宮城の白鳥伝説
宮城県 仙台市 広瀬川に白鳥飛来した。
仙台市太白区長町1丁目
冬の使者 2023年1月から撮影開始
2023年11月
「赤い橋と白鳥」の童話を描き始めた。
2023年11月
白鳥伝説
宮城県の蔵王町の刈田嶺神社は、祭神のヤマトタケルが死後に白鳥に生まれ変わったという白鳥伝説の広まりとともに、白鳥明神を祭って白鳥大明神という別号を持つようになり、信仰の中心地になった。
「白鳥になった皇子 古事記」直木孝次郎 吉川弘文館を図書館から借りて読んでみた。
ヤマトタケルは尾張で自分の帰りを待っているミヤズ姫のことを思いおこし、力を振りしぼって。次の歌を詠んだ。
をとめの 床の辺に
我が置きし剣の大刀
その大刀はや
ヤマトタケルの命が絶えた。そして墓をつくった。
なづきの田の 稲幹に
稲幹に 這ひもとほろふ
野老蔓
ヤマトタケルは八尋もある大きな白鳥に姿をかえて、墓の中から空高く飛び立った。
浅小竹原
腰なづむ
空は行くな
白鳥は海のほうへ飛んで行く。
海処行けば
腰なづむ
大河原の植る草
海処は
いさよふ
白鳥が石の多い磯に降り立った
浜つ千鳥
浜よは行かず
磯伝ふ
白鳥は伊勢の国から空高く飛んで、河内の国の志摩まで行って、舞おり、そこに止まった。それで志紀に墓をもう一度つくり、白鳥のみささぎと呼んで、ヤマトタケルの御魂をお祭りした。けれども、白鳥はそこからまた空高く飛ぶたって、行方知れずになってしまったのです。
DVDでスーパー歌舞伎 ヤマトタケルを見る
仙台メディアテークにて
映像を見るのに、3時間かかったけれど、絵本も読んだ後にDVDを見たのであらすじも良くわかり、とても楽しく見ることができました。
小碓命後にヤマトタケル : 市川猿之助
帝○○○○○ : 市川段四郎
タケヒコ○○ : 中村歌六
熊襲兄タケル/伊吹山の山神: 坂東弥十郎
皇后/伊吹山の姥神 : 市川門之助
熊襲弟タケル/帝の使者 : 中村信二郎
尾張の国造 : 坂東竹三郎
ヘタルベ : 市川右近
兄橘姫/みやず姫 : 市川笑也
ヤイレポ/犬神の使者 : 市川猿弥
倭姫 : 市川笑三郎
弟橘姫 : 市川春猿
ヤイラム/新大臣 : 市川段治郎
*仙台には最近。白鳥が飛来したようで、白鳥信仰があった白石川の白鳥の写真も写しに行きたいと思っています。
「白鳥の碑」があるしらとり大明神 刈田郡蔵王町宮字馬場1
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白鳥古碑群 | |||||||||||||||||||||||
蔵王の冬のシンボルのひとつ、白鳥。人々に愛されるこの鳥は、昔は神様のお使いとしてあがめられていました。これは、宮の刈田嶺神社の祭神であるヤマトタケルノミコトが白鳥と縁の深いことからはじまった信仰と考えられています。この白鳥信仰に由来して、刈田嶺神社は別号を白鳥大明神(しろとりだいみょうじん)といいます。 刈田嶺神社の本殿裏には、白鳥を浮き彫りにした石碑が5つ並んでいます。ここは死んだ白鳥を葬った場所で、石碑は江戸時代に建てられた白鳥の墓碑です。最も古い江戸時代初期の寛文13年(1673年)建立の石碑は、町内でも特に古い石碑のひとつで、白鳥信仰の歴史の深さを物語っています。 |
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大高山神社
大河原町の大高山神社 宮城県柴田郡大河原金ヶ瀬台部2-1( 桜が咲く頃訪ねたい場所:2023年4月1日)
日本武尊が東国平定に向かわれたのは景行天皇40年(110)のことです。 帰り道、伊吹山にて大蛇にふれて痛み、伊勢に入り能褒野にて息絶えましたが、尊は白鳥になって飛び去りました。白鳥の飛び来たったところ全て尊の霊場として祀ったのです。
