物体を食べようとしなかった。

自転車に乗っていつも、白鳥に餌を上げているおばさんが現れた。

古コメを投げる。

カモや白鳥が活気付いて食べる。

やっと餌を投げて与えることが分かった。

山の形になった白米はカモたちが綺麗に食べてくれた。

それら何度か広瀬川下流に行った。朝だったり、夕方だったり。

私の休日は白鳥の写真撮り日。

スマホで撮ったり、カメラで撮ったり。

白鳥たちとも心の触れ合いができるようになってきた。

愛宕橋付近にいた頃の白鳥の数は6羽。グレー色の白鳥が飛来し7羽。

7羽から12羽に増えた。広瀬橋にも白鳥が飛来したと言う情報が入り始める。

広瀬川の白鳥7羽

広瀬川下流からもっと先の広瀬橋に白鳥たちが移動したと言う情報を聞き、12月10日。

やっと広瀬橋に出かけて行った。

うわー本当にたくさんの白鳥たちがいるー。

あーハクもグレーもレッドもいたいたいた。

空には白鳥が飛んでいる

2023年12月10日

広瀬河畔道

橋姫

2023年12月10日 広瀬川と白鳥

広瀬橋から見た白鳥たち

広瀬河と白鳥

広瀬河と白鳥2

広瀬河と白鳥

広瀬河と白鳥
人間を怖がらない白鳥

広瀬川と白鳥

怪我した白鳥(ハク)がいた

怪我した白鳥

グレー色の白鳥

グレー色の白鳥
早く大人になーれ

グレー色の白鳥は2羽いる

広瀬川の白鳥

広瀬橋と白鳥 30羽

広瀬橋と白鳥

広瀬橋と白鳥

広瀬橋と白鳥

白鳥たち
広瀬橋付近

 

ダンスを踊ろう
広瀬川

私を映して
広瀬川

四羽の白鳥
広瀬川

30羽の白鳥たちと広瀬橋
広瀬川

白鳥30羽と広瀬橋
広瀬川

2023年12月13日

風の強い日13:oo頃の撮影

グレー色の白鳥が3羽になった。

怪我した白鳥ハク

怪我した白鳥ハク

怪我した白鳥ハク

ハク

広瀬橋の白鳥たち

風が強いねー

白鳥の羽ばたき

羽ばたき

羽ばたき

羽ばたき

羽ばたき

2羽の白鳥の舞

2羽の白鳥の舞

グレー色

グレー

グレーと白鳥たち

 

白鳥の停車駅

白鳥1

白鳥2

白鳥3

白鳥からの贈り物
羽を飾っている

 

宮沢橋の付近 宮城の歴史

鎧淵

この河原一帯は鎧淵と呼ばれ、中世の古戦場跡である。今から八〇〇年も前、

源頼朝の鎌倉軍は平泉の藤原泰衡を攻め滅ぼすため大軍で東(あずま)街道

北上し、この鎧淵が前線の一部となり戦いが行われた。

そして宮沢橋から長町方面に向かう場所に広瀬橋があり、今30羽近くの白鳥たちが羽を休めています。

この中に羽を怪我した白鳥がいるのです。

宮城県の歴史

文 渡邉順子

 

宮沢橋 2023年12月撮影

由来が書かれている。

2023年12月20日

愛宕橋の白鳥は白鳥の親と子白鳥4羽、親子と子白鳥3羽。

愛宕橋からの風景

グレー色の子白鳥
もーすぐ白白鳥になるねー

子白鳥

親2羽
子4羽

親子の白鳥
親2羽
子4羽

親子白鳥
親1羽
子4羽

 

 

 

 

広瀬橋
歩いている白鳥たち
アヒルかと思った2023年12月20日

 

白鳥のいる広瀬橋近辺にある観音像

 

広瀬橋の白鳥たち2023年12月31日・2024年1月1日の写真

2023年12月31日

広瀬橋の反対側で休んでいる白鳥たちの写真を撮る。

2024年の年賀に使用した写真
インスタ

四羽の子白鳥と親白鳥
いい場所だわ

家族仲良く

2羽の子白鳥

広瀬橋の反対側で休み白鳥たち

スイスイ小さな川に中で親子白鳥が休んでいる

白鳥親子

子白鳥2羽親白鳥

2024年1 月1日 仙台門松を眺めながら愛宕橋へ

2024年の幕が開く

 

