「春の宵」
2024年4月21日
ピアニスト フジコ・ヘミングさんの訃報記事
2023年11月に自宅で転倒し、復帰を目指していたところ、2024年3月に受けた検査ですい臓がんが判明。その後、4月21日に容体が急変し、亡くなったと報道が入ったのは5月2日。
2024年5月11日の上野文化会館で行われる予定のフジコ・ヘミング ソロコンサートを仕事で早々、キャンセルして一冊の絵画集本を買った。
私自身もフジコさんの音楽を聴きながら絵を描くのが好きで何枚か絵を書いた。
そんな思い出をフジコさんの奏でる音楽と共に書き綴ってみようと思います。
フジコさんの名前を藤子さんと言う書き方にして「春の宵」を書かせていただきます。
2024年 5月 渡邉順子
本名/ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ
フジコ・ヘミングサイト
東京音楽学校(現・東京芸術大学)出身のピアニスト、スェーデン人画家/建築家ジョスタ・ゲオルギー・ヘミングとピアニスト大月投網子を両親としてベルリンに生まれる。
幼き頃、帰国。以来東京に育ち、5歳から母、投網子の手ほどきでピアノを始める。また10歳から、父の友人だったロシア生まれドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツアー氏にも師事。クロイツアー氏は、「フジコはいまに世界中の人々を感激させるピアニストになるだろう」と絶賛した。青山学院高等部在学中、17歳でデビュー・コンサートを果たす。また、東京芸大在学中には、NHK毎日コンクール入賞、文化放送音楽賞など多数受賞。
東京芸大卒業後より、本格的な演奏活動に入り、渡辺暁雄指揮による日本フィルなど、数多くの国内オーケストラと共演。たまたま来日中だったサンソン・フランソワは、日比谷でのフジ子のショパン及びリストの演奏を聴き絶賛したという。
その後28歳でドイツへ留学。ベルリン音楽学校を優秀な成績で卒業。その後長年にわたりヨーロッパに在住し、演奏家としてのキャリアを積む。その間、ウィーンでは後見人でもあったパウル・バドゥラ=スコダに師事。
今世紀最大の作曲家・指揮者の一人と言われる、ブルーノ・マデルナにウィーンで才能を認められ、彼のソリストとして契約したことは、フジコが最も誇りにしていることのひとつである。ちなみに、この契約に際しては、フジコの演奏に感銘を受けたレナード・バーンスタイン、ニキタ・マガロフ、シューラ・チェルカスキーからの支持、及び援助があった。
しかし「一流の証」となるはずのリサイタル直前に風邪をこじらせ、聴力を失うというアクシデントに見舞われる。失意の中、ストックホルムに移住。耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得、以後はピアノ教師をしながら、欧州各地でコンサート活動を続ける。
1999年2月11日には、フジコのピアニストとしての軌跡を描いたNHKのドキュメント番組、ETV特集『フジコ〜あるピアニストの軌跡〜』が放映され大反響を巻き起こす。「フジコの演奏をもっと聴きたい」という視聴者からの要望が殺到し、番組は幾多に及び再放送され、さらに続編「フジコ、ふたたび〜コンサートin奏楽堂」も放送された。
1999年8月25日に発売されたファーストCD『奇蹟のカンパネラ』は200万枚(2012年4月現在)を超える売り上げという、クラシック界異例の大ヒットを記録し、いまだにその記録を更新し続けている。これまでに日本ゴールドディスク大賞、4度にわたる各賞のクラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。
レオニード・クロイツアー氏
「春の宵」の絵
春の宵
フジコ・ヘミング関連のページ
「ショパンの音楽を聴きながら」第1章 2022年ー2024年
宮城県美術館関連
春の夜(シューマン-歌曲トランスクリプション S.568)(リスト)
2021年 宮城県美術館の創作室でアクリル画を描き始めた。
アクリル画は趣味で家族で絵を学んだ経験があった。娘と主人と私の趣味
横浜から仙台に戻ってきたのが2018年で主人とたまに美術館に行き、絵を見ると言うごく普通の生活から、急に2021年頃から母宅で絵を書いたり、美術館の創作室でアクリル画を描くと言う行動に至った経路は?
