「谷戸の風にのって」 1
フルート演奏者 吉川久子さんの「谷戸の風」の音楽を聴きながらの執筆活動を始めたいと思います。
いつか 吉川久子さん作曲 「谷戸の風」の曲で舞いたい。そんな気持ちから初める執筆活動です。
https://www.youtube.com/watch?v=TR9YDGxtzIs
吉川久子は東京生まれ鎌倉育ちで鎌倉と言うCDの中に「谷戸の風組曲」が導入されています。
谷戸の風は小津安二郎の映画作品の多くをプロデュースした山内静夫氏の著書「谷戸の風」からヒントを得て作曲。鎌倉の地には沢山の谷戸がありますが、そこに吹く季節の風、聴こえそうで聴こえない桜の花びらの舞い上がる春の風音。
新緑の木々を渡る風の音。枯葉をくすぐる秋の風
。そして、冬はまるで空気が音を飲み込むかのように静寂な風の音。そんな風の音を人生に重ね4楽章からなる組曲として旋律を書き上げてみました。四季折々の風の音と人生の日々を重ねてお楽しみいただければと思います。
吉川久子「鎌倉」CD解説より
「鎌倉」のCDには吉川久子さんが初めて作曲された「湘南太平記」の曲も導入されている。
「湘南太平記」には様々な思い出があるので「湘南太平記」から書かせて頂きます。
そして吉川久子さんとの出会いについても書かせて頂きます。
渡邉順子
2020年 6月 仙台 資福寺 紫陽花が咲き始めた日に。
谷戸の風にのって 2
童謡「鎌倉」と言う歌があります。
この曲のフルートの音色が2013年7月1日から数年間、鎌倉駅の発車メロディーとして流れるようになりました。
私は丁度その頃、由比ヶ浜にあるアマンダンブルーという結婚式場で土曜日、日曜日だけ仕事をしていたのです。
鎌倉仕事
いつも22時頃、鎌倉駅で吉川久子さん奏でる童謡「鎌倉」の音色を聴き横浜に帰ったものでした。
童謡「鎌倉」の歌詞8番までありますが、私が好きな歌詞の部分だけ書きます。
由比の浜べを右に見て
雪の下村 通行けば
八幡宮の御社
若宮堂の舞の袖
しずのおだまき くりかえし
返せし人を しのびつつ
建長円覚 古寺の
山門高き 松風に
昔の音やこもるらん
https://www.youtube.com/watch?v=iC3qagssGyA
この童謡は吉川久子さんのCD「鎌倉」の12月に導入されています。
私は吉川久子さんに出会い、腰越の山の上のサロン「きよこ」を訪ね、吉川久子の初の作曲「湘南太平記」で踊るチャンスに恵まれました。仕事帰りに聴いた吉川久子さんの奏でる童謡「鎌倉」のフルートメロディーは、今も時々思い出します。これから吉川久子さんのCDで何度か踊らせて頂いた思い出を少し書かせて頂きます。
吉川久子さんの出会い
2006年の秋に横浜駅のCDショップで吉川久子さんのCD「ヴィヴィト」を購入。
吉川久子さん奏でる「白鳥」・「アメージング・グレース」の曲を使用し、踊ることにしました。
2007年に骨髄バンクチャリティーコンサート 「命のつどい」で瀕死の白鳥の曲として吉川久子さんのCDヴィヴィトに導入されている「白鳥」を使用する。
2008年2月に吉川久子CDヴィヴィトに導入されている「アメージング・グレース」をJunバレエスクールの生徒と一緒に踊りました。
吉川久子さんが横浜市磯子区在住の方だと分かり、2008年にJUNバレエスクールの舞台を観に来て頂きました。
その後JUNバレエスクールからJUNバレエ塾と名前を変える。