この『白鳥伝説』 が語り継がれているうちに、橘豊日尊ともまつわり合うようになってきました。
橘豊日尊は、第29代欽明天皇の皇子で、勅命を受けて東国巡幸の旅に出られました。東国の住民は心から喜んで迎え、立派な宮殿を造り奉献したといいます。ここで赤坂長者の娘玉倚姫(たまよりひめ)との恋物語を展開し、約三年間滞在されたと伝えられます。
玉倚姫は、世にもまれな美人であり、性格も温和貞淑で、尊の寵愛は募ります。
姫は、白鳥が飛び来たって胎内に入る夢を見てまもなく皇子が生まれました。尊は、入国以来白鳥を神と崇めて祈願した賜物と喜ばれました。都より帰還の命を受け、別れを惜しみ泣き叫び尊のそばを離れようともしない姫に、尊は「三年後には必ず迎えの使者を使わす」と納得させて帰られました。
心に焼きつく恋しい尊を想って三年を過ごした姫の元には使者は来ず、やがて病に倒れました。乳母は悲嘆にくれる姫を見るに偲びず、皇子を抱いて河畔に出ました。
「姫は今、尊を思い煩い、命を落とそうとしています。あなたは神様の化身だから、母上の身代わりになって、父君を呼び戻してください。」と祈り皇子を川の中に投じました。 すると、皇子は、不思議にも白鳥となって深谷の鳥越の里から大和目指して飛び立ったといいます。
やがて訃報が尊の耳に届き、姫のために立派な墓を建てて弔ったところ、日夜悲鳴していた白鳥が飛び上がり空中を旋回したと伝えられています。
ごく最近まで、白い羽を拾うと「これは白鳥の羽である」と言って、神様にお供えする風習が残っていました。白い羽を粗末に扱うと神罰があるというのは白鳥神化の思想の現れでしょう。
大高山神社と大河原の桜
2023年4月1日
仙台から白石行きの東北本船の電車に乗り、無人駅の北白川で下車。
北白川駅から白石川を渡る。
蔵王町の看板と美しい蔵王の山を眺めながら大高山に向かって歩いて行く。
桜の木があり、坂道を歩き始めた途中に大高山神社があった。
白鳥の絵馬も見つけた。
大高山から桜並木を歩き、大河原の白鳥到来地に着く。
「白鳥伝説」らしい場所だと感じた。
鉄九輪塔
文治年間、藤原泰衡の弟である和泉三郎正衡が寄進したものと伝えられています。今は原型は見られず火袋部分だけが残り、このように灯籠型値に作り変えられて保存されています。
御大典記念
大高山神社の祭神日本武尊が熊襲に酒を飲ませて退治する図です
白鳥の絵馬
神社内の写真
大高山から大河原の土手の桜を見ながら歩いた。蔵王と桜が美しかった。
桜並木の土手を歩きながら大河原駅に向かう
2023年11月8日
大河原駅
近所の薬局
商店街のポスター
白鳥飛来回遊コース
昼間に白鳥飛来の場所を訪ねても、いない。
朝から田んぼに出かけ、夕方に白石川に帰ってくるらしい。
大河原大橋には三羽の白鳥が戯れていた。
村田白鳥神社(船岡)
「奥州の蛇藤」伝説。
白鳥事件
宮城県の刈田郡や柴田郡はその信仰が特に強烈で、そのために仙台藩はこの地方で白鳥を捕獲することを固く禁じていた。
戊辰戦争に勝利し柴田郡に進軍してきた薩長軍の兵士達が、白鳥を乱獲したために、それを見かねた柴田家の家来が白鳥を守ろうと兵士に向かって発砲するという事件(白鳥事件)が起こりました。
結果、事件に関与した家来達は処刑され、その責任を取って柴田家当主は切腹したといわれています。
*宮城県栗原市「伊豆沼・内沼」の白鳥が有名
白石の思い出
私の母は白石生まれで私が小さい頃は夏休みになると白石を訪ねていた。
2022年久しぶりに母と祖母の墓参りに行ってきた。
白石川
