ガラスのバレリーナ(白鳥にバレエを学んだ少女の物語)

ガラスのバレリーナ

(白鳥にバレエを学んだ少女の物語)

文:渡邉順子

参考になるページリンク

*「瀕死の白鳥物語」

「瀕死の白鳥 物語」⭐️

瀕死の白鳥物語

 

*愛する白鳥

愛する白鳥 ⭐️

*愛する白鳥にガラスのバレリーナの資料を入れている。

バレエ関連のリンク

虹の彼方に

「瀕死の白鳥」の練習風景 

多胡版「くるみ割り人形」(谷桃子バレエ団系列)

 思い出の谷桃子バレエ団・研究所 発表会1993年

ダンスカナガワフェスティバル2010年〜2015年

2022年「ブルーな鎌倉」

2024年作品

未完成交響曲を奏でるように2024年 バレエ編

2006年

バレエ台本を描いて踊ってみよう

バレエ台本を描いて踊ってみよう

 

まめ知識

マリア・カラス(Maria Callas, 1923年12月2日 – 1977年9月16日)
20世紀最高峰のソプラノ歌手です。スカラ座に限らず、全世界のオペラ劇場を席巻した彼女ですが、やはりミラノ・スカラ座でのオペラ公演には並々ならぬ思い入れがあったようです。
スカラ座にとっても、マリア・カラスと言う歌い手なくしてはオペラ公演はあり得ないという時代もあり、事実、マリア・カラスの『椿姫』はスカラ座の歴史上において最大の成功作のひとつであり、記録的な収益をもたらした舞台となっています。

プッチーニ作曲オペラ「ラ・ボエーム」

19世紀のパリを舞台に、夢と芸術に生きたボヘミアンたちの愛の物語。
貧乏でも夢と芸術精神旺盛に生きていた若者たちの青春を描き、詩人のロドルフォとお針子ミミの愛と別れを描きます。
テノールのパヴァロッティとソプラノ、ミレッラ・フレーニの名コンビが客席を沸かせました。

 

楽町

杏樹とよし子8 才

学校が終わると川に行き、パンの耳を川に住む白鳥に食べさせている。

白鳥は渡り鳥だから一年中、川に住んでいるはずはない。

しかし、羽を怪我した白鳥はこの楽町に住んでいた。

楽町は古くから音楽の町と呼ばれる町で川原でもよくバイオリンの音やサックスの音色が響き渡っている。

杏樹が白鳥にパンの耳に持っていく川にも、よし子ちゃんがいつもいて、リコーダーを吹いている。

杏樹は川原で白鳥に餌を与え終わるとよし子ちゃんのリコーダー演奏を聴きて、宮沢賢治の「双子の星」の童話を読んでもらっていた。

杏樹は本を読むのが大嫌いな子でもっぱら白鳥と一緒に片足バランスをするのが好きな子だった。

白鳥の真似をして羽ばたきの練習をしたり、白鳥の観察日記を描いていた。

怪我した白鳥ハク

 

