谷桃子バレエ団

私が始めて仙台で8歳の時から習ったバレエ研究所の発表会のプログラムには、必ず谷桃子先生と指揮者の福田一雄先生のお祝いの言葉が書かれていました。

1977年にバレエ作品「ジぜル」と言う作品を発表会で上演する時の谷先生の言葉は

「古典中、最も古い作品であり、又現実の世界と幻想の世界とを見事に、美しく書き出された素晴らしい作品で、踊り手にとっては、このジゼル役を踊る事は、誰しも望みではないかと思っております。」

―1977年 藤井さと子バレエ研究所発表会 プログラムよりー

谷先生のジゼルを拝見することもなく、写真だけは見たことのある私でした。

谷バレエ団の公演で見たことがあるといえば1987年に高部尚子さんが踊られた「ジゼル」でした。

舞台の最後に谷桃子先生が登場しお辞儀をするのですが、そのお辞儀がとても素敵でただその姿を見ただけでジゼルと言う役柄を感じることができました。

谷桃子先生と言えば「ジぜル」。「ジゼル」と言えば谷桃子と言う代名詞がつくほどの舞台を拝見できなかったことが残念です。

谷桃子先生は1974年にバレエ作品「ジぜル」を演じ53歳で現役引退。

バレエを習っている踊り手ならだれでもが言う言葉は「ジぜル」を踊りたい。

それがバレエを習っている人たちの永遠の課題作品だからだと思います。

バレエ作品「ジぜル」について知りたい方は様々な方法で「ジぜル」について調べてみてください。

1987年から谷バレエ団の公演を見るようになりましたが一番、最初に見た作品が「リゼット」と言うバレエでとても楽しい作品でした。

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1987年1月9日・10日

谷桃子バレエ団公演「リゼット」のプログラムより

「リゼット」の音楽について

「リゼット」= LA FlLLE MAL GARDEE

現在に伝えられるバレエとして、最古のものと云われていますが、それは、今から約190年も前の1789年6月1日にボルドーで、ドーベルバルの演出振付、ドーベルバル夫人のテオドールを主役として上演されたものだからです。

初演版は翌1790年4月には、ロンドンでも大成功を納めたと記録されています。

1864年

ドイツのポール・タリオーニ(有名な振付師フィリッポ・タリオアーニの息子で不正出の舞姫マリー・タリオーニの弟にあたる人です)によってこのバレエが再演される際、新しくヘルテルによって作曲されました。

1885年にプティパとイワノフによってロシアで再演される際には、音楽としてこのヘルテル版が基になり、以来、アンナ・パブロワの為のゴルスキーの演出振付、1937年のロブロフスキー演出振付、ニジンスカによるアメリカ初演(1940年)等、このヘルテル版を基にしたもので、上演されて来ました。

1960年にロンドンのロイヤルバレエ団でフリデリック、アシュトンによって、このバレエをリバイバルすることになった時、アシュトンは当時の音楽監督のジョン・ランチベリーと協議し、従来のヘルテル版をやめて、エロイド版を基にすることにしました。

 

福田一雄

現在、よく DVD や日本のバレエ団・海外のバレエ団などで上演されるバレエ作品はロイヤル版の「ラ・フィユ・マル・ガルテ」です。

谷桃子バレエ団の「リゼット」には谷バレエ団の歴史が刻まれたバレエだったように思います。

 

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「谷桃子バレエ団にリゼットを何故、振付したのですか?」と故メッセレル先生に尋ねると「チャイコフスキー記念東京バレエ学校でバレエを教えていた時代。谷さんはバレエ団を持っていました。何か私たちにできる新しい作品を振付してほしい。
私は考えました。 ラ・フィユ・マル・ガルテ 。(リゼット)私は谷バレエ団で仕事をしました。」

