2021年1月 仙台暮らし

2021 年1月

あけましておめでとうございます。

 

今年も元旦から仕事をしていた。

横浜に住んでいた頃もホテル業で元旦から仕事をしていたけれど。

仙台暮らしも病院勤めで元旦もお盆もなく、仕事をしている。

18歳から20歳までは東北大学病院のレントゲン受付。

20歳の時に仙台を飛び出し、30年ぶりに仙台に帰ってくると今度は東北大学病院で病院食を作る会社に勤めている。

家も生まれた育った、仙台市青葉区八幡に住んでいる。

仙台で生まれ仙台で仕事をしてちょっと8ヶ月、東京暮らしをして、3年ほど仙台に戻り、東京で結婚して、横浜で子育てして、主人と二人で仙台に帰ってきた。2018年に仙台に帰ると何も変わっていないようにも思える。

しかし2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による災害およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害、東日本大震災。

「東日本大震災」から10年。

2011年3月11日

その日は横須賀にいた。

娘が入学する横須賀の学校の体育館。

体育館はゆれに揺れた。まるで船に乗っているようだった。

強い波が押し寄せてくるように思えた。

学校の説明会が済み、東北の方で強い地震があったと言う情報を聞き、私と娘と一緒に学校説明を聞いた金沢区の親子と学校から横須賀駅まで歩いた。

横須賀駅に着くとすぐに公衆電話から仙台の実家に電話を入れた。

母は玄関先で震えていた様子。「よくわからないけど長い地震だった」と教えてくれた。

母の安尾を確認し、主人にも連絡を入れた。主人は交通機関がストップし、東京の会社で夜を明かし帰宅すると話してくれた。

横須賀のスーパーのタクシー乗り場。

誰もいないタクシー乗り場。

こんな時にスーパーに買い物にくる人がいるんだ。

タクシーが止まった。

すぐさま、タクシーに駆け寄った。

「どこまで」タクシー運転手

「金沢区までお願いします」

「今日は君たちを乗せたら私も家族が心配で帰る」 タクシー運転手

まるで奇跡のようにタクシーが止まり、私と娘と一緒の学校に通う親子は無事に

金沢区の家に帰る事ができた。タクシーの中からたくさんの人が、歩いている不思議な光景を目にしながらタクシーが一台、暗い暗い道を走っていた。

金沢区の海の公園付近は停電になったらしく、月明かりだけある場所でタクシーを降りた。

私たちは家族の住む並木は電気も付き、ドアを開けるとふわふわと白い紙が部屋の中を舞っていた。

翌日からTVは東北地方の報道番組が流れ、私は仕事がら、スーパーで買い物する時間が遅くなり米が手に入らない日々が続いた。

当時、妹が九州に住んでおり九州から米を送って貰った。

その頃の私は金沢区に住みバレエを教え、横浜チャコットでバレエのレッスンを受けていた。

土曜、日曜はホテルでスチワート業務の仕事をしていた。

ホテルは横浜チャコットにも近く、バレエの教えとレッスン、バイト、子育てに明け暮れていた。

横浜チャコットには谷桃子バレエ団・研究所の高等科で一緒だった前田新奈さんが講師を務めるクラスレッスンがあった。

私は久しぶりに前田新奈さんと再会した。

東日本大震災をテーマの作品

「命てんでんこ」に出演していらっしゃったので鎌倉に行き、見て来ました。

「津波てんでんこ」「命てんでんこ」を防災教訓として解釈すると、それぞれ「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」「自分のは自分で守れ」。

https://www.youtube.com/watch?v=G2rAh2emBRA

 

2018年から仙台暮らしが始まり2020年3月11日

仙台市役所に設けられた献花会場で百合の花を捧げました。

手を合わせると波の音が聞こえてくるような気がしました。
新国立劇場バレエ団鑑賞記録
渡邉順子 経歴
多胡版「くるみ割り人形」(谷桃子バレエ団系列の舞台)
 思い出の谷桃子バレエ団・研究所 発表会1993年

 

元新国立バレエ団・元谷桃子バレエ団 団員
前田新奈さんと
2016年

2011年3・11
東日本大震災の記憶

昭忠塔のトビが落ちた。

東日本大震災前のとび

 

2020年
初めて仙台市青葉区で黙祷と捧げる

3月11日を忘れません。

2021年2月13日
23時08分
震度6 弱
福島沖の地震
仙台の被害
仙台市博物館の庭にある伊達政宗胸像のカブトの月が折れる 写真 渡邊順子

2写真渡邊順子

3写真 渡邊順子

2018年仙台市博物館で撮影した伊達政宗 胸像
写真 渡邊順子

 

 

 

 

 

 

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