横浜の生活から仙台の生活に変わり精神的にどこか、追い詰められたからかな。
2018年は仙台に引っ越し、横浜でしていたホテルの洗いの仕事と中華料理屋の調理補佐の仕事から始め、病院食の仕事をしながらスポーツクラブで体操の補佐の仕事の週1日した。絵のモデルの仕事もした。
しかし中々上手くいかない。*コロナ鍋の期間があった。
仙台の賃金が安いなど様々な不満があった。
2021年頃、宮城県美術館に創作室があることが分かり、日曜日の日や仕事の休みの日に出かけ行き、ゆっくり大好きなアクリル画を描き始めた。美術館の展示も見たり、美術館内のカフェでお茶を飲む。それがとても癒される時間になった。
仙台に帰り長く続いた仕事が病院食の仕事。
2022年
フジコ・へミングの時間と言うDVDを見た。
週間朝日 2018年7月27日号
2018年6月から、初のドキュメンタリー映画「フジコ・へミングの時間」(監督 小松莊一良/配給 日活)が公開中。パリや京都の自宅での普段の暮らしから、世界を旅する演奏活動まで今の“素顔のフジコ”が収められている。
自分のドキュメンタリーを見るのって恥ずかしいわね。もちろん、演奏には、自信を持ってきたわ。でもね、こんなふうに注目されて、認められて当然とは思っていません。
先日もある演奏会で、弾き終わったときに「ミスだらけでごめんなさい。拍手をもらう資格はないです」って謝ったら、その途端に会場じゅうの人が立ちあがって、「ブラボー!」って拍手されちゃって。その場から逃げ出したくなったわ。
ピアニストの中には、何分でこれだけ弾けるとか、どれだけ正確に弾けるとか、そんなことを自慢する人がいるけど、スポーツじゃあるまいし。正確なのがいいのなら、機械に弾かせればいいのよ。私は、あたたかい演奏をしたい。
レパートリーが少ないと、よく言われるから、もっといろんな曲をやればよかったなと、ちょっと後悔することもある。でも、欲張らなくても、世の中には山ほど曲があって、ピアニストも山ほどいる。それぞれが得意な曲をやればいいじゃない。
ピアノも人生も、少しぐらい間違えてもいい、完璧じゃなくてもいいっていうのが私のポリシー。楽しいことばっかりじゃなくて、悲しいこともあったほうが、天国に行ったときに少しおセンチな気持ちにもなれていいじゃない。笑ってばっかりだったら、きっと退屈よ。
(聞き手/石原壮一郎)
*「フジコ・へミングの時間」のDVDを見てから私はコンサートも聴きに行くようになる。
一枚の絵が藤子の音楽を聴いてから変わった。
春の宵(春の夜)
花園の上の空をとんでゆく
渡り鳥の声を、私は聞いた、
その声は春のおとずれを告げていた、
下界では、はや花も咲きそめていた。
私は歓呼したかった、泣きたかった、
まるであり得ないことのような気がして!
古い奇蹟が、月の光とともに
いま一度地上にさしこんだのだ。
月と星はそのことを語り、
森は夢みながらそのことをつぶやき、
夜鶯もそのことを歌っている―
「あのひとはお前のもの、お前のもの」と! (訳:西野茂雄)
藤子さんの奏でる「春の宵」を聴いてから歌詞があることも調べ。
少しつづ夜の色を青紫色に塗りました。恋の色だと思ったからです、蝶々も2羽書いたのです。
2022年 とても鮮やかな桜の木になったように思います。
藤子さんと言えば「ショパン」
ショパンの音楽を聴きながらのページ抜粋
「ショパンの音楽を聴きながら」第1章 2022年ー2024年
ショパンは 1838 年に作家のジョルジュサンドを伴ってスペインのマヨルカ島を訪れました。彼らはラカルトゥハデヴァルデモッサ修道院のセル No.4を借り、そこでショパンはパリからプレイエルピアノを受け取りました。
滞在中、彼はこのピアノを使って、いくつかのプレリュード、ポロネーズ、2番目のバラード、3番目のスケルツォなどの素晴らしい作品を作曲しました。
ショパンはマヨルカ島で所有していたピアノをカヌー家に売却しました。
1932年以来、ショパンが演奏したのと、同じプレイエルピアノが部屋に展示されています。東京にある民音音楽博物館にもプレイエルピアノは展示されています。
2022年に民音博物館を訪ねた。
2022年12月にマヨルカ島を訪ねたフジコ・ヘミングさんの映像も拝見しました。