大正時代、白石川で溺れた教え子を助けようとして殉職した教師「小野さつき」の訓導碑がある。白石市に生まれ小学校教師となった小野さつき訓導が、野外写生で訪れたこの地で、雨で増水した川にあやまって落ちた3人の生徒のうち2人を助け、最後の1人で力尽き激流にのみこまれたという話を母が白石に行く途中の川を見て教えてくれた記憶がある。
大河原・船岡
2023年 仙台の愛宕橋・宮沢橋で見かける白鳥を撮影しました。
2023年から怪我をした白鳥が広瀬川に住んでいる
撮影:2023年11月8日
広瀬川の白鳥たち
エルザと白鳥
絵:千葉勇作
国分町 花戦争の本の中にあった絵
白鳥とバレリーナの絵は白鳥伝説にあっている絵だと思いアップしました。
日本の白鳥伝説
ヤマトタケル
ヤマトタケルのあらすじ
倭建命(やまとたけるのみこと)の物語は、『古事記』の中でも、最もよく知られたもののひとつ。
景行天皇の息子・小碓命(おうすのみこと)は、とても気性が荒い少年でした。それを恐れた天皇は彼を遠ざけようと、西国に行って熊曾建(くまそたける)兄弟を討つよう命じます。まだ幼い小碓命は、わずかの兵をつれて西へと旅立ちます。
熊曾建兄弟の館は、多くの兵士によってかたく守られていました。そこで小碓命は、たばねていた長い髪をたらし、叔母からもらった衣装を身にまとって少女になりすますと、宴の時を見はからって館へ。美しい少女の姿にすっかり浮かれた兄弟のすきをついて、小碓命は一気に兄を刺し殺し、続いて逃げる弟を追い詰めます。弟は「西方に敵なしのわれら兄弟をしのぐ強者が、大倭(おおやまと)の国にはいたようだ」と武勇をたたえ、「倭建命」の名をさずけました。
みごと西方征伐を果たした倭建命でしたが、天皇はその労をねぎらうことなく、さらに東方への遠征を命じます。「父は、わたしに『早く死ね』とお思いなのだろうか? 西方征伐より帰って間もない私に、今また、兵卒も与えられず東方へ行けとおっしゃる。父は、わたしの死を願っておられるのか…」倭建命は涙にくれ、叔母に打ち明けるのです。
東国遠征は、苦難の連続でした。相武国(さがむのくに=神奈川県)では、野原の中で国造(地方官)の火攻めにあいます。また、走水の海(浦賀水道)では、海峡の神が荒波を起こして行く手をはばみました。この時、后の弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)は「倭建命さま、どうか立派に役目を果たし、大倭の地にお帰りくださいませ」と言い残し、みずから海に入って荒波をしずめるのです。
その後、東国の勇敢な神や人々を下した倭建命ですが、都へ帰る途中、伊吹山の神を討ちに行き、逆に大氷雨を浴びせられます。倭建命は瀕死の体で都を目指しますが、ついに能煩野(のぼの=三重県)で力尽きました。
「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるわし」
──倭は、国の中でもっともすばらしい場所だ。青々とした垣根のように重なりあった山々が取り囲む、うるわしき我がふるさとよ。
胸にあるのは、望郷の想いか、父への無念か。その最期に数首の歌をよみ終えた倭建命は、能煩野の地で短い命を終えました。
哀しき勇者の魂は、大きな白い鳥となって空を駆け上がり、西方へ飛び立ったといいます。
世界の白鳥伝説
童話 リア王と白鳥になった子どもたち
文:シーラ・マックギル=キャラハン
絵:ガナディ・スピリン
訳:もりおかみち
富山房インターナショナル
シェークスピア「リア王」の原型と言われる作品
この作品はアイルランドに大昔から伝わる伝説に着想を得たものです。
古代遺跡に4羽の白鳥と2人の男、2人の女を刻んだ板状石標が今も残っている。
出版社からのコメント
アイルランド伝説の3大悲劇の1つ 『リヤ王の子どもたち』をベースにした作品。
米国のソサエティ・オブ・イラストレーターズのイラスト部門でゴールドメダルを受賞した細密画のようなイラストが、
