瀕死の白鳥物語

「瀕死の白鳥物語」遺言

「瀕死の白鳥物語」遺言

「瀕死の白鳥物語」遺言   谷桃子先生から「瀕死の白鳥」の指導をうけたのは1991年だから、今から26年前のことになる。2000年から2010年まで踊り続けた「瀕死の白鳥」は、最後の場面で息を止め死んでいく。私

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「瀕死の白鳥」の練習風景 

「瀕死の白鳥」の練習風景 

  「瀕死の白鳥」の練習風景 2015年4月26日に谷桃子先生 他界。私自身も2015年12月でJUNバレエ塾を閉鎖した。谷桃子先生の「瀕死の白鳥」の写真を見るたびに、いつか会いたい先生、あこがれのバレリーナ、

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『瀕死の白鳥物語8』

『瀕死の白鳥物語8』

バレエ入門 三浦雅士 を読みながら谷桃子先生を語る。   谷桃子というバレリーナを説明する時にどんな本を参考に説明しようか、と考えた。舞台上で舞うバレリーナを見に劇場に行く時の私は、片思いの相手を見に行くような気持ちにな

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「瀕死の白鳥物語7」

「瀕死の白鳥物語7」

谷桃子先生に学ぶ「瀕死の白鳥」とマイヤ・プリセツカヤの「瀕死の白鳥の違い」 私の「瀕死の白鳥」とマイヤ・プリセツカヤの「瀕死の白鳥」の振り付けは、スラミフィ・メッセレル先によるもので同じ振り付けだった。後ろに反り手をバタ

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「瀕死の白鳥物語6」

「瀕死の白鳥物語6」

「心を強く」谷桃子先生からのお言葉 谷桃子先生との出会い 1982年 私が高校1年生の時だった。日本バレエ協会東北支部「全国合同バレエの夕べ」に出演するため東京の郵便貯金ホールに出かけた。郵便貯金ホールの隣にあるホテルの

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「瀕死の白鳥物語5」

「瀕死の白鳥物語5」

「母になっても、ひとつの事を続けなさい」(谷桃子先生からのお言葉) JUNバレエスクール誕生。 1999年11月18日にメッセレル先生と谷桃子先生と娘と三人で映した写真。 2001年2月にJUNバレエスクールを開設。 2

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「瀕死の白鳥物語4」

「瀕死の白鳥物語4」

渡邉順子の「白鳥の子は白鳥」 私は1974年2月(8歳)からバレエを学びました。1980年の発表会では「白鳥の湖」で憧れのオデット姫は踊れませんでしたが2001年2月に横浜市磯子区にあるスタジオを借りJUNバレエスクール

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「瀕死の白鳥物語3」

「瀕死の白鳥物語3」

  マイヤ・プリセツカヤさんの踊る「瀕死の白鳥」を見たのは、私が高校生の時、仙台での舞台だった。その舞台でプリセツカヤさんに花束を渡し、サインを頂いた。 プリセツカヤさんの「瀕死の白鳥」は今もYouTubeで見

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「瀕死の白鳥物語2」メッセレル先生に学んだこと

「瀕死の白鳥物語2」メッセレル先生に学んだこと

メッセレル先生から学んだ「瀕死の白鳥」 やっと「瀕死の白鳥 物語2」を書くことができた。これからこのブログには「瀕死の白鳥物語」の他に思い出の谷桃子バレエ団・研究所発表会のことや、多胡版「くるみ割り人形」、瀕死の白鳥に憧

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横浜で「瀕死の白鳥」を10年踊り続けて

横浜で「瀕死の白鳥」を10年踊り続けて

横浜で10年 踊り続けた「瀕死の白鳥」 2000年 4月鎌倉芸術劇場、5月横浜市イズミ公会堂 2001年 JUNバレエスクール開設、12月鎌倉芸術劇場、12月根岸駅前ステップジョイホール 2002年 骨髄バンク命のつどい

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