渡邉順子(旧岩淵順子)
JUNKO WATANABE
*ブルーな鎌倉が自伝のような作品です。
虹の彼方に
⭐️しらとり2023年を執筆中
1966年3月10日 仙台市 東北大学病院で生まれる
仙台市青葉区角五郎にある聖ドミニコ幼稚園・小学校を卒業。
仙台市立第一中学校卒業。東北生活文化大学高等学校卒業。
高校時代は演劇部に所属し3年連続 宮城県演劇コンクールで受賞
東北大学病院 放射線部受付 2年勤務
小学校2年生の2月にバレエを習い20歳まで仙台で踊り続ける。
日本バレエ協会 東北支部 「ラトミールのまぼろし」で主役を務める
*しらとりに詳しく書いています。
東京の谷桃子バレエ団・研究所でバレエを学び
1993年「ドンキホーテ」全幕にも出演する
結婚、出産、子育てをしながら娘にバレエを教える。
JUNバレエスクール、JUNバレエ塾でバレエを教える
JUNバレエ塾閉校
2018年に帰仙
2018年から院内で仕事をしている
*2021年に立石美穂モデル紹介所に所属し、絵のモデル の仕事をしている
仙台でのバレエ歴
宮城県芸術祭では合同公演「コッペリア」・「くるみ割り人形」でソリストを務める。
日本バレエ協会東北支部として東京旧郵便貯金ホール(メルバルクホール)の舞台に立つ
1982年「レ・シルフィード」・1985年「雪のあした」に出演・1986年「リスランとリュドミラ」で主役を務める。
東京1986年
1986年 東京都目黒区にある旧谷桃子バレエ団・研究所(現在は谷桃子バレエ団・所属アカデミー)でバレエを1年学ぶ。初等科・中等科で学ぶ。
仙台1989年〜1991年
橘バレエ学校 仙台教室で3年学び・メッセレル先生を頼りイタリアのミラノ・スカラ座バレエ団で1週間学ぶ(1991年5月)
1991年 谷桃子先生から「瀕死の白鳥」を学び仙台で「瀕死の白鳥」を踊る。
1992年 谷桃子バレエ団・研究所に戻る。
谷桃子バレエ団公演1982年「くるみ割り人形」
1983年 新春公演「ドンキホーテ」に出演する。
結婚し子育ていている頃
東京都杉並区和田に住み
家族で映画「スーパーの女」のエキストラをする
(近所で映画の撮影があり、エキストラで参加する)
1985年頃 TV局で観覧のアルバイトをする
「まっぴるまおう」テレビ朝日系列の番組に出演 料理を作る
2001年
横浜市磯子区根岸にあるステップジョィのスタジオを借り
「JUNバレエスクールを開設」
神奈川県大和市にあるカルチャースクールでも講師を務める。
2002年〜2008年 骨髄バンクコンサートにJUNバレエスクールとして参加。
「瀕死の白鳥」を骨髄バンクでは6年踊り続ける・創作バレエ「母」・創作バレエ「アメージング・グレース」・創作バレエ「孤独の歳月」。生徒も出演する。*「ゆつづる」の公演に出演。
2008年
JUNバレエ塾
と名称が変わる。
2010年〜2015年「ダンスカナガワフェスティバル」で踊る
「瀕死の白鳥」・「ルスランとリュドミラ」・「くるみ割り人形よりアラビアの踊り」・「バレエ藤娘」・「カルメン」「白鳥の湖」からルースカヤ
*ショパンの音楽を聴きながらにダンスカナガワフェスティバル について書いています。
JUNバレエ塾発表会
2009年12月12日 長浜ホール
横浜市金沢区長浜114-4
野口博士ゆかりの殺菌検査室も近所にあります。
生徒5人と先生の発表会
2009年〜2017年
金沢文化芸術祭 JUNバレエ塾として生徒も出演。
「湘南太平記」・「母」(2年連続)・「さくらさくら」・「バレエ藤娘」・「バレエ鷺娘」・「生きるも歓喜・死ぬも歓喜」
ダンスカナガワフェスティバルに出演
多胡版「くるみ割り人形」に出演
2013年〜2015年
横浜コンペティション(モダンのコンクール)に参加する。
「さくらさくら」・「鷺娘」・音楽:「天空の夜明け」(生きても歓喜・死んでも歓喜)
2015年〜2017年
詩吟コンサート「ふるさと」「泣くな長崎」「詩吟ジャズ」
2011年・2012年
多胡版「くるみ割り人形」に出演する
2015年にJUNバレエ塾を閉鎖。
2018年7月に帰仙。
2018年9月より勤務地 病院内で仕事をしている。
2021年12月より
立石美穂モデル紹介所に所属
2021年5月から宮城県美術館の創作室でアクリル画を描き始める。
宮城県美術館紹介
宮城県美術館 展示 (随時更新)
宮城県立美術館と仙台市内にある彫刻
仙台メディアテークの雑紙部に入部
雑紙アートを作成中
https://artnode.smt.jp/project/zatsugami
エッセなどをブログにアップしている
2023年
赤い橋と白鳥
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