伊達の風 組曲2


谷桃子先生 2015年他界

横浜で「瀕死の白鳥」を踊り終え、仙台に帰ってきて、早2年。
2020年7月19日、久しぶりに谷桃子先生が夢に現れた。
なぜ?夢に現れたのだろう??
横浜で「瀕死の白鳥」を10年踊り続けて

主人と仙台メデアテークに行き、本を借りた。
西公園にある東勇作像「牧神の午後」の資料となる「牧神 或るは東勇作」東勇作同門会編を借りた。

本の中にDVDが入っていた。
NHKテレビ「音楽の歴史」
バロック音楽のあけばの
1963年6月28日
なんと古い映像でしょう。
しかし、東勇作さんを見れて良かった。

東勇作40周年記念公演プログラム
この中に谷桃子先生の名前があった。

カルナバァル シューマン曲 振付 東勇作(フォーキンによる)
エストレラ  貝谷八百子
シャリーナ  谷桃子
コロンビーナ 松山樹子
パピヨン   佐多多枝

「日本のバレリーナ」と言う本があるけど早々たるメンバーが踊られた作品があったのです。

谷先生のお話では貝谷八百子先生が「瀕死の白鳥」を得意とされていたとお聞を聞いたことがありました。
東勇作先生の40周年祝辞に谷先生が書かれた文章を読み、まだ私の「瀕死の白鳥物語」が終わっていないことがわかりました。
「東京バレエ団の結成されて以来、先生には、折にふれ、なにかとご指示、ご指導をいただき、ことに「瀕死の白鳥」は先生のご教授を受けて踊ったことがございます。」

谷先生、私にとっても東勇作先生はお目にかかったことはありませんが、同じ仙台出身で谷先生とゆかりのあった先生だと分かり、
東先生のことを本で調べ色々書かせて頂こうと思います。
2020年7月23日

東先生の事を書いた文章
「西洋の芸術を立派に踊るこの人の口から、東北訛が流れるのは。何となく微笑ましい」薄井憲二

1910年4月18日 宮城県仙台市大町に勇作生まれる。
1922年3月  仙台 立町小学校卒業
1922年4月 横浜 私立関東学園中学に入学
9月 横浜劇場でアンナ・パブロワ公演をみる。
1924年 9月 関東大震災 仙台に戻り、仙台二中(現在は県立二高)に転校。
仙台アマチアュア・バレエ団で、バレエ研究所を始める
1925年仙台二中・音楽部に在籍。音楽部主催で仙台公会堂にてチャイコフスキーバレエ音楽
「くるみ割り人形」に2日間上演、初舞台。
1928年 仙台二中卒業。早稲田大学に入学。中退。
1930年 エリアナ・パブロワ門下入門 内弟子となる。
1932年 エリアナ・パブロワの内弟子を辞めて生徒にある。
1936年 東勇作アカデミー・ド・バレエ・クラシック研究所・バレエ団を設立。
1941年 東勇作バレエ団 第1回公演 「レ・シルフィード」「牧神の午後」「小品集」など。
中略
1944年東勇作舞踊団 第6回公演
東勇作舞踊団は慰問隊舞踊として活躍する。
1946年 東京バレエ団結成記念公演「白鳥の湖」王子役:東勇作
1954年東勇作創立20周年記念公演
「古典組曲」「桜浜さく国」「はなかげ」他
1971年8月4日 日本バレエ協会名誉委員 東勇作逝去
1998年9月27日 仙台市 冷源寺内に同門会が建立式典

東先生が書かれた「楽しみな日本のバレエ」日本経済新聞に、こう書かれている。
「パブロワ門下の俊英」
仙台で基礎みたいなことをやっていたので、舞台にはすぐ出たが、出演料なしで月謝を払うというへんな生徒だった。
ひと旅して帰ってから(地方公演)おしりが大きので私の手がまわらず、困ったものだ。ピルエットといって足を軸に
回転するしぐさについては、いやだというし、こわいから肩へ乗るのもいやという、まあ、たいへんな先生だった。
しかし、日本で習えるただひとりの先生だから、毎日、毎日まき割りをしながら、教えてもらえるが幸福と考えて、ともかく
そばにいてチャンスをつかんでは習ったものだ。私をはじめ貝谷八百子、橘秋子、服部智恵子等々、その後の日本のバレエ界
をしょって立った人たちが排出したのである。
昭和42年1月31日

私も8歳から20歳まで仙台の藤井サト子バレエ研究所でバレエを学びました。
その後、東京の谷バレエ団・研究所で8ヶ月間バレエを学び、体調を崩し帰仙。
その後、橘バレエ学校仙台教室でバレエを3年ほど学びました。
(1988年〜1991年)
1991年に鎌倉にあるエリアナ・パブロワ記念館を訪ね、ミラノ・スカラ座バレエ団で仕事している、
スラミフィ・メッセレル先生のレッスンを受け、晴れてまた東京に戻り谷桃子バレエ団・研究所の生徒を続けることができました。
大いに挫折して、もうバレエはできないと思った自分を橘バレエ学校が受け入れてくださり。
なんとかバレエの道に戻ったことには感謝しています。
そして結婚してバレエの道から離れ、子育て中にメッセレル先生の受賞のパーティー会場(1997年)で
谷桃子先生、牧阿佐美先生、松山樹子先生方に
お会いして2001年にバレエの先生としてまたバレエの道に戻りました。
1997年に松山樹子先生から「メッセレル先生の恩恵がありますように」と言って頂き。
2000年から「瀕死の白鳥」を踊り続けることができました。
今、(2018年〜)また仙台で静養中です。(笑)
「瀕死の白鳥 物語1」

2018年に帰仙。
仙台メデアテークで「牧神 或いは東勇作」の本と出会い。
JUNブロブに質筆中
2020年7月25日

東勇作舞踊40周年公演の祝辞に橘秋子先生の文があります。
「波の音と風の音にあけくれる七里ガ浜」
東先生と同じパブロワの内弟子として釜のご飯を食べた七里ガ浜時代と書かれています。
東先生は「ボブチカ」という愛称で呼ばれていたそうです。

谷戸の風7
谷戸の風7の海と言う曲はエリアナ・パブロワの生徒たちが海でバレエを踊っている風景に思えてきました。

*「牧神 或いは東勇作」
*仙台の西公園にある牧神の午後の像に書かれている東勇作バレエ歴を参考に書きました。

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