根岸駅にあるスタジオから磯子のスポーツセンターの研修室に場所を変え、小さな子ども達10名が生徒のバレエ塾。
2009年12月12日
金沢区の長浜ホールでJUNバレエ塾の発表会を開く。吉川久子さんを招いてのコンサート。
2013年6月1日
横浜市金沢区にある新杉田劇場に吉川久子さんを招き、生のフルート演奏で一人で踊る体験レッスンを開催。JUNバレエ塾の生徒が一緒懸命、フルートの音に合わせて踊りました。
JUNバレエ塾の生徒たちがいつか、生のフルート演奏で踊れたことを思い出してほしいと
思います。
2015年にJUNバレエ塾は閉校。
現在 JUN先生は仙台暮らし中。
「仙台に帰ってきた」2018年7月
{Profile} Hisako yoshikawa
吉川久子 プロフィール(日本)
吉川久子は日本を代表するフルート奏者。様々な楽曲を優雅に奏で、彼女の音色は詩的響きと評価されている。日本コロムビアよりデビューし、数多くのCD作品を発表。チェコフィルハーモニー八重奏団やザグレブ四重奏団、ハンガリーのヨージェフ・ウトバッシュ(ギター)との共演など世界のアーチストとの共演や海外公演を行っている。
APECをはじめ、中国、青島、セルビア共和国など、経済文化交流の懸け橋として、コンサートも行っている。
リラックスタイムを演出するマタニティコンサートは、脚光を浴び、国内で50万人の胎児にフルートの音を届けた。1993年、秋篠宮紀子妃殿下、2014年秋篠宮両殿下のご臨席も仰ぎフルートの音を披露している。
世界の未来の子供たちへ、「命」「絆」「生」をテーマにチャリティコンサートも行う。
2014年より3年間、JR鎌倉駅の発車メロディとして、世界初企画として、フルートの演奏で採用され話題を集めた。
2017年には「櫻」というCDが日本航空国際線全機で紹介された。
近年、多くの作曲作品を発表。
また、エッセイの執筆や大学での講義も行っている。
新人物往来社よりエッセイを刊行。日本ペンクラブ、鎌倉ペンクラブに所属。
-吉川久子 オフィシャルホームページから引用-
渡邉順子と吉川久子さんの音楽との共演リスト
2006年の秋
横浜のCDショップで吉川久子さんの「ヴィヴィト」を購入。
2007年
瀕死の白鳥を吉川久子さんのヴィヴィトに導入されている「白鳥」で踊る。
骨髄バンクチャリティーコンサート
2008年2月
ヴィヴィトに導入されている「アメージング・グレース」をJunバレエスクールの生徒と一緒に踊る。
骨髄バンクチャリティーコンサート
2008年10月11日
バレエの先生の勉強会
横浜 テアトルフォンテ
「瀕死の白鳥」
吉川久子 作曲 湘南太平記
「叶わない恋」
その後JUNバレエスクールからJUNバレエ塾と名前を変え、根岸駅にあるスタジオから磯子のスポーツセンターでバレエを教える。
2009年10月10日に横浜のテアトルフォンでのバレエの先生の勉強会で吉川久子のCDヴィヴィト「 白鳥」で創作バレエ「白鳥」を踊る。
2009年12月12日
金沢区の長浜ホールでJUNバレエ塾の発表会を開く。JUNバレエ塾の生徒たちと吉川久子さんの小さいコンサート。
「湘南太平記」
2010年
横浜市金沢区で開催された第1回「金沢文化芸術祭」吉川久子作曲 湘南太平記の曲で踊る
2014年
ヨコハマ コンペティション
バレエ鷺娘
音楽 吉川久子 湘南太平記