杏樹とよし子の夢

杏樹とよし子は10才になった。

白鳥のいる川原でいつもリコーダーを上手に吹く、よし子と読書嫌いの杏樹の夢は

「カミーユ・サン=サーンスに褒められたい」だった。

何故、そんな夢を持つようになったかと言うと。

読書嫌いの杏樹が音楽の時間にピアニカを教わることになり、川原でピアニカの練習を始めたことがきっかけだった。

杏樹:「よし子ちゃんは音符が読めて、リコーダーを吹くのが好きだからいいけど。」

「杏樹は音符が読めるようになってもピアニカの練習をするのが大嫌いなの。」

よし子は呆れるように言った。

「杏樹は本を読むのが大嫌いで、ピアニカの練習をするのが大嫌い。

なんか好きな曲とかないの??」

杏樹:「白鳥の曲なら好き」

「こないだ音楽の時間に勉強したのよ」

「シャルル・カミーユ・サン=サーンスは10歳でコンサート・デビューしたんだって」

よし子「なんかすごいねー」

杏樹:「よし子ちゃんがリコーダーでコンサートデビューできるかもしれない話だと思って真剣に先生のお話を聞いたのよ」

杏樹:「サンサースの白鳥という曲でミハイル・フォーキンと言う振付家がバレエ作品を作ったんだって」

「アンナ・パブロワと言うバレリーナがその白鳥を踊ったんだって」

杏樹はすっかりバレリーナの気分で、白鳥になって手をバタバタさせて踊り始めた。

よし子:「私、演奏家になってサンサースさんに褒めてもらいたいなー」

杏樹:「私はサンサースさんの曲で白鳥を踊って褒めてもらいたいなー」

その後、杏樹はバレエを習う事になり、よし子はフルートを習う事になった。

*「カミーュ・サンサースに褒めてもらいたい」と言う夢が杏樹とよし子の人生の中で大切な夢になり、よし子が作曲した曲で杏樹がバレエを踊る日がずっとずっと先の未来に訪れるのでした。

*よし子 作曲 杏樹が振付して踊った。「鷺娘」

鷺娘

 

杏樹 ミラノ・スカラ座でバレエのレッスンを受け、オペラを見る。

ミラノ・スカラ座のカード

1981年のミラノ・スカラ座日本公演から10年の1991年にミラノ・スカラ座バレエ団を訪ねる。

オペラ「ボエーム」をミラノ・スカラ座で見たのです。初の日本公演でも「ボエーム」は上演されていました。

「ボエーム」作品についての作品説明は後から書きます。

1991年当時のミラノ

ミラノ・スカラ座

ダビンチ

ミラノ・スカラ座バレエ学校の前にあったバレリーナ像

オペラのパンプ

ドゥオモの上

ガレリアの中にあるカフェ

ガレリアの天井

すべてがオーケストラと歌で推し進められる 音楽劇。

 日本には,オペラと似た総合舞台芸術の伝統文化は歌舞伎が ある。

杏樹は楽町の川原から海に出て、ミラノという町に出かけて行った。

ミラノと言う町のオペラ劇場で杏樹は「ボエーム」と言うオペラを鑑賞するのです。

杏樹がみたことがある歌舞伎と言ったら『義経千本桜』(よしつねせんぼんざくら)。

歌舞伎やオペラには関心のない、杏樹は歌舞伎なら「義経千本桜」。オペラなら「ボエーム」と言う作品と言いながらジャコモ・プッチーニの大ファンで楽町の川原で「トゥランドット」」や「蝶々夫人」の曲を聴いているのが好きな子だった。

特にマリア・カラスの歌うプッチーニ:「私のお父さん」・プッチーニ:「トスカから歌に生き恋に生き」・プッチニー「ラ・ボエームからさよなら」プッチーニについても熱心に勉強する杏樹だった。

カセットデッキを川原に持って行き、一人、静かにプッチーニの音楽を聴く杏樹。

たまに、よし子が川原に現れ、自分で作曲した「腰越状」と言う曲をフルートで奏でていた。源義経が壇ノ浦の戦いの後、兄の頼朝に鎌倉入りを禁じられ留まった寺で、義経が和解を求めて記した書状「腰越状」の弁慶筆の下書が残っている。その「腰越状」をよし子が作曲した。

谷戸の風にのって 2020年

*JUNブログ 谷戸の風にのって「腰越状」を紹介しています。

楽町に「バレエ」が来る

白鳥の湖 第2幕

杏樹がミラノに出かける少し前の事だった。

楽町の駅にある大きな音楽堂で「白鳥の湖」全幕の上演があった。

杏樹は音楽の先生から赤い色のチケットをもらった。

「杏樹、この赤い色のチケットでバレエを見てきて欲しい」

「この赤い色のチケットは様々な学校の高校生に配られている。

「なんでも白鳥の湖を踊る主役のバレリーナがフランスでバレエを学んできて、

音楽やバレエを学んでいる高校生たちに是非、バレエを見て欲しい」と言う企画らしい。

「実は先生たちもご招待されているんだよ。」

勿論、よし子も赤い色のチケットを渡され、杏樹とよし子は「白鳥の湖」全幕公演を見に音楽堂へ出かけて行った。

楽町には沢山の音楽家が活躍していて、2 日間の公演は舞踊家や音楽家を志する学生や先生で埋め尽くされる公演だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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