仙台辻標探し
2020年版
私の住んでいる仙台市青葉区八幡4丁目には「江戸町」「坊主町」「石切町」「覚性院丁」と言う辻標がある。
近所には「八幡町」「作並街道」
島崎藤村や北杜夫が下宿していた「支倉丁」
は東北大学院の近くで、すぐ側に「新坂・新坂通」。
「角五郎丁・中島丁」。
「北五十人町・滝前丁」。
牛越橋を渡ると「牛越橋・川内三十人町」の辻標がある。
八幡5丁目付近には「山水清水」「唸坂」がある。
八幡神社の坂の上に子平町郵便局がありその近所に「伊勢堂下」「半子町」の辻標がある。林子平の墓がある龍雲院、子平堂には「子平まんじゅう」があります。子平堂は仙台市青葉区子平町13-1です。
支倉丁から定禅寺に向かう時には「土橋通」「十二軒丁」「北三番丁」「細横丁」「定禅寺通櫓丁」「元常磐丁」。西公園に進めば「大阪」「大町頭」。そこから青葉通に進むと「本荒町」「良覚院丁」「南町」「電話横丁」と進み東北大学 片平キャンパスから「米ヶ袋」「鹿子清水通」。辺りに行くと島崎藤村が務めた東北学院があり「清水小路」「田町」に辻標にぶつかる。
定禅寺通から三越辺りで買い物を始めると「定禅寺通」「東一番丁」「虎屋横丁」「糠蔵丁」「大町」「国分町」「青葉通」「東二番丁」と青葉通にある藤崎デパートまで歩いてしまう。
私は八幡町で育ち、またこの八幡町に帰ってきた。
少しは生まれた町並の由来を知ってみたいと思った。
青葉神社辺りを「北山町・通町」と言う
この意味が知りたくて仙台メデアテーク図書館に行き「仙台城下の町名由来と町割」作:吉田義弘の本を借りた。辻標は88あるそうですが全部は紹介できません。
*私の知っている場所だけ紹介します。
「古きを訪ね新しきを知る」
残りの辻標は「仙台辻標探し2」にアップします。
32江戸町・坊主町
江戸町(えどまち)
八幡町の北裏に江戸町と称する仙台では珍しい町名の古い町がある。仙台開府の頃、黒瀬新四郎政則という江戸の大工が仙台藩に八人扶持五両切金で抱えられたという。その黒瀬を棟梁とした大工衆が住んだ職人町が江戸町だ。出身地江戸にちなんで江戸町と称した。
坊主町(ぼうずまち)
八幡町の北裏に坊主町がある。
もともとこの坊主町は鶴岡八幡宮の門前町辺にあった。天和3年(1683)8月に八幡宮を鶴岡に遷した際、別当寺千手院及びその塔頭と亀岡町の配置のため、坊主衆は今の坊主町の地に移された。街並みは元禄3年(1690)年頃に成立したようである。大崎八幡宮、龍宝寺東側に位置し、江戸町、石切町と隣接している。今では四ツ谷堰に沿った閑静な住宅地となっている。
12支倉丁・支倉通
島崎藤村 仙台
支倉丁(はせくらちょう)
北一番丁の西、広瀬川の断崖の上をほぼ東西に沿う町。江戸時代初期に政宗の命でローマに渡った支倉六右衛門常長の養父、支倉時正の屋敷があったのが町名の由来る。その後時正に実子が生まれたため、家禄千百石を折半し、半分の六百石取になったとされる。慶長18年(1613)9月15日、常長は慶長遣欧使節団を率いて牡鹿半島の月ノ浦をサン・ファン・パウティスタ号で出航。太平洋を横断しメキシコ経由で慶長20年(1615)1月にスペインに上陸。出航から2年後の元和元年(1615)9月12日にローマ教皇パウルス5世に謁見を果たした。常長は、7年後の元和6年(1620)8月24日に帰国したが、既に幕府の鎖国政策でキリスト教に対する弾圧が厳しくなっていた。
支倉通(はせくらどうおり)
仙台には「支倉町(丁)」「支倉通」「元支倉」の町名がある。支倉町(丁)の西角から北へ大学病院内を貫き、北八幡丁に達している通りを「支倉通」と呼ぶ。この丁には古くは侍屋敷が配慮されていた。北六番丁以南は侍丁で、この通りの西南角の出端にある邸宅(広瀬町)にやや傘状の老杉には寛文事件に関係あった伊達兵部宗勝(政宗の十男)の屋敷があった場所である。
4肴町・大崎3丁目横丁
肴町(さかなまち)
「大町と並行した北の通りで、国分町と元柳町間をいった。御譜代町として魚類の専売と御日市の特権、藩からの補助金があり、藩主御用の魚を献じた。問屋、仲買、宿屋、飲食屋、仏師など雑多な人々が住み、戦災で焼矢するまで活気があった」
