「瀕死の白鳥」に憧れて

  

谷桃子先生が亡くなり、横浜  元町の宝田さんでメモリアルの写真立てを作りました。日々手を合わせながらゆっくりと谷桃子先生について書いてみようと思います。フェスブックに書いたままの文章も載せていきます。



「泣くな長崎」と言う作品についてはJUNBLOG の中区情報  「平和への願い」をご覧下さい。


1991年 初めて「瀕死の白鳥」を踊った 当時の写真です。1992年にはコンクールで踊り、谷桃子先生が審査員でしたので見て頂きました。2000年から2010年まで踊り続け、こんなことを書いています。↓


「生きることも死ぬことも歓喜である」その言葉を知るにも「瀕死の白鳥」を踊り続けないかぎりわからない歓喜の舞です。

                                  憧れの谷桃子先生の「瀕死の白鳥」の写真

谷桃子バレエ団・研究所  主宰者 谷桃子先生の写真。


旧谷桃子バレエ団  東京 目黒区

私は8歳からバレエを学び  谷先生の「瀕死の白鳥」の写真に憧れ続けたのでした。ミラノ・スカラ座 バレエ団でメッセレル先生のレッスンを受けて、谷桃子バレエ団の稽古で谷先生から「瀕死の白鳥」の指導を受け、結婚し、出産。子育てしながらバレエの道に戻り Junバレエスクールを開設。10年間 「瀕死の白鳥」を踊り続け、日本舞踊の鷺娘をバレエ鷺娘として作品を発表。谷先生が亡くなった翌年の6月には「泣くな長崎」と言う詩吟の曲に「瀕死の白鳥」をアレンジした振り付けで踊りました。バレエの教えは辞めてしまいましたが、2017年は「生きても歓喜、死んでも歓喜」と言う作品を発表します。詳しくは「瀕死の白鳥 物語」2に書く予定です。


まだ作品を創っている最中なので、舞台が終わってからゆっくり書きます。(^.^)

2004年 横須賀芸術劇場で踊った「瀕死の白鳥」  渡邉順子

師匠は大地の如し中区  三渓園のハス


文 渡邉順子       2017年9月9日


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