バレエ童話 ガラスのバレリーナの資料

バレエ童話

 ガラスのバレリーナの資料

彫刻家のイメージ

「若き芸術家たちへ」
佐藤忠良・安野光雅

佐藤忠良

絵を描く

 

BEAR BALLET

バレエレッスンイラスト
プリエ

絵本の見本品

2023年9月16日
修正しました。
熊のバレリーナ

初めて作った賢治本
2ページ

資料にした本

バレリーナ谷桃子

谷桃子バレエ団

バレリーナ
谷桃子物語り

バレリーナ谷桃子物語りに描かれているタンポポダンスのイメージ画

たんぽぽダンスの絵 あぜ道にあるタンポポをふーと吹く。綿帽子がばらばらになって宙に舞う。

タンポポダンス

 

2023年8月31日 日記

今日は「タンポポダンス」の絵を描きました。

谷先生の踊られた作品を少しづつ描きたいのですが戦争中の慰問隊で踊られた「アニトラの舞」は描けません。

わからないから描けません。

敗戦後は「白鳥の湖」を踊り、日本のバレエ の発展に生きられた方でした。

白鳥の湖はイメージ画が描けます。

白鳥を描く予定ですから。

作家 三島由紀夫さんは「軽やかさ、その憂愁、そのエレガンス」と谷先生の事を語っています。

谷バレエ 団の舞台美術は猪熊弦一郎、田村孝之介、小磯良平、鈴木信太郎、脇田和、伊藤継郎と言う当時の日本画壇を代表する画家の名前が並んでいます。

*岡鹿之助画伯とも親交があった。

この部分はJUNブログにも書いています。

私が1990年に書いたバレエ童話の中に登場するガラスのバレリーナは何枚も何枚もスケッチを繰り返し、彫刻家として名が知られるにも大変だったの彫刻家の話しでした。

私は仙台に生まれ、宮城県美術館で小さい頃から佐藤忠良の彫刻に触れ、ごく普通に生活し、書いた作品がガラスのバレリーナだったのです。

バレエ童話のイメージとしては、彫刻家のアトリエに絵のモデルで仕事に来た、バレリーナから様々にバレエの話を聴き、作り上げた

作品を最後にガラスで作り上げると言う童話です。

ドカの踊り子のような雰囲気の作品。

彫刻家のアトリエからまずはスケッチをはじめる予定。

ゆっくり、童話は書いていきます。

たくさん勉強しないとわかりませんから、いつ描き終わるかわかりません。

ロダンがモデルにした花子さんと言う話しはとても表現がある像で佐藤忠良さんもロダンは日本人が作るより、もっと日本人的。

ロダンはすごい作家だと語っています。

私にはバレエ 童話 ガラスのバレリーナは未完成作品で終わらせたいと思いながら書いていきます。

しらとりのページに書いてある画家の紹介

小磯良平・岡鹿之助

しらとり 2023年

小磯良平 舞台美術1950年 「白鳥の湖」第2幕 ・1951年 「火の鳥」

岡鹿之助 岡先生の手紙記載されている。

岡画伯の手紙は日本の舞台史上の貴重な記録として残しておきたいと思いあえて綴った。

岡画伯は1925年ー1939年の長いパリ生活のあと、第二次大戦のため止むなく帰国。同じ、パリのアパートで互いに尊重し合う仲間であった阿部女史の進めならと谷桃子のオデットを見た。これが出会いであった。谷桃子と直接会い、自分の見たパリのバレエの話、また舞台の数々、寄席の芸人が一回一回に、いかに全霊を込めて演じているかなどを語るようになった。

「おそらく、白鳥湖の装置としては最上のものと思います。ことに第三幕は傑作。奥深さの効果。壁の色の美しさ。その壁の色と衣装との比較。衣装の色のグループ別の効果は狙う通りの効果を上げたように私も考へられます。ナポリターナは美しかったですね。

全体が優雅な色調に出来ておりましたし、構成に変化があって、海外の舞台をみている感じでした。ゴランランも成功。

第二幕の単色調と森の表現は私は賛成します。この場面は他の場面と違った一種の幻想をたたえてをりました。決してトッピなものではなく、意識しすぎたものなく、云はばごく自然を現れ方であるのに、この場面は確かに異様な雰囲気を作り出すのに成功しておりました。しかもこの表現は新しい。湖水に浮かぶ城は、二階席からでは半分しか見られないので、よくわかりませんでしたが、湖水のへりの岩(フィルムが良い)の表現など大いに賛成で、ひとりニヤニヤして眺めたことでした。確かに今後の舞台装置は全幕を通じて画家の意図するものが一本ギュと感知され、まことに結構なお仕事だったと喜んでをります。ご苦労の見事な結実と存じます。

お疲れでせう。充分なご加餐を念じ上げます。

1955年 11月13日

「谷桃子バレエ団の40年」の本から引用する

谷桃子バレエ団

谷桃子先生は1922年、1歳の時にお母さんに抱かれ アンナ・パブロワの来日公演で「瀕死の白鳥」を見、1930年からバレエの道を進みはじめたと言うこと。私は1991年に谷桃子バレエ団の稽古場で谷先生から「瀕死の白鳥」の指導を受け、仙台のバレエスタジオのクリスマスコンサートで「瀕死の白鳥」を踊りました。母になっても「ひとつの事を続けなさい」谷先生言葉。 2000年から2010年まで踊り続けた。「瀕死の白鳥」 私にとって谷桃子先生と言う存在が私を踊らせていたようにも思います。2015年4月26日 谷桃子先生が亡くなり鎌倉の海を眺めながら時間をかけて「瀕死の白鳥」物語を書き綴ってみようと思いました。

渡邉順子が書いた「瀕死の白鳥」物語

JUNの仙台自由時間 2023年1月

JUNの自由時間2023年月にも谷桃子先生を紹介しています。

戦花の中の花一輪

「谷桃子が踊っていたことだけが、あの戦争中のショツクであり、味気ない時代の安らぎであった。

戦時中のくらい時代に、ドキドキするような歓喜と哀愁を味わった谷桃子の踊りと書かれています。

谷桃子を紹介するページ

横浜で「瀕死の白鳥」を10年踊り続けて

「瀕死の白鳥」の練習風景 

「瀕死の白鳥 物語」

 

谷先生 初の創作バレエ「彼岸花」曲 ドビュッシー

イメージ画

曼珠沙華とダンサー
途中経過
2021年6月27日

曼珠沙華とダンサー
2021年作品

黒トンボと白猫

2021年6月18日
黒トンボと白猫と曼珠沙華

 

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