メッセレル先生が初めて谷桃子バレエ団で仕事をしたのは1962年に初演された「リゼット」と言うバレエ作品でした。

1987年 谷桃子バレエ団「リゼット」のプログラムより 谷桃子先生の演じるリゼット 1978年の写真

テス対談 「バレエーこの一筋につながるもの」  谷桃子・笠原 佐枝子

リゼット について 谷桃子先生がこう語っています。

「メッセレル先生がチャイコフスキーバレエ学校にいらした事に、私たちの力に合った 作品。ロミオとジュリエットのような大変なものだといろいろ抜けてしまうだろうしとくかく谷バレエ団の力に合ったものをとお願いしたら「じゃあ、谷さんにはラ・フィユ・マル・ガルテ 。(リゼット)がいいんじゃないかと。谷バレエ団の人数とかいろいろな関係で」

私がリゼットの振付にほんの少しかかわったのは1986年 盛岡の黒沢智子バレエスタジオでは谷桃子演出・振付で力丸純奈が文化庁派遣在外研修帰国記念会で踊られた「リゼット」のリハーサルに一日だけ参加した時でした。

谷桃子先生が椅子に座り「ここにリゼットが座っているでしょう〜〜」

私自身、谷桃子バレエ団の「リゼット」を見たことはなかったけれど。

谷先生が椅子に座った瞬間。「リゼット」と言うバレエ作品が見たいと思いました。

そして谷桃子先生からバレエを学びたいと思ったのです。

 

1986年7月に東京の目黒区中根町に住み谷桃子バレエ団・研究所の生徒になりました。

初等科・中等科のレッスンを受け1987年1月新春公演「リゼット」を初めて見たのです。

袁霞さんと高部尚子さんの演じるリゼットは何とも愛らしいリゼットでした。

第2幕のメイ・ポ―ルにどんどんリボンが編まれていく様をみているのが楽しかったし最後にリゼットが花嫁衣裳を着てコーラと手をつないでいる場面を見るとあ〜〜これで結婚することを許してもらえたのねと思いました。

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谷桃子バレエ団の公演は1987年の1月 新春公演「リゼット」・11月「ジぜル」

1988年新春公演「白鳥の湖」。1990年3月仙台・山形「白鳥の湖」。

1991年「シンデレラ」メッセレル振付。1992年「白鳥の湖」。

 

1986年〜87年の8ヶ月間、谷バレエ団・研究所でバレエを学び、仙台に帰ってからも谷バレエ団の公演を見続けました。

地方公演で仙台と山形の公演があった時にも舞台を拝見しに伺い。

1992年にもう一度、谷桃子バレエ団・研究所に戻り1993年新春公演「ドン・キホーテ」に出演。

私の中で谷桃子バレエ団の舞台に立ちたいと言う夢が叶い結婚しました。

 

1994年1月に新春公演「リゼット」を見て3月に結婚式をあげました。

私にとって谷桃子バレエ団と言えば「リゼット」と言うバレエ作品が思いで深い作品です。

メッセレル先生にとっても初めて谷桃子バレエ団に振付した作品であり谷バレエ団では日本初演を飾る作品として日本のバレエ界の歴史に刻まれていると思うからです。

 

子どもが生まれ娘を連れて見に行った作品が1999年・創作バレエ3「卒業舞踏会・テス」

娘は卒業舞踏会を見て主人に連れられ帰宅。

私は「テス」と言う作品を最後まで見て帰宅しました。

客席で谷先生・メッセレル先生・私が娘を抱いて写した写真がメッセレル先生と写した最後の写真となりました。

1999年メッセレル先生・谷先生・娘を抱いて。

2004年6月 メッセレル先生 他界。

*私自身は谷先生からメッセレル先生振付の「瀕死の白鳥」の指導をしていただき、

2000年から横浜で「瀕死の白鳥」を踊り続けました。

谷バレエ団公演の舞台鑑賞

2000年「ロミオとジュリエット」「令嬢ジュリー」。

2006年「ラ・バヤデール」・「創作バレエ10」

2007年「くるみ割り人形」・「創作バレエ11」

2008年「ラ・バヤデール」

2010年「ドン・キホーテ」

2011年「ラ・バヤデール」

谷バレエ団の公演を1987年から見続けてきた私にとって、谷桃子バレエ団の歴史の中に自分の人生も刻まれているように思います。