瀕死の白鳥物語3-  メッセレル先生に学んで-

スラミフィ・メッセレル先生に出会い。カードにメッセージを書いて頂きました。マヤ・プリセスカヤさんが14歳の時に私がプリセスカヤさんに瀕死の白鳥を振り付けしました。

やっと「瀕死の白鳥物語」3を書く事ができます。このブログには「瀕死の白鳥物語」の他に思い出の谷桃子バレエ団・研究所発表会。多胡版「くるみ割り人形」。「瀕死の白鳥」に憧れて。エリアナ・パブロワ。ダンスカナガワフスティバル。バレエ鷺娘。「スパッ」と。金沢文化芸術祭。平和への願い。詩吟 桜井の訣別1 。2018年からは詩吟 桜井の訣別に挑戦します。

この「瀕死の白鳥物語」3はメッセレル先生の追悼で2004年に「瀕死の白鳥」を踊り2005年に「HAHA」と言う創作バレエを創りました。師匠は大地の如し →獅子とこのお話しは続いていきます。来年は創作バレエ詩吟「桜井の訣別」、その前にメッセレル先生から聞いたお話しを書かせていただきます。

スラミフ・ミハイレロブナ・メッセレルの先生はエリザベータ・ゲルトでゲルト先生のお父さんはアンナ・パブロワを教えたバレエ教師です。アンナ・パブロワについては日本のバレエ  三人のパブロワと言う本などを読んでいただければより理解できるあと思います。



この本の中に「パブロワの公演を見た舞踊関係者では、まず東勇作が12歳の時、横浜でパブロワを見たのが契機となり、バレエを始め、谷桃子は、3歳の時、母親に連れられて、神戸で鑑賞。」と書かれている。

私も谷桃子先生が3歳の時に母親の膝の上でアンナ・パブロワの「瀕死の白鳥」を見たと言うお話しはよく知っていますし、「生まれても声を上げ無い子ですぐに死んでしまうような身体の弱い子だと祖母が言い出してね。3日間、母は私をずっと抱き続け、私はやっと声わ上げたのです。」と私に教えて下さいました。

私自身はメッセレル先生に「瀕死の白鳥」を振りして頂き、谷桃子先生に指導を受けましたがずっと遥か彼方先にはアンナ・パブロワさんの「瀕死の白鳥」があり、神秘的な伝説となった「瀕死の白鳥」は世界中で踊って有名になっているのだと思いますし、メッセレル先生の姪に当たるプリセスカヤさんもまた世界中で「瀕死の白鳥」を踊ったバレリーナでした。

少しマイヤ・プリセスカヤさんについても書いてみょうと思います。「方丈記」ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみにうかぶうたかたはかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と又かくのごとし。


1938年3月にプリセスカヤの母  ラリヒは逮捕されます。1937年5月1日 プリセスカヤの父はスパイ容疑で逮捕され、銃殺。メッセレル先生のお姉さん。プリセスカヤの母がプリズンに連れて行かれました。郵便局でとても小さな手紙を貰いました。新聞の切れ端。カザフスタンの収容所。メッセレル先生はカザフスタンの収容所を訪ね、1941年4月にメッセレル先生のお姉さん、プリセスカヤの母は釈放。無実の罪でした。

私にとって この話は方丈記を読むような気持ちになったのです。

ネットから調べる マイヤ・プリセスカヤさん

東京バレエ団  ブログ

追悼 マイヤ・プリセツカヤ

5月2日(土)、20世紀を代表する偉大なバレリーナ、ロシアのマイヤ・プリセツカヤが心臓発作で亡くなりました。享年89歳。1943年にボリショイ・バレエに入団したプリセツカヤは、「白鳥の湖」や「ドン・キホーテ」で大成功を収め、50~60年代には世界最高峰のバレリーナとしての評価を獲得していました。そのプリセツカヤを初めて日本に招へいしたのが東京バレエ団でした。1968年、「白鳥の湖」の舞台で、当時すでに伝説的な至芸と評判だった彼女のしなやかで情感あふれる腕の動きは、類まれな音楽性や演技力とあいまって感動を呼び大きな話題になりました。プリセツカヤはその後、69年の〈マイヤ・プリセツカヤのすべて〉、74年の東京バレエ団創立10周年記念公演にも客演。後年まで名演を続けた「瀕死の白鳥」、また夫君のロディオン・シチェドリン編曲によるビゼーの音楽を用い、ソビエト体制の下、”闘うバレリーナ”を標ぼうするかのような情熱的な「カルメン」(アルベルト・アロンソ振付)が、強烈な印象を残しました。そして76年には、当時東京バレエ団主催で上演された第1回世界バレエフェスティバルに、アリシア・アロンソ、マーゴ・フォンテインと並ぶ三大バレリーナの一人として妍を競い、3年後の第2回では、20世紀バレエ団(現モーリス・ベジャール・バレエ団)の故ジョルジュ・ドンとともに、ベジャール振付の「レダ」を披露。自由な表現を希求する芸術家の生き様がひときわ光彩を放ちました。プリセツカヤは、東京バレエ団の前身である東京バレエ学校と、バレエ団の創成期に多大な尽力をくださった故スラミフィ・メッセレルの姪でもあります。また昨2014年、東京バレエ団の創立50周年にあたっては、没地となったドイツよりわざわざ祝辞を寄せてくれました

「瀕死の白鳥物語4」はメッセレル先生から聞いたお話しを書く事にします。

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