2022年5月 石巻を訪ねる2

石巻を訪ねる2

映画関連にリンクを貼りました。(七人の侍)

お茶とおにぎり

サライ 支倉常長特集 イタリア

https://serai.jp/tour/1042036

今から約400年前、仙台藩主伊達政宗が仙台領内でのキリスト教布教容認と引き換えにメキシコとの直接貿易を求めて、スペイン国王、ローマ教皇のもとに派遣した外交使節 支倉常長

 

支倉常長(使節の大使)

石巻を訪ね、今回はサン・ファン館は訪ねる時間がなかったけれど、サン・ファン館があります。

宮城県石巻市渡波大森30

復元船「サン・ファン・バウティスタ号」2021年3月で公開は終了しました。

*2024年に慶長使節船ミューアムは生まれ変わります。

 

サン・ファン・パウティスタ号

石巻の月浦から伊達の黒船が出帆した。

1613年10月28日 サン・ファン・パウティスタ号の出帆。

サン・ファン・パウティスタとは「洗礼者聖ヨハネ」と言う意味

航海経路

1613年 月浦→1914年1月アカプルコに到着

1614年 メキシコの副王に伊達政宗公の書状を渡す

1614年秋 セビリアで大歓迎を受ける(セビリアはルイス・ソテロの出身地)

1615年 スペイン国王フェリぺ3世と謁見し、常長は洗礼を受ける

1915年 ローマ市入市式 ローマ教皇パウロ5世に謁見

1615年4月アカプリコ出帆→1615年8月浦賀着

1616年9月浦賀 出帆→1617年 アカプルコに到着

1618年4月 アカプルコ→ルソン着

1618年-1620年 マニラに2年滞在する(当時はスペイン領)

1611年12月2日

東北地方に大きな地震が襲う

「慶長の大津波」と呼ばれた

犠牲者は1783人とも5000人とも言われている。

大津波から2週間後、伊達正宗公は船を造り、海外へ使節を派遣しこの地で交易を行うことを決めたのでした。

 

「伊達侍と世界をゆく」の本を読みながら


サムライが訪ねたセビリア。
石巻市の姉妹都市の漁師の町、チヴィタヴェツキア。
そしてローマ。
写真を見ながらのんびりと読書。
仙台の青葉町に支倉常長の墓がある。

伝 支倉常長の墓

ルイス・ソテロ墓

「私の若き日の思い出」

私は高校生の時に演劇部で仙台でキリシタン弾圧が酷くなった時代、踏絵を踏まず、転ばぬか、転ばぬかとさけばれても「転ばぬ」と叫び、死んでゆく役を私は演じた。

もう一人は踏み絵を踏み絵「生きながらえることが大切」と言う台詞で終わる脚本で演劇コンクールに出場し、地区大会、県大会まで進んだ。

 

支倉常長と言う人物まで勉強した記憶が
蘇った。

しかし、「伊達侍と世界をゆく」の本はいい。
異国の町で「サムライ」と言う言葉が響き渡った本だからだ。

*セビリアで大歓迎されたのはルイス・ソテロの出身地だったからです。

伊達侍と世界をゆく

「慶長遣欧使節」とめぐる旅から

2014年6月16日に第1印(仙台市図書館から借りる)

コリア・デリ・リオ

セビリア近郊の町

使節が最初にセビリア入りを果たし際に船はコリア・デル・リオに着けた。

使節の一部が町に残って住み着いたと考えられている。

町には2013年現在。ハポン(日本)姓を持つ人が650人以上が暮らしている。

皆、自分たちは侍の子孫だと考えている。

故ビルヒニオ・カルバハール・ハポンさんは仙台を三度訪れ、1992年に宮城県から町に支倉常長像が寄贈された。

1614年 伊達正宗の命を受け慶長遣欧使節がスペインに到着して400年の

2014年10月7日〜14日 仙台市民訪問団26名がスペインを訪問した。

コリア・デリ・リオにはグアダルキビール川を見つめる支倉常長像がある

支倉常長の墓は仙台市青葉区青葉町3-1 光明寺にあります。

ルイス・ソテロの墓も光明寺にあります。

 

夢をのせた伊達の黒船

支倉常長の本

 

支倉常長の本

光明禅寺

支倉常長の墓

支倉六右衛門常長菩提

ルイス・ソテロ墓

伝 支倉常長の墓

仙台城址跡には仙台で有名な支倉常長の像があります。

支倉常長 伊達政宗の命によりサン・ファンパウティスタ号で日本人で始めて大西洋を渡った慶長遺欧使節の偉業をたたえたお菓子支倉焼

支倉焼き

日本人として始めてチョコレートを食べた支倉常長

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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