大町3丁目横丁(おおまちさんちょうめよこちょう)
「大町3丁目の東端から国分町に並行して肴町を横切り、立町に至る細長い横丁で、大町以南は本荒町に蓮なる。大正初年には横丁をはさんで魚市場があったので、人の通りも多かった」
*肴公園は都心のオアシスで私もたまにこの公園を訪ねることがあります。
仙台市戦災復興記念館が近所にあります。
6定禅寺通・東一番丁
定禅寺通(じょうぜんじどおり)
東西に錦町から市民会館まで、杜の都仙台を代表するケヤキ並木の大通りだ。
1986年には「日本の道百選」に選ばれた。
東一番丁(ひがしいちばんちょう)
藩士の屋敷跡が明治以降繁華街へと変容した町。
東一番丁は南部「塩蔵丁」
北部は「糠蔵丁」
東二番丁「百綺丁」
市内随一の商店街として発展した。
67虎屋横丁・糠蔵丁
虎屋横丁
「虎屋横丁」という名前は藩政期末頃に生まれたらしい。
いたがき果物屋の向かい辺りに虎屋という薬種問屋があって、その店頭に木彫りの虎が飾られていた。それで虎屋横丁の名が生まれた。
仙台歴史民俗博物館に行き「虎屋の虎」の写真をアップしました。
仙台辻標写真58枚 思い出深い場所は「65亀岡町・山屋敷」初めて登った亀岡八幡宮の階段。「67虎屋横丁・糖蔵丁」仙台歴史民俗博物館で見つけた虎屋の虎。「川内大工町・川内中ノ瀬町」は中ノ瀬橋の下にある街並み。24「大町・国分町」あたりの芭蕉の辻にも歴史を感じました。
仙台辻標を見つけたのは仙台暮らしを始めた2018年。
撮影も2018年に近所の60「八幡町・作並街道」、28「角五郎丁・中島丁」、12「支倉丁・支倉通」、39「土橋通・十二軒丁」、76「牛超橋・川内三十人町」辺りは撮影しましたがブログに「仙台辻標探し」をアップすることにしたのは2020年8月に事です。2020年の8月からは「仙台城下の町名由来と町割」の本を見ながら探しました。
38石切町・覚性院丁の辻標はついては「四ツ谷用水」に私のサイトにも載せています。
32 江戸町・坊主町
12支倉丁・支倉通
4 肴町・大町3 丁目横丁
6定禅寺通・東一番丁
67虎屋横丁・糖蔵丁
82 大町5 丁目新丁・立町
24大町・国分丁
45騎丁・森徳横丁
25青葉通・東二番丁
58t跡付丁・北材木町
50本材木町・本櫓丁
1勾当台通・表小路
5上杉通・北四番丁
3北一番丁・二本杉通
14北二番丁・堤通
11外記丁・長刀丁
22光禅通・錦町
54新伝馬丁・東五番丁
53中掛丁・日吉丁
7大仏前・同心町中丁
43六道の辻
51鉄砲町・明神横丁
61榴ケ岡・二十人町
60作並・作並街道
55北鍛冶屋町・北五番丁
13北山町・通町
21滝前丁・北五十人町
76牛超橋・川内三十人町
65亀岡町・山屋敷
28角五郎丁・中島丁
71行人坂・淀橋通
39土橋通・二十軒丁
17北三番丁・細横丁
49大阪・大町頭
8定禅寺通櫓丁・元常磐丁
9立町・元柳町
77川内大工町・川内中ノ瀬町
20電話横丁・南町
26米ヶ袋・鹿子清水通
10教楽院丁・柳町
72大夫小路・袋町
48弾生横丁・道場小路
18北目町・北目町通
15五橋通・上染師町
29清水小路・田町
31北六番丁・木町通
23片平丁・琵琶首丁
33花壇川前丁・琵琶首新丁
19良覚院丁
47霊屋下・瑞鳳寺前丁
40山水清水・唸坂
16新坂・新坂通
番外 旧狼坂
85半子町・伊勢堂下
27狐小路・南町通
75桜小路・七軒丁2020年9月26日
44超 路・鹿落坂2020年9月30日
残り31箇所
2023年5月18日
68土樋・姉歯横丁
残り30箇所
2023年5月から探し始める
荒町辻票
2020年に探した辻票
支倉丁には宮城県知事会館がある
定禅寺通り
虎屋横丁
ジャス喫茶があります
松尾芭蕉を探す小さな旅
亀岡八幡
国際センター駅があります
西公園
SL公園
マンホールアートがある場所
狐小路
仙台の観光で訪れる 瑞鳳殿
*臥龍梅が咲く瑞鳳寺
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