懐かしの本牧暮らし1
横浜名建築のページを作りながら思い出した。
断片の記憶を書いておこうと思いました。
横浜名建築でコーヒーをの写真を見ながら思い出す記憶。
本牧暮らし
ベランダに猫が昼寝をしにくる猫の写真を撮っていました。色々な猫達が訪問してくれました。
本牧猫
横浜名建築の写真を見ながら思い出す横浜
中区と馬の関係
馬との関わりが深い本牧に住んでいた
お馬流し
本牧に住みながら海に流すお馬流しを見たことがなかったけれど、本牧通りを飾りをつけたトラックが走っていく光景はよく覚えている。本牧神社、お馬流し、お馬流し蕎麦、少し紹介しましょう。
*詳しいことは郷土資料館を訪ねてください。
神奈川県横浜市中区本牧元町76-1
本牧の8月の行事
本牧神社のお馬流し1566年から受け継がれている神事。
神奈川県無形民俗文化財、神奈川県民俗芸能五十選に指定されている。お馬さまはカヤで作った馬首亀体のお馬(首から上は馬、同体は亀の形)「お馬さま」体長は1メートル6体を神社に迎える。
旧本牧六ヶ村(門間、牛込、原、宮原、箕輪、台)六体が奉製される。
「お馬さま」を作る茅→神社境内で神職が育成した茅(カヤ)を使用する。
神社を出発したお馬体が奉載車の上に安置され、本牧の氏子町内を巡行する。この光景は本牧で見たことがある。
本牧の沖合で氏子中の危を背負ったお馬体を海に流す。
お馬流しの説
鎌倉時代、和田山に軍馬の放牧地があった頃、死んだ軍馬を海に流した。病気や災難が続いていたため、悪霊を振り払うために行った。
お馬は、御魔として邪心を流すと言う説もある。
横浜中区と馬の関係
馬車道
1868年に開通、外国人がこの道を従来した。
異国馬車から「馬車道」と呼ばれるようになった。
2022年12月馬車道のホテルに2泊して横浜を満喫してきました。
馬の博物館・根岸森林公園
横浜公園
桜木町
メリーゴーランド コスモワールド1990年にオープン
根岸
競馬場
懐かしの本牧暮らし2
三渓園と八聖殿
三渓園
八聖殿
山手68番館
山手公園
懐かしの本牧暮らし3
仙台暮らしをしながら横浜を思い出した時に書く日記
2022年8月から始める
–わが西遊記の中–
西遊記は子どもの頃に読んだことがありました。
8月11日
エリアナ・パブロワの墓は横浜山手外人墓地12地区にある。
「七里ヶ浜のバレリーナたち」を今、執筆中。訪ねてみたい場所になった。
中区に住んでいた頃、外人墓地はいつも素通りの場所だった。
ブルーな鎌倉のページにリンク貼りました。
エリアナ・パブロワのページにリンクを貼りました。
キャロル山崎さんが歌う
「港が見える丘」戦後直後1947年、平野愛子さんのヒット曲のカバー曲を聴きたくなる。
仙台・横浜ジャズ喫茶のページにリンク貼りました。
本牧に暮らしていた頃(2014年〜2018年)
私の仕事場がは横浜、桜木町にあった。
そして鎌倉にもあった。
横浜ではクラッシック・バレエを教えていたけれど、外反母趾が酷くなり、本牧に住んでいた頃はバレエを教える事や踊る事が減っていました。
東京の新宿から京王線に乗り烏山のスタジオで多胡先生のレッスンを受けたり、中華街でピラティスを受けたりしていた。自習レッスンは中区の体育館のリハーサル室を借りていました。
*2015年〜2017年頃の事は2015年カルメンのページを見てください。
私が神奈川県立音楽堂で踊っていた頃
↓
横浜市西区紅葉ヶ丘9-2
神奈川県立音楽堂
日本で初めての音楽専用ホール
「東洋一の響き」と優れた音響効果を持つホール
近代建築20選に選ばれた。
東京文化会館や京都会館などを手掛けた前川國男が設計した。
桜木町と鎌倉の仕事はホテルのブライダルの時に皿洗ったり、皿のセッティングをするバイト仕事をしていた。
2022年7月に鎌倉を訪ね書き綴っている「ブルーな鎌倉」も読んで下さい。
本牧から自転車で桜木町に行くことが当たり前でした。
桜木町、野毛、伊勢崎木町、元町、山手が私の庭。
少しつづ横浜暮らしを思い出しながら書く予定
*「横浜謎解き散歩」と「横浜・歴史の街かど」の本を参考にして書く部分もあります。
伊勢崎木町通り、旧居留地本町通り、元町は「横浜・歴史の街かど」を参考にしています。
桜木町
本牧から自転車を漕ぎ、桜木町まで。
土曜日と日曜日は桜木町でアルバイト。
2022年7月 桜木町のコンチネンタルホテルに泊まり、桜木町の夜景を楽しみました。
2014年〜2018年 本牧に住んでいました。
写真は2014年〜2018年と2022年7月3日〜5日
馬車道
伊勢崎木町
本牧
ふじやま亭
MOONカフェ
本牧ピザ
本牧 ゴールデンカップ
本牧サイダー
本牧チャブ屋
*戦前、小港町2丁目。戦後は本牧町2丁目と小港町3丁目にあったそうです。
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