バレエ鷺娘
2017年
金沢文化芸術祭
「生きるも歓喜 死ぬも歓喜」
音楽 銀河街道 作曲 海老原真二
吉川久子CD Un original を使用する
空には、鳥の飛ぶ道がある。
海には、魚の泳ぐ道がある。
人には、人の歩む道がある。
人間が、最も人間らしく、
価値ある人生を歩み、
向上していくための道が、
「師弟の道」である。
この詩から振付を考え踊りました。
鎌倉 腰越の思い出3
吉川久子の曲を聴くために鎌倉の腰越を訪ねた思い出を書かせて頂きます。
鎌倉仕事
3月になると吉川久子さんのつるし雛コンサートが山の上の小さなサロン「きよこ」で行われ、コンサートには何度か足を運びました。
鎌倉の由比ヶ浜にはよく仕事で出かけましたが、腰越という場所には行ったこともなかったので、吉川久子さんと言えば「腰越きよこ」と頭にインプットされていました。
吉川久子さんの曲「湘南太平記」「腰越状」のメロディーが頭に浮かびます。
「腰越状」
https://www.youtube.com/watch?v=c5DyWm3kY50
鎌倉駅から江ノ電に乗り腰越駅まで。
腰越は江ノ島に近く、江ノ島から大船駅までバスも出ているため帰りはバスで大船駅に行き、大船から元町・中華街まで帰った事もありました。
長く横浜市金沢区に住んでいましたが、娘が大学生になった頃、中区に引っ越し。現在は仙台に住んでいます。
吉川久子さんの曲「谷戸の風」を聴いていると自分の過去の思い出が鎌倉を吹き渡る風になり、様々な鎌倉の風景が思い出されます。
七里ヶ浜の西に腰越があり満福寺があります。源義経が壇ノ浦の戦いの後、兄の頼朝に鎌倉入りを禁じられ留まった寺です。義経が和解を求めて記した書状「腰越状」の弁慶筆とされる、下書が残っています。山の上のサロンきよこにも近い寺で、私も満福寺を訪ねたことがあります。
吉川久子作曲「腰越状」も鎌倉のCDに導入されています。
きよこからは龍口寺も近くにあり、この寺も訪ねました。この寺には木造ケヤキ造りの五重塔があります。江ノ島からもこの五重塔を眺めることができます。日蓮法難の地。
鎌倉の大町には、ぼた餅寺(常栄寺)があります。
1217年、幕府にとらわれ刑場へと向かう日蓮にひとりの老婆が胡麻入りばた餅を捧げ、その行いにより日蓮の首が繋がったのだと信じられています。
龍口寺は江ノ電の駅が近くあります。和菓子司「扇屋」は江ノ電の車両が展示されているのが目印。
片瀬海岸東浜海水浴場も近くにあり、江ノ島に行きたくなる場所です。
春、鎌倉の腰越に行き吉川久子さんのフルートの音色を聴く。それが私にとっての鎌倉の春でした。鎌倉の春の海はキラキラと輝き美しかった。
吉川久子さんのフルートの音色の原点には、鎌倉の自然の風が心地よく奏でられています。
湘南太平記
吉川久子初のオリジナル作品
ミステリー小説家、斎藤栄の2007年に発刊された時代小説「湘南太平記」(徳間文庫)のイメージ曲。鎌倉の腰越を舞台に描かれた江戸時代の儚い恋と湘南の海を感じさせる旋律を描いてみました。三方を山に囲まれ一方が海と言う鎌倉の地形を考え、江戸時代の情景を思い浮かべて、文脈からの印象を音に換えてみました。打楽器の響きは山々に木霊する風の音を、ギター分散和音は海のうねりを。そしてピアノは大地を表現しています。哀愁のある甘いく切ないフルートの旋律は登場人物の心情を表現しています。初演は神奈川県立近代文学館
