「バレエ大国」日本の夜明けの本と渡邉順子紹介

「バレエ大国」日本の夜明け

チャイコフスキー記念東京バレエ学校 1960年〜1964

 作者 斎藤慶子(現在は北海道大学スラブ・ユーランシア研究センター学術研究員)

 

研究テーマは日露バレエ交流史

本の内容

1960年5月

旧ソ連から来日した二人の教師は、日本人の踊り手達に、愛情と熱意と、持てる技術のすべてを注いだ。冷戦構造の状況下、米ソ中の対立い翻弄され、わずか4年しか続かなかった学校。

二人のロシア人の熱い想いが日本のバレエ教育に変革をもたらした

メッセレル・スラミフィ

ワルラーモフ

が紹介されています。

ロシア留学の先鞭ページに本間陽子先生が紹介されています。

チャイコフスキー記念東京バレエ学校の活動について書かれています。

メッセレルとワルラーモフの教育

「まりも」の創作バレエ

私自身も故メッセレル・スラミフィ先生から沢山の事をお聞きた事をJUNブログにアップしています。
よかったら読んでみてください。

2000年
第14回新風舎出版ノンフィクション部門に公募。2次を通過したが出版にはならなかった。メッセレル先生のことを本にしょうと1990年から書き続け一つの形になった。今も大切な原稿が書かれています。

1938年3月 ロシア メッセレル先生からお聞きした話をそのまま書きました。

虹の彼方5に書かれています。

虹の彼方に1

虹の彼方に2
虹の彼方に3
虹の彼方に4
虹の彼方に5
虹の彼方に6
虹の彼方に7
虹の彼方に8

 

この本に紹介されているスラミフィ・メッセレル先生と出会ったのは盛岡の黒澤智子バレエ研究所の事でした。

黒澤智子先生のスタジオには力丸純奈さんがいらっしゃいました。

1980年にローザンヌ国際コンクール振付賞を受賞され、現在は青森県八戸にスタジオがあります。

私も1986年、純奈さんが一時帰国公演「リゼット」で出演される時には私も出演する予定で盛岡の黒澤先生のスタジオに伺いましたが出演することもなく東京都目黒区中根町に住み、谷桃子バレエ団・研究所の生徒になりました。体調を崩し仙台に帰りましたがまた再び谷桃子バレエ団に帰り、結婚しました。

谷桃子バレエ団・研究所の稽古場にメッセレル先生が仕事でいらっしゃることもあり何度かメッセレル先生のレッスンを谷桃子バレエ団・研究所で受けることができたのです。

谷桃子バレエ団のレパートリーにはメッセレル先生が振付した「リゼット」と言う作品があります。

谷桃子バレエ団は1949年に創立され、「リゼット」と言う作品は1962 年に日本初演

原題は「ラ・フィユ・マル・ガルテ」でメッセレル先生も現役バレリーナ時代に踊られた作品です。

2020年1月19日に谷桃子バレエ団 70周年記念新春公演を見に行きました。

谷桃子バレエ団で私が知っているダンサーはコーラ役の牧村直紀さんです。

何故?私が牧村直紀さんを知っているかと言うとお母様もよく知っていたからです。

神原ゆかり先生。

多胡寿伯子先生のスタジオの「くるみ割人形」で神原ゆかり先生、牧村直紀さんと同じ舞台に立ちました。
多胡版「くるみ割人形」を読んで見てください

渡邉順子 経歴
多胡版「くるみ割り人形」(谷桃子バレエ団系列の舞台)
 思い出の谷桃子バレエ団・研究所 発表会1993年

 

結婚して出産、子育てして、メッセレル先生のお弟子さんのスタジオを借りてバレエの練習をして舞台復帰したのは2000 年の事です。

日本の夜明けの本でも紹介されている鎌倉の本間陽子先生のスタジオを借りて一人孤独にレッスンしました。

本間陽子先生は神奈川県出身のバレリーナ。日本人バレリーナ海外進出の先駆者。

あの頃のように2021年4月からまた再び孤独なレッスンを始めます。

55歳と言う年齢ですので静かに見守ってくださいね。

最近は大川航矢さんと寺田翠さんの映像を見ているのが大好きです。
筋トレ日記4

渡邉順子

 

 

渡邉順子

また再びレッスン頑張ります。渡邉順子

前から三番目が私で4番目が神原ゆかり先生。

ミラノ・スカラ座バレエ団でレッスンを受けていた頃の私とメッセレル先生。

本間陽子先生とメッセレル先生

 

私が撮影した牧村直紀さん。

 

谷桃子バレエ団
70周年記念公演

 

バレエ大国

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