「スパッ」と

「瀕死の白鳥」で私が一番難しいと感じた振り付けは地べたに伏して死の瞬間を感じながらも片足アチチュードでもう一度  立ち上がる振りです。

         

 片足アチチュードで立ち上がるシーン。何度、練習しても難しかったです。


1991年には地べたに伏して片足アチチュードで立ち上がりましたが、2000年からはその振り付けはカットしてしまいました。谷先生の「スパッ」との掛け声がないと上手く出来なくなったのかもしれません。

どんなに辛いことがあったとしても「スパッ」と立ち上がらなければならない時があります。2014年、私は主人と海外に行って静養してきました。2015年は家族でボホール島に行って来ました。負けるもんかってちょっとは踊ってみました。

海岸で「スパッ」と。

2016年は静養中でも「泣くな長崎」「バレエ藤娘」を踊り。今年は詩吟ジャスと「生きるも歓喜 死んでも歓喜」を踊るために中区のスポーツセンターでトレーニング。まだまだ、バレエを教えるには時間がかかると思いますが。のんびり教えをする日を待っていて下さい。

1997年の写真

娘にバレエを教えるためにJUNバレエスクールを開設。


1992年10月に谷桃子バレエ団・研究所に戻り谷バレエ団の「くるみ割り人形」に出演。1993年 谷桃子バレエ団  新春公演  「ドン・キホーテ」に出演。1994年3月に結婚。95年7月に出産。97年頃からバレエ復帰。2000年に「瀕死の白鳥」を踊り、2001年2月にJUNバレエスクールを開設。2008年からJUNバレエ塾と名前が変わり、2015年までバレエを教えるました。2016年からは舞台出演のみ。

2000年から2010年まで踊った「瀕死の白鳥」はまだまだ未完成。でも、谷先生とメッセレル先生は空の上で私が飛ぶのを待っていて下さっていると思います。

常に自分に勝つ人が最高の芸術家
光を求めて  私は私なりに飛んでいきたいと思います。

谷先生の「瀕死の白鳥」とは違うかも知れませんが私は私なりの「瀕死の白鳥」をこれから先も踊り続けて生きます。

私の「瀕死の白鳥」は生きるも歓喜  死ぬのも歓喜と言う題名に変わって行ったように思います。

最後に大勝利する「瀕死の白鳥」。未熟ですが最後に大勝利できるよう頑張ります。

どんなに 大変でも  立ち上がる勇気が必要です。

谷先生は「スパッ」と立ち上がったように私自身も「スパッ」と立ち上がってみせます。

2017年の「瀕死の白鳥」は最後に大勝利する作品。「生きるも歓喜 死ぬのも歓喜」

最後に生命の底力を見せる舞。

「スパッ」との振り付けを少しアレンジして最後に入れたいと思います。

1991年の「瀕死の白鳥」から26年の歳月が過ぎ  踊り続けた感謝の舞です。

谷先生、指導して頂きありがとうごさいました。


1986年  谷桃子バレエ団・研究所の初等科・中等科で学び。体調を崩し仙台に帰える。1991年「瀕死の白鳥」を谷桃子先生に指導して頂くため仙台から通う。1992年 谷桃子バレエ団・研究所の高等科・準団クラスを受け、谷桃子バレエ団の公演にも出演。結婚、出産、子育てをしながらJUNバレエスクールを開設。2008年からJUNバレエ塾と名前を変え2011年から谷桃子バレエ団 団員  多胡寿伯子先生に師事。多胡版「くるみ割り人形」に出演。ダンスカナガワフェスティバル、ヨコハマコンペティションなどの振り付けの指導を受ける。*2015年から詩吟コンサートにゲスト出演。「泣く長崎」では瀕死の白鳥をアレンジして踊る。

多胡版「くるみ割り人形」に2011年、2012年に出演しました。

 
2017年  9月  横浜  中区のスポーツセンターで練習を重ね30日に本番を迎えました。


振り付け内容はまた、ゆっくり書きます。

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