鎌倉のCD解説を引用
渡邉順子の鎌倉の思い出
「瀕死の白鳥」を踊るためにメッセレル先生のお弟子さんである本間陽子先生のスタジオを訪ねたのは2000年の事だったと思います。
由比ヶ浜の近所にスタジオがありました。
2001年に横浜市磯子区でスタジオを借りJUNバレエスクールを開設。
娘が小学生の頃、北鎌倉の先生宅に家族で絵を習っていました。日曜日になると家族揃って北鎌倉へ出かけていたのです。
円覚寺、あじさい寺とも呼ばれる明月院、葉祥明美術館が絵の先生宅の近所にあり、北鎌倉観光も兼ねての習い事でした。
バレエを教えながら土日は鎌倉アマンダンブルーで結婚式のアルバイト。
鎌倉バイトは2018年の2月まで続きましたから約7年間は横浜から鎌倉に通いました。
創作バレエ「湘南太平記」の思い出も少し書いてみます。
谷戸の風にのって4
バレエ台本
2005年にABCバレエ団公演「ゆうづる」に3日間、出演するチャンスに恵まれ、そこで初めてバレエ台本を頂き、創作バレエにはバレエ台本が必要なことを学んだのです。私自身もバレエ台本を描いてみたいと思い、バレエの衣装のイメージや振り付けのイメージを絵にして描きました。音楽はストラビンスキーのバレエ音楽「火の鳥」。内容は、踊りの名手に会うために悪と闘い、正義の舞を舞い、ついには踊りの名手と会うという物語を考えたのです。
このバレエ台本を書き上げてから人生の師より長編詩「天の舞 人生の舞 芸術の舞」を頂きました。
2006年11月のことです。
吉川久子さんのCD「ヴィヴィト」を購入したのもこの年の秋でした。
吉川久子さん奏でる「白鳥」、「アメージング・グレース」で踊り、「日本に残る日本の曲コンサート」を横浜みなとみらい小ホールに聴きに行ったのは、2007年頃だったと思います。その年の12月には横浜ホテルニューグランドの「吉川久子 クリスマスコンサート」で吉川久子初の作曲「湘南太平記」を聴きました。
https://www.youtube.com/watch?v=MH2ZWlljuX8
湘南太平記 吉川久子作曲
「湘南太平記」の作家、斎藤栄先生にもお会いしました。
初めてのバレエ台本の後に書いた台本は、ストラビンスキーの音楽ではなく吉川久子さんの「湘南太平記」を使用し、2008年~2010年、2013年と2014年と吉川久子さんの音楽と共に歩んだ私のバレエ人生の歴史があります。
2008年 吉川久子さん作曲「湘南太平記」初演。
2009年 JUNバレエ塾 吉川久子さんを招いての発表会
2010年 第1回 金沢文化芸術祭で「湘南太平記」の曲を使用する。
2013年 新杉田劇場 吉川久子さんを招き フルートの音で踊る体験レッスン JUNバレエ塾
2014年 ヨコハマ・コンペティション
「鷺娘」 音楽 湘南太平記
*吉川久子さんは2005年から「日本に残る日本の曲コンサート」を開催しています。
2015年 「宮沢賢治の世界」、2017年 「奥の細道の世界」を聴きに行く。
2015年「宮沢賢治の世界」で聴いた曲「銀河街道」(吉川久子CDより)を使用し、2017年の金沢文化芸術祭で「生きても歓喜 死ぬも歓喜」と題し踊りました。
戦う、あなたの姿を目にして皆そっと涙を拭うであろう。
そして人間の誇りと幸福を思うに違いない。
君よ!
あなたよ!
夜の孤独の寂しさに負けるな!
悲しき歌を最後の歌とするな!