フジコ・ヘミングのマヨルカ島の映像を見た感想 2022年12月24日
フジ子さんは幼少時代、日本人であったお母さんの弾くショパンの曲を聴きながら夜は眠ったそうです。母親は、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)出身のピアニスト。ピアノは身近な生活の一部。5歳の頃から、母の指導でピアノを弾く毎日となった。「ショパンとリストを弾く使命のピアニスト」と世界で絶賛されたフジコ・ヘミングの映像には圧巻でした。
2023年 花巻を訪ねる
フジコ・ヘミングが奏でるテンペントスで宮沢賢治が舞う
宮沢賢治の世界を旅しながら「削除されたバレエ」を考えていた。
いつもいつもフジコ・ヘミングのCDを聴いていた。
そしてフジコさんの言葉を見つけた。
ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」第3楽章 ベートーヴェン
ベートーヴェンは「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれるものまでしたためたけれど、なんとか自死を思いとどまった。
耳が聞こえなくなってから、引っ越しを繰り返したベートーヴェンの気持ちが、私も実感をともなって、わかるようになった。見た目には聞こえているだろうと思われるので、話しかけられても反応できず不興を買い、誤解されてしまう。
ベートーヴェンは完全に耳が聞こえなくなってから、ジャズや現代音楽に通ずるような晩年の傑作を、頭の中に残っている音感だけで生み出した。すごいことよね。
私が最近、ベート1ヴェンのピアノソナタ第17番『テンペスト』の第三楽章をレパートリーに加え、みなさんの前で弾くことが多くなっているのは、この曲は、ベートーヴェンが進行していく難聴に絶望している時期に書かれたものだから。私はこの曲を弾く時、こう思う。
「何かをあきらめる必要はない」
「やがて鐘は鳴る」 フジコ・ヘミングの本から抜粋
宮沢賢治の世界を旅して
テンペントスの音楽が導入されているCD フジコ・ヘミングセレクト
参考にした本「やがて鐘は鳴る」 フジコ・ヘミング
2022年7月
書きはじめた随筆「ブルーの鎌倉」が落ち着き始め、フジコ・ヘミングのDVDを見ていたら、雲の上からメロディーが流れてきた。やっと絵を描きたくなった。そして作曲家ショパン・リスト・シューマンの人生まで勉強してみたくなった。
2024年 フジコさんに支倉常長ハンカチを贈る
仙台市博物館の基本情報
仙台市博物館は、仙台城の三の丸跡に建てられた博物館で、仙台城主伊達家ゆかりの展示品や美術品が展示されており、常設展示では古代から伊達政宗の治世を中心に仙台藩史、近代まで展示しており、政宗の鎧兜を見ることもできます。
施設名称:仙台市博物館
所在地:仙台市青葉区仙台26
博物館のお土産
●ミュージアムショップ
博物館内にはミュージアムショップがあり、ミュージアムショップ内では仙台博物館のクリアブックや水玉模様陣羽織、伊達政宗のよろい、ローマ市公民権証書など所蔵品がプリントされたクリアファイル、一筆箋、絵葉書やハンカチ、風呂敷、シールなどが販売されている。
*仙台メディアテークでも販売されている為、仙台メディアテークで購入した。
ローマ市公民権証書など所蔵品がプリントされたハンカチとシール
フジコ・ヘミングさんに贈った絵本
2023年に作った絵だけの本
フジコ・ヘミングさんの本
図書館で見つけて嬉しかった「紙のピアノの物語」
2022年 このカフェで初めて藤子さんの「青い玉」の絵本と出会う。
「永遠の今」の本はおすすめの本
ドトールでコーヒー飲みながらフジコさんの本を読むのが好きだった。
フジコさんの本を読んで美術館に買いに行った猫
藤子さんのコンサートで購入したCDやクリアファイル
仙台のコンサート
2023年11月8日
フジコ・ヘミングコンサート 延期
藤子さんを描く
フジコ・ヘミング絵画集
ピアノ演奏の絵に文章を添えて贈った。
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