「瀕死の白鳥物語4」

「白鳥の子は白鳥」

私は1974年2月(8歳)からバレエを学びました。1980年の発表会では「白鳥の湖」で憧れのオデット姫は踊れませんでしたが2001年2月に横浜市磯子区にあるスタジオを借りJUNバレエスクールを開設。2003年 バレエ&舞踊フェスティバルで「白鳥の湖」第2幕を踊ることができました。結婚後もプロのダンサーさん達が出演する舞台にも出演。2005年 ABC FACTORY 「ゆうづる」。2007年は骨髄バンクチャリティーコンサートに2月 目黒パーシモンホール。4月 神奈川県民ホール。8月 宮城県民ホール。やっと生まれ故郷 仙台でも、「瀕死の白鳥」を踊ることができました。私がマイヤ・プリセスカヤさんの踊る「瀕死の白鳥」を見た宮城県民ホールで踊られたことに感謝しています。

結婚、出産、子育てをしながら踊り続けた「瀕死の白鳥」。

2000年に鎌倉芸術館で踊った「瀕死の白鳥」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瀕死の白鳥の歩み

2000年 4月鎌倉芸術劇場・5月横浜市イズミ公会堂

2001年 JUNバレエスクール開設・12月鎌倉芸術劇場・根岸駅前 ステッジョィホール

2002年 8月関内ホール・相模大野グリーンホール

2003年 白鳥の湖 相模大野グリーンホール

2004年 9月関内ホール・11月よこすか芸術劇場

2005年 6月八王子芸術劇場・11月関内ホール

2006年 9月関内ホール・10月よこすか芸術劇場

2007年 2月目黒パーシモンホール・4月神奈川県民ホール・8月宮城県民会館

2008年 4月神奈川県民ホール・10月テアトルフォンテ

2009年 10月テアトルフォン

2010年 6月神奈川県立音楽堂・8月いわきアリオス・10月テアトルフォン

*2001年〜2008年までは根岸のスタジオを借り。2008年11月から金沢区のスポーツセンターを借りて教えるようになりました。

新井美智代先生の絵の教室のバレリーナモデルの仕事を2009年から始めれるようになりました。その後は鈴木崇夫先生がずっと私をモデルに書いて下さいました

鈴木崇夫先生 「第55回大調和展にて控え室の踊り子が受賞」

JUNバレエ塾

に名前が分かり金沢区の公会堂で行われる金沢文化芸術祭に生徒達と出演。私自身はダンスカナガワフェスティバル、多胡版 くるみ割り人形に出演。ヨコハマコンペティションで新しい作品作りに挑戦するためにコンクールにもチャレンジしました。「バレエ鷺娘」と言う作品も作りました。

2009年に「白鳥」と言う創作バレエを創りました。

横浜で「瀕死の白鳥」を2000年〜2010年まで10年間、踊り続けた白鳥は2015年には孤独の歳月の音楽の中で「瀕死の白鳥」の振り付けを取り入れた作品を発表しました。

2016年には詩吟チャリティーコンサート「泣くな長崎」の作品にも「瀕死の白鳥」の振り付けをアレンジして踊りました。メッセレル先生が亡くなり、谷桃子先生が亡くなり、マイヤ・プリセツカヤさんが亡くなったとしても「瀕死の白鳥」は生き続けています。

2017年 9月の舞台では「生きても歓喜 死んでも歓喜」の作品の中で最後に床に倒れ、片アチチュードで立ち上がる振り付けは「瀕死の白鳥」の振り付けです。

 

谷桃子 1921 1月11 日−2015年4月26日

マイヤ・プリセツカヤ 1925年11月20日ー2015年5月2日

スラミフィ・メッセレル 1908年8月27日ー2004年6月3日

 

「白鳥の湖」を踊る渡邉順子 2001年

2004年「瀕死の白鳥」

渡邉順子「瀕死の白鳥」
2004年

2010年「瀕死の白鳥」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

画家の新井美智代先生と。

鈴木崇夫先生の書いた「カルメン」

第55回大調和展にて控え室の踊り子が受賞。

カルメン

鷺娘(2014年)

鷺娘(2014年)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

渡邉順子 振り付け「白鳥」 2009年

渡邉順子 経歴
バレエ鷺娘
ダンスカナガワフェスティバル2010年〜2015年
仙台雀踊り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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