虹の彼方に4

虹の彼方に4

日本初演を飾ったバヤデルカ

谷桃子バレエ団の日本初演は1981年1月8・9日 東京文化会館 スラミフィ・メッセレル招聘公演

谷桃子バレエ団にはメッセレル先生が日本に紹介したバレエ作品「リゼット」、「ドン・キホーテ」の二作品があります。
「リゼット」日本初演 1960年
「ドン・キホーテ」日本初演 1964年

日本初演を飾った「バヤデルカ」はメッセレル先生の亡命騒動後に上演された作品です。

メッセレル先生の亡命騒動とマイヤ・プリセツカヤのお母さん(メッセレル先生の姉)を強制労働収容所(ラーゲリ)から救出しようと何度も試みたお話は、1990年10月20日、21日のインタビューを録音したテープに保存されています。

メッセレル先生が姪のプリセツカヤさんに振り付けした「瀕死の白鳥」は、メッセレル先生の亡命騒動とメッセレル先生の姉ラヒリさん救出劇にその原点があります。

メッセレル先生がアメリカに亡命されたのは1980年。メッセレル先生が東京バレエ団の仕事で東京に滞在中に息子さんがボリショイ・バレエ団のダンサーとして来日され、息子さんと共に在日アメリカ大使館に助けを求め、母子共にアメリカに亡命されたのです。

メッセレル先生の言葉でその当時の事を書きます。「あの時、私は東京バレエ団の仕事で半月ほど、東京にいました。モスクワに帰る4日ほど前、私は身体の調子が悪くなりました。国立病院でレントゲンを撮り、色々な検査を受けました。あまり、よく無い。
私はソ連の大使館に電話しました。ビザの期限切れます。けれども身体はよくない。少しの間、日本にいたい。大丈夫、大丈夫 モスクワに着いたら検査しましょう。
私はものすごーく怒りました。
丁度、モスクワからボリショイ・バレエ団が来日。私の息子も来日しました。私は息子をホテルに呼びました。自由になりたい。アメリカいきましょう」

メッセレル親子が亡命した年はモスクワオリンピックが開催された年でしたが、日本、アメリカ、中国、西ドイツが不参加のまま、オリンピックが行われました。

メッセレル先生72歳。
元ボリショイ・バレエ団のプリマ・バレリーナ。
ボリショイ・バレエ学校の教師。

アメリカに住んでから日本の谷桃子さんから手紙が届きました。日本で「バヤデルカ」を上演したいと。私は再び、日本で「バヤデルカ」の振り付けをするため谷桃子バレエ団を訪ねました。

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