「瀕死の白鳥物語8」

谷桃子先生に学ぶ瀕死の白鳥とマイヤ・プリセツカヤの瀕死の白鳥の違い。

私の「瀕死の白鳥」とマイヤ・プリセツカヤの「瀕死の白鳥」の振り付けはスラミフ・メッセレル先生です。

「瀕死の白鳥」を初めて踊った1991年の舞台を踏む日にはメッセレル先生からメッセージが届きました。私がメッセレル先生から振り付けして頂いた「瀕死の白鳥」は姪のマイヤ・プリセツカヤさんに振り付けした「瀕死の白鳥」と同じです。

後ろに反り手をバタバタさせる振り付けや地べたに伏してから片脚で立つ振り付けなどダイナミックな振り付けです。多分、メッセレル先生が振り付けし、メッセレル先生が指導すれば「ボリショィ・ボリショィ」と言われる瀕死の白鳥にになったことでしょう。

「瀕死の白鳥」で有名なアンナ・パブロワの振り付けはフェーキン版で何度も地べたに伏して最後に死を迎えますが、メッセレル版は一番最後に地べたに倒れます。闘い続けた白鳥は勝利者として死んでゆくと私は理解し踊ってきました。闘い続けると言うのは踊り続けると言う意味です。「瀕死の白鳥」を踊る意味は平和への願い、祈りです。

私は独身時代の1991年、1992年に「瀕死の白鳥」を踊り。結婚して出産、子育てしながらバレエの道に戻り、2000年にゲスト出演で「瀕死の白鳥」を踊り。2001年に JUNバレエスクールを開設。骨髄バンクチャリティーコンサートなので10年間、「瀕死の白鳥」を踊り。最近は2016年に詩吟コンサートで「泣くな長崎」の作品の中に「瀕死の白鳥」の振り付けをアレンジして踊りました。「泣くな長崎」の最後は鳩になって大空に飛んでいきます。今まで私は死んでゆく白鳥を踊り続けましたが、2016年からは死ぬ姿と言うのは空高く飛んでゆく事を表現するようになりました。渡邉順子の「瀕死の白鳥」は2016年から地べたに伏してからスパっと空に飛んでゆくのです。そして2017年の金沢文化芸術祭に踊った「生きても歓喜 死んでも歓喜」の作品では最後にすぱっと地べたに伏してからアチチュードで立ち上がる振り付けで踊りました。自作自演の振り付けです。2015年にヨコハマコンペティション(モダンのコンクール)で「天空の夜明け」と言う作品を作りました。その作品は輝きを求め、その輝きの意味が分かったと言う作品で終わりました。未完成の部分があり、2017年の舞台では祈りの振り付け部分を作品の中に入れました。「どうか上手におどれますように」と手を合わせ舞台袖から光りに包まれた舞台に向かって歩いてゆく姿です。一生懸命に練習したのよ。この姿を見てください。最初から心が負けていてはいい踊りは踊れません。自分の弱い心に負けず、勝利することだけを願い舞台に立つ。

多分、1991年に谷桃子先生から「瀕死の白鳥」の指導を受けた時から私の「瀕死の白鳥」の最後はスパっと空に飛んでゆくと言う作品にある事を暗示た指導だと思えます。私が指導を受けた当時のDVDをみながら説明したいと思います。

「最後にまっとうして死ぬ」それが谷桃子先生指導の「瀕死の白鳥」です。

 

 

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