「瀕死の白鳥物語7」

谷桃子先生に学ぶ「瀕死の白鳥」とマイヤ・プリセツカヤの「瀕死の白鳥の違い」

私の「瀕死の白鳥」とマイヤ・プリセツカヤの「瀕死の白鳥」の振り付けは、スラミフィ・メッセレル先によるもので同じ振り付けだった。後ろに反り手をバタバタさせる振り付けや、地べたに伏してから片脚で立つ振り付けなど、ダイナミックな振り付けだ。多分、メッセレル先生が振り付けし、メッセレル先生が指導すれば「ボリショイ、ボリショイ」と言われる瀕死の白鳥になったことだろう。「瀕死の白鳥」で有名なアンナ・パブロワの振り付けはフェーキン版で、なんども地べたに伏して最後に死を迎えるが、メッセレル版はいちばん最後に地べたに倒れる。闘い続けた白鳥は、勝利者として死んでいくと私は理解し踊ってきた。闘い続けるというのは、私には踊り続けるという意味だ。「瀕死の白鳥」を踊る意味は、平和への願いと祈りなのだ。

 

「瀕死の白鳥」は独身時代の1991年、1992年、結婚し出産後の2000年に踊り、2001年にJUNバレエスクールを開設した後も、骨髄バンクチャリティーコンサートなどで10年間踊り続けてきた。最近では、2016年の詩吟コンサートでも「泣くな長崎」の作品の中で「瀕死の白鳥」の振り付けをアレンジし踊った。「泣くな長崎」の中では、最後は鳩になり大空へ飛んでいく。今まで私は死んでいく白鳥を踊り続けてきたが、2016年からは死ぬ姿を空高く飛んで行く姿で表現するようになった。渡邊順子の「瀕死の白鳥」は地べたに伏してからスパっと空に飛んで行くものに変わった。2017年の金沢文化芸術祭では「生きても歓喜 死んでも歓喜」の作品の中で最後に地べたに伏してからアチチュードで立ち上がる自作自演の振り付けだった。2015年のヨコハマコンペティション(モダンコンクール)の折に作った作品「天空の夜明け」は、輝きをもとめ、その輝きの意味がわかったという内容の作品だったが、未完成の部分があり、2017年の舞台では振り付けに「祈り」の部分を入れた。「どうか上手に踊れますように」と手を合わせ、舞台袖から光に包まれた舞台に向かって歩いていく姿。一生懸命に練習したこの姿を見てくださいと祈りながら。最初から心が負けていては良い踊りはできない。自分の弱い心に負けずに勝利することだけを願い舞台に立つ。谷桃子先生の指導は、私の「瀕死の白鳥」の最後が、いずれスパっと空に飛び立っていく作品になることを暗示した指導だったと思える。

 

始めて「瀕死の白鳥」を踊る時にメッセレル先生から頂いたメッセージ

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