宮城県美術館の彫刻(休館中)
宮城県立美術館
佐藤忠良の世界を味わうことができます。
展示室とアリスの庭があります。
*彫刻家の佐藤忠良氏は作家の高見順の彫刻を制作している(神奈川県立近代美術館に作品がある)
斎藤秀雄氏の彫刻
2024年2月6日
世界的に有名な小澤征爾さんが亡くなったと言うニュースで知りました。
宮沢賢治の世界を勉強している時にセロ弾きゴーシュに登場する指揮者のモデルが小澤征爾さんの師である斎藤秀雄ではないかと言う説があり、彫刻家の佐藤忠良が書かれた「若き芸術家たちへ」を読む。
小沢征爾(指揮者、斎藤秀雄に学びフランスに留学。国際的評価も高くボストン交響楽団やウィーン国立歌劇場などで音楽監督を務める)
「やあ、忠良先生は斎藤先生によく似ていらっしゃる」と小沢君(小沢征爾)が言うのね。斎藤さんの写真見たらいい男なんだよ。でも彫刻にしたら、なんだか自分に似た顔になっちゃった。
と書かれていた。
小澤征爾さんの指揮をTVで拝見していると生命の輝きを身体中で表現し、小澤さんの指揮をみているだけで身体で音楽を聞くんだーと訴えているかねようで、キラキラした音楽の世界の中に自分自身が溶け込んでいくかのようでした。
ご冥福をお祈り致します。
*ショパンの音楽を聴きながらのページにリンク貼りました。
支倉常長について
*石巻のページに支倉常長を紹介しています。
宮城県美術館 休館中
仙台市にある彫刻
仙台市の彫刻のあるまちづくり事業は、昭和52年度に仙台市制施行88周年記念事業として始まり、街の緑の空間に彫刻を配置し、芸術性豊かで文化の薫るまちづくりを推進してきました。
平成13年3月までに、第1期12作品、第2期12作品を設置し、24年間にわたり1年に1作品ずつ設置してきた彫刻のあるまちづくり事業が完了しました。
この事業では、学識経験者からなる「仙台市彫刻のあるまちづくり委員会」の審議報告に基づいて、先ず設置する場所を選定し、次に設置する場所にふさわしい作風の彫刻家を選定します。選定された彫刻家は、現地を視察してから作品を構想し、制作案を作成します。さらに模型による現地シミュレーションを実施し、作品を決定します。この現地オーダーメイド方式は、都市空間に調和した彫刻設置方法として多くの市町村の参考となり、「仙台方式」と呼ばれています。
これらの手順を経て設置された彫刻は、新たな美の創造として市民に親しまれ、杜の都仙台の伝統に基づいたまちづくりの象徴ともなっています。
仙台市のHPから引用しました。
http://www.city.sendai.jp/ryokukasuishin/kurashi/shizen/midori/shinse/torikumi/chokoku.html
三世代
「三世代」は、空気や木々や花々に囲まれた休息のひとときを求めて出かける数多くの家族の一例です。彫刻が設置されるまさにその地で、私はこの情景を見ることができました。構成は控えめです。人間像が坐る平らなベンチはブロックの形で、垂直に一人の娘がまっすぐにすわり、そしてもう一人の年を重ねて腰の曲がったおばあさんと、母の膝にかかえられた果物か花のような裸の子供です。台座は、周囲の緑の空間の中で、全体を際立たせるためのものです。人物像は遠くからでも人間の形を見失わないように、等身大より少し大きめです。
フランシスコ・スニガ
定禅寺通りの彫刻
定禅寺通り
夏の思い出
エミリオ・グレコ作
踊り子は生長しはじめる、寒気は無慈悲、ゼラニウムやユウカリ、香りをはなつレモンの葉は枯れた、枝の上に干からびた果物だけを残してこの厳しい寒さ、しかし空は晴れて来た枯れた小枝にも新芽は再び出て来る、喜びと生まれかわる生命の歌のように私の踊り子も生長しはじめる、その身体はしなやか、その手は心を語る青空の中にそびえ・・・
エミリオ・グレコ
定禅寺通りは12月になると仙台の冬の風物詩「光のページェント」が開催されます。彫刻の周りにあるケヤキ並木が電飾で輝きます。
水浴の女
ヴェナンツィ・クロチェッティ作一つの作品を実際に創り上げる様にさせる原因は多く、又いろいろと違うと思います。思いつきが、何か生命の現れと遭遇した時突然浮かんでくることがあり得ますし、又は何年間も心の中で熟してきている事もあります。
(略)芸術作品は、詩的な内容と形態的要素とで成立つものですから、一つの作品の効果は、主にこれらの二つの価値を如何に割り当てるかという作家の手腕による・・・
ヴェナンツォ・クロチェッティ
秋の定禅寺通り
2020年11月15日
るーぷる仙
定禅寺通りは輝いてます。光のページェント
杜の季に
勾当台公園2捲想(けんそう)のかいなの中で男は為止(しさ)さりし時の流れを女は予感の中で・・・
現在-うずまく想いのなかに
過去-男は去っていった時の流れを感じつつ
未来-女はこれからおこる諸々のことを予感しつつ
一色 邦彦
榴岡公園
我々が生きて行くことは、遠い道を行く旅人と同じである。
生まれた時から死ぬ時までの道がどのような道で、そこをいかに進んで行くのかを決定するのは、自分自身だ。様々な場にあたり、明日に希望を持ちつつ歩を進める。何が起こるか分からないこの道を皆が歩いている。
羊飼いは、荒野で生まれたばかりの小羊を背中の袋に入れて保護しつつ、相棒の犬と共に木陰で休む。小羊は次の世代を、犬は友情を、樹木は全ての生物にとって大切な自然とその恵みの象徴として構成した。
池田 宗弘
伊達政宗騎馬像
2022年 船岡にある柴田の郷土館を訪ねる
伊達政宗騎馬像の制作者 小室達(こむろとおる)
明治32年8月10日、槻木村大字入間田(現在の柴田町大字入間田)に、後に槻木町長を務める小室源吾の三男として生まれた。
大正8年、白石中学校を卒業して、東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科塑造部に入学した小室は、第4回の帝展に「想」を初出品するなど、めきめきとその頭角を現し、塑造部を首席で卒業。その後、研究科へと進んだ。そしてこの年の第5回帝展(現・美術展覧会)に出品した「洗心」からは弱冠27歳の若さで無鑑査となり、日本の美術界で、その地位を不動のものとする。
昭和8年12月に製作が開始され、約1年半の年月をかけて伊達政宗公300回忌に当る昭和10年5月に見事、政宗公騎馬像は完成し青葉城址に据え付けられた。
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