愛宕橋近辺

仙台門松

2羽の白鳥が戯れている姿を見ている白鳥1

2024年
白鳥2

2024年
白鳥3

 

2024年1月14日

広瀬橋付近に白鳥たちがいた。

広瀬橋からみた白鳥

親子白鳥

休憩中

寛ぐ白鳥たち

子白鳥たちが10羽いた。

 

2024年1月31日撮影

2024年
愛宕橋にいる親2羽
子4羽
元気だった

2024年
白鳥たちは元気です

広瀬橋の白鳥たち

白鳥のアラベスク

白鳥アチチュード

片足バランス

片足で休憩中

白鳥のバランス写真

片足バランス

片足休憩中

白鳥の足

ちょっと不思議なポーズ

座って毛繕いする姿も素敵

ゆっくり休んでね

お茶目

怪我している白鳥

 

「ガラスのバレリーナ」

白鳥にバレエを学んだ少女の物語

谷桃子先生 没10年 記念作品

 

 

仙台で谷先生と仙台こけしと私1990年
順子 24歳
6月 コスモス文学新人賞 現代詩部門「楽屋」で佳作を受賞する。
10月20日、21日に谷桃子バレエ団・研究所を訪ねる。
メッセレル先生がロイヤル・バレエ学校で尚子さんを教えた。「シンデレラ」を尚子さんの振り付け・指導するため来日。順子はメッセレル先生について書きたいと思いバレエ団を訪ねる。

1991年
順子 25歳
1991年1月11日・12日 メルパルクホール
谷桃子バレエ団公演「シンデレラ」を2日間観る。
S・メッセレル振付

5月にミラノ・スカラ座バレエ団に一週間行きレッスンを受ける

オペラ 「ボエーム」を鑑賞する。

ミラノスカラ座

 

Sメッセレル先生、私、ミハイル・メッセレル(メッセレル先生の息子さん)1991年 メッセレル先生振り付け「瀕死の白鳥」を谷桃子先生の指導で踊る。(仙台初演)

 

 

1991年
「瀕死の白鳥」

 

横浜で2000年から2010年まで「瀕死の白鳥」を踊り続けた。

「動物の謝肉祭」の中に導入されている「白鳥」

フランスの作曲家カミーユ・サン=サーンスの作曲で「動物学的大想曲」の副題を持つ。

谷桃子先生没作品

1991年谷桃子先生から指導を受ける

谷桃子先生から指導を受ける渡邉順子 1991年

          ガラスのバレリーナ

       白鳥にバレエを学んだ少女の物語

ガラスのバレリーナ

ガラスのバレリーナのページ↓リンク貼りました。

ガラスのバレリーナ(白鳥にバレエを学んだ少女の物語)

 

「瀕死の白鳥」の振付で難しかった部分

振り付けで私が一番難しいと感じたのは、地べたに伏して死の瞬間を感じながらも片脚アチチュードでもう一度立ち上がる振り付けだった。そのシーン、何度練習しても難しかった。1991年には片脚アチチュードで立ち上がったのだが、2000年からはその振り付けはカットしてしまった。谷先生の「スパッ」の掛け声がないと上手くできなくなったのかもしれない。どんなに辛いことがあったとしても「スパッ」と立ち上がらなければならない時があると思う事もありました。

*2000年からの振付

片足ではなくルルベに振り付けを変更する

1993年ごろに稽古場で右足の靭帯を痛め一度はバレエの道を断念しましたが結婚、出産、子育て。バレエ教師の道を進みました。「瀕死の白鳥」は横浜で10年踊りました。

天より四種の花ふり虚空に音楽聞こえ。諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや」御書を学び舞い踊りました。最後の生命の舞。

