「瀕死の白鳥物語2」メッセレル先生に学んだこと

メッセレル先生から学んだ「瀕死の白鳥」

やっと「瀕死の白鳥 物語2」を書くことができた。これからこのブログには「瀕死の白鳥物語」の他に思い出の谷桃子バレエ団・研究所発表会のことや、多胡版「くるみ割り人形」、瀕死の白鳥に憧れて、エリアナ・パブロワ、ダンスカナガワフェスティバル、バレエ「鷺娘」について書いていこうと思う。この「瀕死の白鳥 物語3」には、メッセル先生が話して下さったことや、その姪のマイヤ・プリセツカヤさん、アンナ・パブロワさんについて書こうと思う。メッセレル先生に出会い、カードにメッセージを書いて頂いたことも懐かしい。

スラミフ・ミハイレロブナ・メッセレルは、エリザベータ・ゲルトに師事する。ゲルトの父はアンナ・パブロワを教えたバレエ教師。アンナ・パブロワについては「日本のバレエ 三人のパブロワ」という本などを読んでいただければより理解できるかと思う。この本の中に「パブロワの公演を見た舞踊関係者では、まず東勇作が12歳の時に、横浜でパブロワを見たのが契機となりバレエを始め、谷桃子は3歳の時に母に連れられて神戸で鑑賞…」と書かれている。谷桃子先生が3歳の時に母親の膝の上でアンナ・パブロワの「瀕死の白鳥」を見たというお話は、私も聞いたことがあったのでよく知っている。「生まれても声を上げない子で、すぐに死んでしまうような身体の弱い子だと祖母が言い出してね、母は3日間ずっと私を抱き続け、私はやっと声を上げたのです」と私に話して下さったことがあった。メッセレル先生に「瀕死の白鳥」を振り付けして頂き、谷桃子先生の指導を受ける中、私自身にとってのアンナ・パブロワの「瀕死の白鳥」は、ずっと遥か彼方にあるのだと感じていた。世界中のバレリーナが踊ってきた「瀕死の白鳥」は、神秘的な伝説となるほど有名な作品で、メッセレル先生の姪、マイヤ・プリセツカヤさんもまた世界中で「瀕死の白鳥」を踊ったバレリーナだった。メッセレル先生がプリセツカヤさんに「瀕死の白鳥」の振り付けをしたのは、彼女が14歳のときだった。

マイヤ・プリセツカヤさんについても少し書いてみようと思う。

1937年5月1日、プリセツカヤの父がスパイ容疑で逮捕され銃殺される。翌1938年3月に母のラリヒ(メッセレル先生の姉)が無実の罪で逮捕、プリズンに連行される。郵便局でメッセレル先生が受け取った小さな手紙は新聞の切れ端で、カザフスタンの収容所からだった。メッセレル先生はカザフスタンの収容所を訪ねる。1941年にようやくプリセツカヤの母ラリヒは釈放される。

この話に私は「方丈記」を読むような気持になったものだった。

ゆく河のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と又かくのごとし。

東京バレエ団ブログより

追悼 マイヤ・プリセツカヤ

5月2日(土)、20世紀を代表する偉大なバレリーナ、ロシアのマイヤ・プリセツカヤが心臓発作で亡くなりました。享年89歳。1943年にボリショイ・バレエに入団したプリセツカヤは、「白鳥の湖」や「ドン・キホーテ」で大成功を収め、50~60年代には世界最高峰のバレリーナとしての評価を獲得していました。そのプリセツカヤを始めて日本に招へいしたのが東京バレエ団でした。1968年、「白鳥の湖」の舞台で、当時すでに伝説的な至芸と評判だった彼女のしなやかで情感あふれる腕の動きは、類まれな音楽性や演技力とあいまって感動を呼び、大きな話題になりました。プリセツカヤはその後、69年の(マイヤ・プリセツカヤのすべて)、74年の東京バレエ団創立10周年記念公演にも客演。後年まで名演を続けた「瀕死の白鳥」、また夫君のロディオン・シチェドリン編曲によるビゼーの音楽を用い、ソビエト体制の下“闘うバレリーナ”を標榜するかのような情熱的な「カルメン」(アルベルト・アロソン振付)が、強烈な印象を残しました。そして76年には、当時東京バレエ団主催で上演された第1回世界バレエフェスティバルに、アリシア・アロソン、マーゴ・フォンテインと並ぶ三大バレリーナの一人として妍を競い、3年後の第2回では。20世紀バレエ団(現モーリス・ベジャール・バレエ団)の故ジョルジュ・ドンとともに、ベジャール振付の「レダ」を披露。自由な表現を希求する芸術家の生き様がひときわ光彩を放ちました。プリセツカヤは、東京バレエ団の前身である東京バレエ学校と、バレエ団の創成期に多大な尽力をくださった故スラミフィ・メッセルの姪でもあります。また昨年2014年、東京バレエ団の創立50周年にあたっては、没地となったドイツよりわざわざ祝辞を寄せてくださいました。

 

メッセレル先生の姪にあたるプリセスカヤ。

スラミフィ・メッセレル先生に出会い。カードにメッセージを書いて頂きました。マヤ・プリセスカヤさんが14歳の時に私がプリセスカヤさんに瀕死の白鳥を振り付けしました。

メッセレル先生のお兄さんが書かれた本

 

メッセレル先生について描かれているページがあります。

マイヤプリセツカヤの本

日本のバレエ

 

コメントを残す