2021年・2023年 塩釜に行く

塩釜に行く

仙台からの小さな旅行(随時更新)宮城県・山形県

JUNの仙台 (宮城県)名建築でコーヒーを 1

 

 

 

仙台暮らしを始めて3年が過ぎた。

2021年12月4日。

仙山線の福祉大駅から仙台駅。仙石線で仙台駅から本塩釜まで行ってきました。

塩釜市杉村惇美術館をめざしました。

太田屋で仙台みそのジェラートを食べました。

日本酒で有名な浦賀の工場を通って杉村惇美術館に向かいました。

御釜神社とまちかど博物館の前も通りました。

 

仙石線で仙台駅から本塩釜駅まで行ってきました。

本塩釜

2023年撮影
7月9日

太田屋

太田屋の店内1

店内2

仙台味噌ジェラート

塩釜市本町
浦霞 酒の工場

浦霞店

 

御釜神社

まちかど博物館

まちかど博物館

杉村美術館の旗

電柱にも杉村美術の目印

杉村惇美術館

杉村惇美術館 塩釜市本町8ー1

2F美術館

階段脇

2F サロン

サロン2

1F
談話室

談話室でコーヒーが飲むます

中庭

中庭2

市指定有形文化財

塩釜神社側から見た美術

塩釜市杉村惇美術館

昭和25年に公民館として健築。アーチ型の大聖堂が素晴らしい。

平成26年に塩釜ゆかりの洋画家の杉村惇画伯のの作品を展示する美術館に改装される。

杉村惇デザインの外壁が仙台にもあります。東京エレクトルンホール宮城の外壁。

宮城県仙台市青葉区国分町3-3-7

塩釜神社

鎌倉街道から芭蕉止宿の地の碑の通り、旧亀井邸を見学する予定でいましたが、12つき4日は休館と扉に張り紙があり、閉まっていました。

裏坂を通りを歩き。紅葉を眺め、塩竈神社博物館の脇にある茶屋で休み、御神苑の庭を眺め、12月だと言うのに四季桜が咲いていることに驚きました。

志波彦神社と塩釜神社があり、松島を一望できる高い山に自分が立っているのだと感じました。

塩釜神社は国の重要文化財。今はパワースポットとして人気を集めている神社。

 

旧亀井邸

休館

旧亀井邸

洋室

洋室2

2階和室

2階

説明文

こうもり

裏坂の紅葉1

裏坂の紅葉2

桜門

御神苑の庭

茶屋で食べた焼き団子

いせんがま
鋳銭釜

いせん釜の説明文

四季桜

四季桜

四季桜2

四季桜3

庭2023年

 

志波彦神社

志波彦神社 2023年

遠くに海が見えます

東京エレクトロン宮城の外碧 杉村惇デザイン

マリンゲート塩釜

本塩竈の駅からマリンゲートデッキ塩釜を歩きマリンゲート塩釜まで行ってみた。

1Fの蕎麦屋でマグロワンタンそばを食べた。

シオーモの小径があり、宮沢賢治などのゆかりの文学碑が並ぶ小路があったり、津波の記憶を刻む建立を眺めながめ、御座船も塩釜湾に浮かぶ姿を眺めた。

2023年 塩釜の旅

2023年7月2日

2021年に尋ねたシオーモの小径の写真を7月2日、撮りに行きました。

 

シオーモの小径

ポラーノ広場

塩釜まちかど博物館

2021年は素通りした場所ですが今回は1Fカフェはれまでカレーを食べたり、2・3階の旧ゑびや旅館の建築物の説明も詳しく聞けました。

 

塩釜まちかど博物館

1階カフェ

1カフェ
店内

2・3階

2階大部屋

泡の形

3階
桜、梅、竹。松の部屋

 

宮沢賢治と塩釜

銀河鉄道の夜と塩釜

宮沢賢治が初めて塩釜を訪ねたのは、明治45年(1912),15歳の時でした。賢治が学んでいた盛岡中学の四年生恒例の修学旅行。

二泊三日の修学旅行

1912年5月27日 

午前3時30分 盛岡駅を臨時列車で出発し7:3分に一関駅に到着。そこから北上川の狐禅寺の船着場まで4キロを徒歩でゆき、北上株式会社が運航する岩手丸に乗船。5,6時間かけて北上川を下り、河口の石巻に14時30分頃に到着。その後日和山に登って眺望を楽しんだり、渡波塩田を見学したりして、その後は宿泊しました。

1912年5月28日

午前10時頃に石巻を船で出発。船は外海(仙台湾)に出て11時30分頃に松島に到着。松島の瑞巌寺などを見物後、蒸気船に乗船して、塩竈に到着。

塩竈神社を参拝して塩釜駅から列車で仙台に向かいました。

宮沢賢治は一人、菖蒲田浜に向かいそこで静養中の伯母を見舞い、その夜はそこに一泊しています。

1912年5月29日

朝食後菖蒲田浜を出て、塩釜駅8時20分発の列車に乗り8時50分に仙台駅に到着。

仙台市内の宿舎(堺屋)にいた一行と合流。

仙台駅発12時55分の下り列車に乗車。16時54分に平泉駅に到着。中尊寺を見学後、駆け足で駅に戻り、19時45分発の列車に乗車、23時30分に盛岡駅に到着。

修学旅行から帰った翌日、賢治は父宛てに手紙を書き送っている。

賢治から父への手紙はなかなか興味深い。

「銀河鉄道の夜」に登場するジョバンニの母と賢治の伯母

物語ではジョバンニのは病気という設定に関して想起されてるのが、賢治の伯母(父の姉)の平賀ヤギが病気で療養していた事実です。

明治45年(1912年)修学旅行で塩釜を尋ねた際、一人で菖蒲田浜に向かい、そこで療養中の伯母を見舞い。そこに一泊しています。

賢治が訪れたわずか半年後の2月1日、ヤギは43歳で亡くなりました。

賢治から父への手紙(明治45年5月30日)

塩竈にて無理に先生の許可を得、ただ一人黄き道を急ぎました。曇れる空、夕暮れ、確かなる当てもなき一漁村に至る道、賢治(小生)は寂しさに堪えかねました。

塩竈より約1時間、再び海を見、黒き屋根の漁夫町を望みました。波の音が高く響いていました。1軒1軒を尋ねても伯母上を見んと思い、大東館と書かれた玄関の閉まった戸を幾度か叩きましたけれども答えなければ、葉のはしばしに見えました。9時半、小生は先に睡りました。この夜、咳の声に二度ばかり目覚めました。翌朝。朝食を少しおそく食い、8時20分の汽車に間に合うため、大急ぎにて来路を歩み9時仙台着(一行に合流)

 

 

ポラーノの広場
宮沢賢治
画 小林敏也 そして八月三十日の午ごろ、わたくしは小さな汽船でとなりの県のシオーモの港に着き、そこから汽車でセンダードの市に行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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