谷桃子先生について

敗戦後は「白鳥の湖」を踊り、日本のバレエ の発展に生きられた方でした。

作家 三島由紀夫さんは「軽やかさ、その憂愁、そのエレガンス」と谷先生の事を語っています。

谷バレエ 団の舞台美術は猪熊弦一郎、田村孝之介、小磯良平、鈴木信太郎、脇田和、伊藤継郎と言う当時の日本画壇を代表する画家の名前が並んでいます。

*岡鹿之助画伯とも親交があった。

この部分はJUNブログにも書いています。

ガラスのバレリーナの童話ができるまで

私が1990年に書いたバレエ童話の中に登場するガラスのバレリーナのイメージを何枚も何枚もスケッチを繰り返した。

私は仙台に生まれ、宮城県美術館で小さい頃から佐藤忠良の彫刻に触れ、ごく普通に生活し、書きたい作品が「ガラスのバレリーナ」です。

バレエ童話のイメージとしては、ドカの踊り子のような雰囲気の作品。

たくさん勉強しないとわかりませんから、いつ描き終わるかわかりません。

ロダンがモデルにした花子さんと言う話しはとても表現がある像で佐藤忠良さんもロダンは日本人が作るより、もっと日本人的。

ロダンはすごい作家だと語っています。

私にはバレエ 童話 ガラスのバレリーナはいつか、完成させたい作品です。

しらとりのページに書いてある画家の紹介

小磯良平・岡鹿之助

しらとり 2023年

小磯良平 舞台美術1950年 「白鳥の湖」第2幕 ・1951年 「火の鳥」

岡鹿之助 岡先生の手紙記載されている。

岡画伯の手紙は日本の舞台史上の貴重な記録として残しておきたいと思いあえて綴った。

岡画伯は1925年ー1939年の長いパリ生活のあと、第二次大戦のため止むなく帰国。同じ、パリのアパートで互いに尊重し合う仲間であった阿部女史の進めならと谷桃子のオデットを見た。これが出会いであった。谷桃子と直接会い、自分の見たパリのバレエの話、また舞台の数々、寄席の芸人が一回一回に、いかに全霊を込めて演じているかなどを語るようになった。

「おそらく、白鳥湖の装置としては最上のものと思います。ことに第三幕は傑作。奥深さの効果。壁の色の美しさ。その壁の色と衣装との比較。衣装の色のグループ別の効果は狙う通りの効果を上げたように私も考へられます。ナポリターナは美しかったですね。

全体が優雅な色調に出来ておりましたし、構成に変化があって、海外の舞台をみている感じでした。ゴランランも成功。

第二幕の単色調と森の表現は私は賛成します。この場面は他の場面と違った一種の幻想をたたえてをりました。決してトッピなものではなく、意識しすぎたものなく、云はばごく自然を現れ方であるのに、この場面は確かに異様な雰囲気を作り出すのに成功しておりました。しかもこの表現は新しい。湖水に浮かぶ城は、二階席からでは半分しか見られないので、よくわかりませんでしたが、湖水のへりの岩(フィルムが良い)の表現など大いに賛成で、ひとりニヤニヤして眺めたことでした。確かに今後の舞台装置は全幕を通じて画家の意図するものが一本ギュと感知され、まことに結構なお仕事だったと喜んでをります。ご苦労の見事な結実と存じます。

お疲れでせう。充分なご加餐を念じ上げます。

1955年 11月13日

「谷桃子バレエ団の40年」の本から引用する

谷桃子バレエ団

谷桃子先生は1922年、1歳の時にお母さんに抱かれ アンナ・パブロワの来日公演で「瀕死の白鳥」を見、1930年からバレエの道を進みはじめたと言うこと。私は1991年に谷桃子バレエ団の稽古場で谷先生から「瀕死の白鳥」の指導を受け、仙台のバレエスタジオのクリスマスコンサートで「瀕死の白鳥」を踊りました。母になっても「ひとつの事を続けなさい」谷先生言葉。 2000年から2010年まで踊り続けた。「瀕死の白鳥」 私にとって谷桃子先生と言う存在が私を踊らせていたようにも思います。2015年4月26日 谷桃子先生没。

 

 

 

 

 

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