瀕死の白鳥3
マイヤ・プリセツカヤさんの踊る「瀕死の白鳥」を見たのは、私が高校生の時、仙台での舞台だった。その舞台でプリセツカヤさんに花束を渡し、サインを頂いた。
プリセツカヤさんの「瀕死の白鳥」は今もYouTubeで見ることができる。プリセツカヤさんが幼い頃につま先立ちして履き潰した靴が映像やコミック版「世界の伝記 マイヤ・プリセツカヤ」で紹介されている。スラミフィ・メッセレル先生の写真も映像の中にある。
ロシア・バレエの黄金時代
この本の「マイヤ・プリセツカヤの芸術」という章には、著者である野崎さんとメッセレル先生のインタビュー記事が記載されている。
私が学んだ「瀕死の白鳥」の振付の中に秘密めいた指導がある。「銃でころされた」という言葉。(実はロシア革命でプリセツカヤさんのお父さんは銃殺されました。プリセツカヤさんは父の死についてメッセレル先生は語るのではなく「瀕死の白鳥」を振り付ける事で死を教えたのです。「死ぬのも一瞬』メッセレル先生の指導の中に言われた言葉です。この言葉を理解し死について学びながら私は踊り続けました。
だからこそ谷先生の指導の中で、地べたから片脚アチチュードで再び立ち上がる姿で振り付けを終わらせたいというニュアンスの話になるのかと思う。
2017年に踊った「生きるも歓喜 死んでも歓喜」の振付では、背中を見せて飛び立とうとする白鳥が空から落ちることなく空に舞い上がって行く振付で終わった。2016年には詩吟コンサートで踊った「泣くな長崎」の振付も、最後は鳩になって飛んでいった。
この映像がオススメです。
原稿用紙の束。
1938年のロシアのお話を聞いて書いた原稿用紙。
メッセレル先生からプリセツカヤさんや当時のロシアについて学び、私はメッセレル先生に振り付けして頂いた「瀕死の白鳥」を10年間踊り続けることができた事に今も感謝しています。
私が学んだ「瀕死の白鳥」はプリセツカヤさんと同じ振り付けです。
*メッセレル先生からお聞きしたロシアについてのお話は後から導入します。
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