物語世界に引き込んでいきます。
野の白鳥
アンデルセンの絵本
原作:HC ・アンデルセン
訳:角野栄子
文・絵:パーナデット・ワッツ
あらすじ
北国のとある王国に、11人の王子とエリザという王女を持つ国王と王妃が幸せに暮らしていた。ある時、王妃が亡くなり、国王は再婚する。ところが新しい王妃は王子達とエリザをいじめ、王子達を白鳥に変えて追い出し、エリザを農家の養女します。
やがて15歳になったエリザは王宮に戻りマスが、美しく成長したエリザを憎らしく思った王妃は、エリザの体をクルミの汁で汚し、髪をぼさぼさに乱し、元の姿とはかけ離れた姿に変えてしまう。その醜い姿を見た父王は、こんな者は自分の娘ではないといってしまいます。
悲しみのあまりエリザは王宮を抜け出す。あてもなく歩き続けるうちに夜になり、深い森の中で眠ったエリザは翌朝、湖の水面に映った自分の醜い顔を見て驚き、沐浴すると元の姿に戻ることができた。 次の日、道で出会った老婆に「冠をかぶった11羽の白鳥を見た」と教えられ、海岸で11羽の白鳥を見つけます。それが、いなくなった11人の兄王子達でした。。王子達は日が昇ると白鳥に変わり、日が沈むと元の姿に戻るのでした。
海の向こうの国に渡る季節が来ていた王子達は、エリザを網に乗せて一緒に連れて行くことにした。 目指す国に着いたエリザは、兄達を元の姿に戻したいと神に祈りながら眠りました。すると夢の中に仙女(フェアリー)が現れ、いら草を紡いだ糸で帷子を編んで王子達に着せれば呪いが解ける、ただし編んでいる間は口をきいてはならない、さもないと王子達が死んでしまうと教えてくれました。そこでエリザはいら草を集め、帷子を編み始める。
ある日、狩りをしていたこの国の王がエリザを一目見て心惹かれ、城へ連れ帰る。大僧正が王に「この娘は魔女に違いない」と言うが、王は信じず結婚する。 エリザ王妃は隠れて帷子を編み続けるが、途中で糸が尽きてしまい、真夜中の墓地にいら草を摘みに行く。それを見ていた大僧正が王に告げ、王も疑いはじめる。
そして最後の1枚を編んでいる途中でまたしてもいら草が尽き、墓地に行ったエリザ王妃を見た王はエリサ王妃を捕らえて火あぶりの刑を言い渡す。
処刑場に向かう馬車でも帷子を編み続けるエリザ王妃を気味悪がり、民衆が帷子を引き裂こうとすると、11羽の白鳥がエリザを庇う。
処刑が始まる寸前、エリザが11枚の帷子を白鳥達に投げかけると、呪いが解けて白鳥が王子に変わった。エリザは長い間の疲れで気を失うが、一番上の兄王子が人々にいきさつを説明し、エリザの魔女の疑いは晴れる。
バレエ「白鳥の湖」
あらすじ
ある王家の王女オデットは、悪魔ロットバルトの魔法で、昼間は湖の白鳥の姿にされています。 愛を誓ってくれる男性が現れてはじめて、魔法が消えるのです。 ある晩、誕生日の宴を抜け出した、その国の王子ジークフリートが、湖にやってきて、オデットに出会い、きっと自分が助けようと決意するのでした。
アンナ・パブロワの絵本
〈伝記絵本〉
バレエを初めてみた時から身体中がうずうず、踊り出したくなった天性のバレリーナ、アンナ。 裕福な家庭ではなかったアンナが「踊りたい」という夢を叶え、バレエを世界の人達にも知って欲しい、ふれてほしい、と世界をまわる。 くるくる軽やかにふうわりと舞う、しなやかで揺るぎない心を持てるアンナがとても魅力的。
日蓮大聖人御書より
「輪陀王という大王は、この声(白鳥の鳴く声)を聞かされて、色つやは太陽のように輝き、肌は月のように鮮やかに、力は大力の那羅延のように強く、智謀、知恵は梵天王のように豊かになった」
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