「勝利は友愛に支えられている」
人生の師より「天の舞、人生の舞、芸術の舞」引用。
この長編詩を読みながら私は夜中に執筆をし、吉川久子さんとLINEで対話し、「谷戸の風」の曲に自分の人生の照らし合わせながらバレエの振付を考え、文章にしたいと思っています。
2020年は吉川久子さん作曲「谷戸の風」で執筆活動中です。
バレエ台本 不死鳥 仙台の雀踊りが原点の作
谷戸の風にのって5
吉川久子さん奏でる谷戸の風の春を聴いていると鎌倉の様々な春を思い出します。
妙本寺の梅、鎌倉八幡宮の桜、由比ヶ浜の海
江ノ電に乗って腰越駅まで行く間に見る風景
吉川久子の奏でる「さくらさくら」や「春の海」はとても素敵で、いつも曲を聴きながらバランシンスタイルのバレリーナ達が私の頭の中で舞い踊っています。
さくらさくら
https://www.youtube.com/watch?v=g-j5HX5M0iE
ジョージ・バランシンは、ロシア出身のダンサー、振付家。
彼はアメリカにバレエを広めるために招かれ、アメリカ人の気質に合ったバレエを作り出しました。例えばニューヨークの若者、カップルたちが、ミュージカル映画を観に行くと同様にバレエも観に行ける、そんなバレエ作品作りを目指したのです。
鎌倉
小町通りと若宮大路でグルメを楽しみ、鎌倉の
「川喜多映画記念館」で映画を見るようにバレエを見る鎌倉スタイルのバレエ。
ですから「谷戸の風」の曲は鎌倉スタイルで、バレエ作品がいつか上演されることを願い書いてみます。
https://kamakura-kawakita.org/
渡邉順子経歴
1986年(20歳)上京。
1987年5月(21歳)帰省。
1988年 谷桃子バレエ団 新春公演
「白鳥の湖」を観に上京。
初めて、鎌倉まで足を伸ばしました。
1990年は友達と鶴岡八幡宮、鎌倉文学館、七里ヶ浜にあったエリアナ・パブロワ館を訪ねたのです。とても楽しい会話をしながら、食べながらの鎌倉観光でした。
今は無き、エリアナパブロワ館の壁には「しらとりは哀しからずやそらのあを うみのあをにも染まずたたよふ」若山牧水の和歌が書かれていました。
私は18歳の時に盛岡でバレエ教師スラミフィ・メッセレル先生の講習会を受け、19歳の時に仙台でレッスンを受けました。
「アルファベットがすべて覚えられなければ単語は書けない」とバレエの基礎の大切さを学んだのです。
1986年、私が20歳の時にメッセレル先生がロシアで踊ったグリンカ作曲「ルスランとリュドラ」の主役を踊り1991年にメッセレル先生を訪ねイタリアのミラノ・スカラ座バレエ団を訪ねたことがあったのです。
20歳の時に東京一人暮らしを経験し、体調を崩し帰省。仙台に帰った私は抜け殻のようになり、これから自分が何をすべきなのかの道を失ってしまったのです。
未練ありありで、谷バレエ団の公演を観に東京へ行くことから歩き始めました。それから段々、海外のバレ
エ団の公演を観にいくようになり、鎌倉まで足を伸ばし、絵を描いたり文章を書いたり会社勤めをし、1988年に仙台でバレエを再開。
書き物をした甲斐あってか、1990年にコスモス文学新人賞を受賞。また元気を取り戻した私は、再び東京暮らしを始めたのです。
1986年から1991年までの5年間は「ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき」藤原清輔朝臣(ふじわらのきよすけあそん)。この和歌のように光りの見えない道でも前向きにを歩き続けたのです。そしてこの暗い道を歩いた後に1993年に谷桃子バレエ団の公演にも出演。右足の靭帯を痛めバレリーナになる夢は捨て、1994年に結婚。
結婚し子育てしながら、2000年に鎌倉で「瀕死の白鳥」を踊り2001年にバレエ教師として、またバレエの道に戻りました。
