仙台に帰ってきた!1

「仙台に帰ってきた! 1」

2018年7月14日から久しぶりにまた仙台市民となった。

横浜在住中は、ブログに「瀕死の白鳥物語」を書いてきたけど、これからは「仙台に帰ってきた!」でブログを更新することにした。

昭和41年3月10日に東北大学病院で生まれ、高校卒業後は印刷会社に3か月勤務、その後、祖父の縁故で2年間、大学病院のレントゲンの受付事務の仕事をした。印刷会社は残業が多く、8歳から始めたバレエの習い事に通えなくなり、おまけに体調不良になったこともあって近所の病院に勤めを変え、仕事が終わるとバレエのレッスンに通い、土曜日、日曜日は子ども達にバレエを教えるという生活に変わった。

20歳の時にバレエと大恋愛して、谷桃子バレエ団・研究所に通うため、東京都目黒区中根町で一人暮らしを始めた。8ヶ月間バレエを学び、初めて人生初の挫折を味わう。初めての一人暮らしとアルバイト、バレエのレッスンの毎日、経済的な事情に加えて心の弱さから間もなく帰郷。地元に戻ってからは、東北電力でアルバイトをした後、石油資源の会社に勤めた。そしてバレエを再開。東京へも頻繁に行くようになり、再び東京暮らしが始まる。その後、結婚、出産、子育て、その間もバレエを教え、舞台に立ち、横浜の中区在住中にブログを書いたりしていた。前述の谷桃子先生は2015年4月26日に亡くなる。その年の6月に神奈川県音楽堂でのダンスカナガワフェスティバルで「カルメン」を踊ったのを最後に、2010年から出演していたダンスカナガワフェスティバルへの出演に終止符を打った。それからはバレエを教えることもあまりしなくなり、いつのまにか鎌倉のホテルでスチュワート業務をしながらピラティスを学ぶようになった。スポーツセンターで身体を動かし、舞台にも出演していた。

2018年に娘が大学を卒業、就職が決まり横浜の上大岡で一人暮らしを始めたのを機に主人と共に仙台に帰ることにした。母が仙台で一人暮らしをしているため、仙台市青葉区八幡町の大崎八幡神社の近所に主人と暮らし始めた。私の学んだ仙台一中や母の家とも近く、かつて私が勤めた東北大学病院にも近いところだ。医療食品会社のパート社員として、また東北大学病院に勤めることにした。仙台に帰ってきてからは、子どもたちに週一日、バレエではなく体操を教えている。

50歳を過ぎ、舞台に立つことはなくなったけれど日々忙しく暮らしている。15時から大学病院で仕事、午前中に3時間ほどスチュワート業務の仕事をしに行くことがある。スチュワートの仕事は7月、8月には仕事がない時期もあるけれど、朝はスチュワート、午後は病院と働いているうちに一日が終わる。そして週一日は順子先生になる。

今も子ども達に接する仕事を続けられることに感謝。そして横浜と鎌倉のホテルで土曜日、日曜日に婚礼スチュワート業務をしていた経験を活かし、また仙台でも仕事ができることに感謝の日々を送っている。

 

少しつづ、順子先生の住む仙台市青葉区八幡界隈を少し紹介してみたいと思う。

 

*若き日に宮城県柴田郡大河原で、絵のモデルをしたことがあった。

2019年4月、久しぶりに船岡から大河原まで蔵王連峰を眺め、桜街道を散策してきた。NHK大河ドラマ「樅の木は残った」のロケ地だったことで知られる船岡は、沢山の観光客でにぎわっていた。これについても書きたいと思っている。

 

再び仙台で暮らせることにホッしている今を書いていきたいと思う。

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