大正11年(1922年)に20世紀を代表するロシアのバレリーナ、アンナ・パブロワが来日。「瀕死の白鳥」を見て観客は「ロシアの鷺娘」と感動、日本舞踊に大きな影響を与えたと言われています。
私は「瀕死の白鳥」を10年踊り続けました。「瀕死の白鳥」を踊り続ければ芸術を深く知ることができると信じていたのです。金沢区で日本舞踊の先生と巡り会い、2014年「バレエ鷺娘」を吉川久子さんの「湘南太平記」で踊ることができた事は私の人生の宝になっています。
吉川久子さん作曲「湘南太平記」の曲で初めて踊ったのは2008年11月。「我一人正義の旗物なり」で扇を持ち舞いました。その後、2010年に金沢区で行われた「金沢文化芸術祭」に参加し、お琴の先生と日本舞踊の先生に出会い2013年に「さくらさくら」の曲で日本舞踊的な創作バレエを踊りました。
18年と言う間のバレエの道は希望の光りを感じながら進んだ道でした。
そして2018年に再びの帰省。
文章を書いていた昔の自分を思い出し2020年6月。54歳、迷う事なく執筆の道を進む事にしました。
吉川久子さんの鎌倉のCDには「東風吹かば」が導入されており、谷戸の風の春と「東風吹かば」2曲をバレエ音楽として考えることにします。
「魂の輝くところにその人の前進あり」
で執筆を頑張ります。
さあ、谷戸の風の舞台の幕が上がる。
谷戸の風にのって6 春
吉川久子さんの「谷戸の風」の音楽を聴いていると。
「海の櫻が好きなのさ 海の風に養われた小さな山 小さい谷 その木々のあいだに 花が咲く」
田村隆一の「櫻」を思い受かべる。
五行説では春夏秋冬に色を配し、春は青で「青春」。夏は朱(赤)で「朱夏」。秋は白で「白秋」。冬は玄(黒)で「玄冬」。
私は仙台在住中の1988年に初めて鎌倉を訪ねる。
仙台から1990年にまた、友達と鎌倉を訪ねる。
結婚し、娘が生まれ、1999年に横浜市金沢区に住むようになってからはよく鎌倉に行くようになりました。
「瀕死の白鳥」を踊るために通った由比ヶ浜のスタジオ。仙台の母が横浜に遊びに来て母、妹、私、娘で出かけた鎌倉。
吉川久子さんの音楽を聴くために通った鎌倉。
娘の習い事で通った北鎌倉。
2018年まで仕事で通った鎌倉。
鎌倉30年の風の中に色を染めていきたいと思います。
鎌倉に感謝を込めて書き綴ります。
大島桜は海風と共に春を告げはじめます。私は四季折々の鎌倉の風景を眺めながら由比ヶ浜へ。常に由比ヶ浜の海の音を聴き、風の音を聴いていました。法華経527頁に「千百の耳の功徳」とあります。寄り道する妙本寺が私に何かを教えてくれたようにも思います。
由比ヶ浜から月を眺めながら鎌倉駅に真っ直ぐ帰る道も好きでした。
バレエ脚本には吉川久子さんの音楽から。
「谷戸の風 春」
https://www.youtube.com/watch?v=TR9YDGxtzIs
八幡宮の段葛の桜のワルツ
鎌倉鶴岡八幡宮源氏池に咲くソメイヨシノの桜たちの舞が思い描かれます。
鎌倉CD 「東風吹かば」の曲では。
鎌倉の妙本寺に咲く花海棠と日蓮の舞
「迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立つてをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか」
この寺にたとえ主人がなくとも春は訪れ、風が舞う様を私は思い浮かべた。
「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」菅原道真公の和歌
(大鏡・拾遺和歌集より)
吉川久子解説
春をつげる風、東風が吹く頃、厳しい冬の季節も別れを告げ、陽の光もやわらいできます。
梅も微かにほころび、優しい風が鎌倉の中を走ります。菅原道真公の「東風吹かばー」が思い出されます。海から音を立てて吹く2月の風は、昔も今も変わらず、海から鎌倉の山に向かい吹き、天空へ巻き上がる・・・そんな印象を感じさせます。その風の動きを旋律に置き換えてみました。海から鶴岡八幡宮まで真っ直ぐに吹く風を想像していただければと思います。
谷戸の風にのって 7
源義経と静御前
この章は源義経と静御前の別れのパドドゥを書きます。しかし、未来は必ず二人が幸せになってほしいという願いから、吉川久子CDに導入されている「花火」の曲から書かせて頂きます。次に「腰越状」の曲が別れのパドドゥ(二人で踊ること)。
「静の舞」、「海」の曲とつづきます。
『音の哀楽を以て国の盛衰を知る』(御書88頁)。
日蓮御書より
今の季節は紫陽花たちが雨に打たれ鍛えられ、磨かれています。
「鎌倉」のCDには吉川久子作曲「花火」と言う曲が導入されています。
この曲を聴いていると妖精たちが鎌倉に咲く紫陽花の花を全て摘み、鶴岡八幡宮の平家沼と源氏沼に、運ぶ情景が目に浮かびます。妖精たちは空の上から紫陽花の花で埋め尽くされた沼が見たいのです。鎌倉一番の大きな紫陽花の花火が見たいのです。
円覚寺、東慶寺、明月院、長谷寺、光則寺、浄智寺の紫陽花を摘み、鎌倉に咲く紫陽花で鎌倉一の紫陽花、「花火」を作るのです。妖精たちの楽しそうな笑い声。
「花火」と言う曲は紫陽花のワルツと名付け、紫陽花色の衣装を着たバレリーナたちが舞いおどっている情景を思い浮かべながら音楽を聴きました。
吉川久子「鎌倉」CDに導入されている「腰越状」は源義経と静御前の別れのパドドゥ。
日本舞踊的な舞。
吉川久子作曲「静の舞」静御前のソロ
解説 吉川久子
義経の愛妾で舞の名手だったという静御前の舞をイメージし旋律にした作品。「しづやしづ しづのおだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな」。
義経が「静よ静よ」と何度も私を読んでくださった・・・・」と愛する人を思う気持ちを旋律にしました。鶴岡八幡宮などで、静御前の舞を見たとき、この旋律を思い出していただければうれしいです。
吉川久子作曲「海」
この曲を聴いていると夕暮れ時に海岸で戯れる恋人たちの姿が浮かび上がります。
吉川久子さんの解説にも「海の音は永遠の象徴」と書かれています。
ブルー色のレオタードを着た男女のパドドゥ。
現代版の義経と静御前。
由比ヶ浜の海で日が落ちるまで戯れ続ける二人の姿。
永遠に続く愛のパドドゥ。
生命の浄化は芸術の深化、最後まで貫き通す。
それが海ではないかと私は思います。
吉川久子「海」の解説文
海の音は永遠の象徴とされています。
なぜなら、波の音は止まることが無いからです。しかし、海の音は季節によって違い、楽しむことができます。
海辺の街、鎌倉。私は青い空にどこまでも果てしなく見える鎌倉の由比ヶ浜の海を見ながらこの曲を書きました。陽の光が届かない海の底。その海の中での音を想像し波の動きに旋律をのせてみました。
私は春は青春の色ですから。
青い空と青い海。
そして夏目漱石の「こころ」と言う小説を思い出します。
仙台から鎌倉のエリアナ・パブロエア門下に入門弟子となった東勇作先生が
七里ガ浜の海でエリアナの弟子たちと一緒に舞い続けている情景が目に浮かびます。
「波の音と風の音にあけくれる七里ガ浜」
牧秋子(1907年〜1971年)
橘バレエ学校創立者
私も仙台の橘バレエ学校でバレエを学びました。
仙台編「青葉の風」
「文学を歩く 鎌倉の文学 伊藤玄二郎編」の本を片手に鎌倉を走り回っていたのが私にとっての鎌倉の夏でした。
小林秀雄と中原中也が妙本寺を訪れ、海棠の散る光景を見つめたのは昭和12年(1937年)の晩春のことでした。小林秀雄「中原中也の思い出」より。
ブログを書くために読んだ本・好きな本(随時更新)
鎌倉情報
https://www.youtube.com/watch?v=KQS1Hq5tanM
吉川久子 作曲 静の舞
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